アイム・ア・ラバー
編砦水
木細工
ゴトリ。
プラスチックが存在証明しながら落とされた。
割れる気配もない液晶に、汚い笑声がまた響く。
たとえば静かな場所で何かを落としてみて、誰一人振り返ることがないとしよう。
静寂にただ音が吐かれるだけ、気に留める人が居ないなら、それは本当に素晴らしい世界だ。
でも、その音を立てた奴らというのは、きまって俗っぽく厭らしいのだと思う。
けらけら、また、音を立てて拾われる。不愉快、きっとこれだ。
琴線という言葉が在るように、また逆も点在する___黒板を爪で引っ掻くような、そういうもの。
奴らは色んな箇所に札束色を塗りたくる。
髪をブリーチして、身体に穴を空けて金属をつっかける。
先刻から、椅子に座っている女の子のスカートが短くて好いだの中学時代の同級生の誰々がキモチワルイだの言う、今度は飯にしゃがんだ奴らは、どこもかしこも金色だけれど、蛞蝓みたいな舌や唇や、それに繋がる脳の色は赤なのだ。
上品だといって、羽織の表地が地味でも裏地には派手な色をあしらう、あれは服装に限った話ではない。
彼らはきっと一生懸命に金色を塗って赤を差し色にしたのだ。
国柄でもなんでも、それを否定するものなら正直なんでも良かったのだけど、まあ試しに天皇陛下の写真にアクリルガッシュを塗ったらいいと思う。
そうしたら、そのあと不敬罪で出頭しろ。コッカテンプクザイだ。
窓枠が額縁になっていた。
のんびり落ちていく雪が頭を少し換気したが、自分への不愉快さも増していった。
ああいう奴らが口さえ塞いでくれたら、奴らだって俺だって俗を捨てられるのに、なんて責任転嫁。
いつもこの国の人間はそうだ、俺だってそう___なんだって道連れ文化だ、大学も小便も死も全部同じ____それとも何をしたって応急処置に過ぎないのか。
奴の片方が矢鱈、地元の友達に似ている気がして流石に呆れかけた。
髪色、態度、いやそんなことはないけれど、似たり寄ったりなのはどうにも確からしい。
海外企業みたいに美しくインテリアされ、それでいて日本特有の使い心地を追求したような木細工を、ステンドグラスみたいな硝子の世界に嵌め込んだ____ここが図書室。
皆こうだったらいい。
自分だけを軸にして皆生きられたら、いやこんなのは、ジョークにしては、重い。
ため息がひとつ吐かれた。
この場所に於いて、他人を笑ってみせるのは禁忌だと信じている自分が在る。
誰もがどこか傷ついてしまって、ようやくその心抱えてこの場所に辿り着いたのだと、信じたいだけの自分が在る。
そんなこと、ないのに。
主語を人間と置いたら「他人」も「自分」も全てが対象されるはずなのに、奴ら、自分のことを外れ値だと思い込むのだ。
それがどうやら自分の美的センスをくすぐるんだって、端的に言えばそういう奴がいるのが心底気に喰わない、ケッ、そしてはたと我に帰った。
これ、同族嫌悪だろうか。
思っていたより、友達と奴は似ていなかった。
横顔をまっすぐ見て、漸くわかった。
でも俺の瞳は多分、世界の色をしている。
そして世界の欠点はといえば、気が短いことと、コンプライアンスに生きていることだ。
この空間は氷山の一角にもなれない。
世界はもっと際限なく恐ろしいほどに広くて、それに比べたらこのご立派な空間なんてどうにでもなる小さなもの。
加えて年齢も同じくらい、生きてきた環境も大抵数パターンで割と定型的だから、「無作為に抽出」にはならない。
それでもわかることはある____そうだ、例えば音。
皆、追いかけている音が違う。
さっき幾らか色の話をしたけれど、色はそもそもあとで付いてくるものなのだ。
望んで自分の色を調節するのは簡単ではないけれど、そんなもの拘らない人だって居る。
ああやって、イヤホンを通して、自分の好きな音に耳を傾けるような人だ。
耳に何もなくても、絵を描く隣の彼にはきっと、何かが聞こえている。
走らせるペンは空中にすらキャンバスを意識する。
彼らには、俺の音も、奴らの音も聞こえない。
数度話したきりだけど昔会ったあの子、補聴器をつけていた。
彼女は高いそれを買うほどに音を欲したけど、きっと奴の厭な音も、俺の音も、多分聞こうとはしない。
ああ、それでいいんだ。
それが、健康と世間が求める正しさ。
誰一人、何も否定する材料を持ち合わせていない。
でも皆が皆、そうなれるわけじゃない。
俺みたく莫迦は耳に何もつけず、この場だけじゃない、人目に於いて好きな音を選んで聴くことができない。
だって、莫迦と賢者が何かって、学歴でも偏差値でも考える力でもない。
自分に色をつけられるのを怖がる人の総称が莫迦、それ以外が賢者。
無機物と有機物くらいの、大きな隔たり。
奴らを見下す俺は、それでいて奴らに見下されるのが怖いのだ。
そんな莫迦だから損をする、そうして只馬鹿になっていく。
そもそも莫迦だから人を見下すのだとか開き直って、もう色々わからなくなってくる。
