神託ナシで勇者になった俺、恋人も巫女も狂ってて詰んだ件
青色豆乳
第1話 帰還した勇者、王女の婚約者になる。恋人もいるんだけど、それってヤバい?
もうどれほどの時間が経ったのだろうか。俺は、口から、胸や腹の傷から血を流しながら、絶え間ない痛みに耐えている。体を動かすことはできない。
闇の中、薄っすらと銀色に光る鎖が俺を封じている。そして、永遠に俺に絡みつく白い腕、そして俺の頭の中に、直接響く思考――あなたを……許さない……愛してる……永遠に……
――――
王都の大通りに、鐘の音が高らかに響き渡る。晴れやかな空から、人々が投げる、色とりどりの花弁が舞い落ちる。人々の歓声と拍手が、まるで波のように勇者一行を包み込んでいた。
魔王、討伐。
その報せが届いた日から、王都はこの瞬間を待ち望んでいた。
「お帰りなさいませ、勇者様!」
「バンザイ! 勇者様! 魔王を倒した英雄だ!」
沿道に集まった民たちは、歓喜の声をあげ、花束を投げ、道を埋め尽くしていた。少女が差し出した小さな花冠を、勇者――アデルは微笑みとともに受け取った。冠には手折られたばかりの白い花が絡められ、仄かに草の香りがした。
「……ありがとう」
少女は頬を赤らめて笑い、すぐさま人波に押し流されていった。
アデルは馬の手綱を握り、民衆の歓声に応えるように軽く右手を掲げる。彼は輝くような笑顔を浮かべた。
神殿の前庭に到着すると、今日のためにしつらえられた祭壇で、神殿の巫女が待っていた。金糸の刺繍が施された純白の法衣を纏い、その顔はベールで覆われている。
「魔王討伐の証をこちらへ」
巫女が言った。アデルは後ろを振り返った。
彼の駆る白馬の後ろ、人足に担がれた輿が続いていた。物々しい封印の魔法陣が描かれた布で包まれ、銀色の縛鎖で厳重に戒められた、何かが置かれている。それは、放出される魔力のためか、わずかに浮き上がり、震えていた。
大きさは大人の男の一抱えほどだろうか。
表面は金属のように硬く輝いているが、脈打つ様子を見ると柔らかいようにも見える。まるで生きた鉱石か、闇を凝縮した宝石のよう。
それは魔王の心臓だった。
鼻を突くような血の匂いではなく、甘くて焦げたような香りがする。なぜか嗅ぎたくなるような芳しい香りでもあり、吐き気を催すような悪臭でもあった。
魔王の心臓は、輿にのせられたまま、祭壇に安置された。
「ここに、魔王の心臓を封印します」
巫女の声は透き通っていて美しかったが、緊張のためかわずかに震えていた。
彼女は白くたおやかな腕で神剣を掲げる。神剣は神殿に伝わる、勇者の聖剣と対になる短剣だ。
神剣は、よく煮こまれた肉にナイフを入れるように、何の抵抗もなく魔王の心臓に突き立てられた。巫女に剣をふるう腕力があるようには見えない。神剣は魔物だけを切り裂く特殊な剣だといわれていた。
魔王の心臓は魔力を失い、祭壇の上に、ただの石のようにごろりと転がった。儀式は成ったのだ。
ベールから覗く巫女の頬に、一筋涙が伝うのが見えた。
そして、次の瞬間、地面さえ揺れんばかりの歓声が上がった。
――――
群衆の歓声が遠ざかっていく。
勇者――アデル・ファルクレインは、城の一室に設けられた控えの間の片隅で、ひとり静かに瞼を閉じていた。
――やれやれ。これで誰も、もう俺を見下すことはできないだろう。
華やかな祝福の裏側で、冷え冷えとした記憶を思い出す。
貴族の三男に生まれたアデルに、最初から未来などなかった。家のために生まれた長兄、保険として育てられた次兄。
そして、次は政略結婚のための女子をと両親が思った頃に産まれた男子。いてもいなくてもいい「余りもの」として扱われた自分。
彼はただ、居場所のない名ばかりの家族だった。
「……俺が勇者だ、と言ったら、面白いことになると思ったんだ」
神託を受けたという“ふり”は、彼にとってただの気まぐれだった。
誰もが本物の勇者など知らない。ならば、名乗った者がそうなる。それだけのことだった。
軽い気持ちだった。疑問の声が上がっても、貴族の肩書がそれを正当化した。王国にとっても、身分あるものが勇者の立場を得る方が都合が良かったのだ。
何度も死にそうな目に遭い、内心何度も嘘を後悔した。それでも、聖剣を振るって魔物と戦い、泥と血にまみれ、ついに魔王を倒した。
最初のきっかけがなんであれ、結果を出した。それだけが事実だ。
アデルが魔王を倒したのだ。もはや誰もこの「英雄譚」を否定できはしない。
そして、人々に「勇者」と呼ばれる。それならば。
「……ここまでやったんだ。俺は勇者だ。」
アデルは拳を握りしめ、満足げにつぶやいた。
――――
玉座の間は祝福の光に包まれていた。
この日のために趣向を凝らした煌びやかな装飾、楽団が奏でる祝奏曲。そのすべてが、ひとりの若者のために用意された舞台だった。
「アデル・ファルクレイン――王国を救った、真の勇者である!」
王の朗々たる声が鳴り響くと、場内は割れるような拍手に包まれた。
アデルは玉座の前にひざまずき、表情を崩さず頭を垂れた。目を伏せたままでも、王の顔には満足げな笑みが浮かんでいるのがわかる。
「そなたの功績は、永く語り継がれようぞ」
その隣に立つ王女――セリーヌが、頬を赤らめアデルを見つめていた。王族らしい金の髪に青い瞳。ややきつい顔立ちに、身分の高い者特有の高慢な雰囲気を漂わせている。
しかし、アデルを見つめる透き通る瞳には、敬意と、少女らしい憧れが混ざり合っている。そんなまなざしを向けられるのは、悪い気持ちではなかった。
そして、控える貴族たちのなかに、彼の“家族”の姿があった。
かつて無視され、侮られてきた日々。その全てを帳消しにするかのように、今、父も母も長兄も、晴れやかな顔で拍手を送っていた。
「さすがは我が弟だ。誇らしい」
「これで我がファルクレイン家の名も、より高みに届くだろう」
「素晴らしいわ、アデル。あなたは、私の自慢の息子よ」
“彼が家族であることが名誉”だと、彼の家族は初めて口にした。
勇者であると名乗り出た時、彼の家族は冷淡だった。
討伐の旅に出る時でさえ、失敗して一族が笑い者になるくらいなら死ね、と言った家族だ。
ずっと欲しかった言葉が、ようやく手に入った。我慢しようとしてもこみ上げる喜びに、アデルは口元をわずかに緩めた。
そして、王が一歩前に出る。
「アデル・ファルクレインよ。王国の誉れとして、我が血脈を預けよう。ここに、王女セリーヌとの婚約を命ずる」
広間にさらなる歓声と拍手が沸き起こる。
来た。とうとう我慢できず、アデルは俯いたままニヤニヤしてしまう。誰もいなければ踊りだしたいくらいだ。
討伐の旅に出発する時、王女が自分を見つめていた事には気付いていた。やっぱりあれはそういう視線だったのだ。
アデルは、一拍の沈黙を置き、真面目くさって口を開いた。
「ありがたきお言葉にございます、陛下。謹んでお受けいたします」
会場は拍手に包まれた。アデルの家族は満面の笑みを浮かべ、また他の者はそれぞれの思惑を隠した貴族らしい表情で。
アデルは階段を上り、王女の玉座の前に跪いた。王女セリーヌは立ち上がり、アデルに長手袋に包まれた手を差し出した。彼はその手を取って甲に口づけた。
しかし、その時、アデルの脳裏に一人の少女の姿が浮かんだ。
出発前、将来の約束をした幼なじみ、リュシア。
――ちょっと、マズいだろうか?
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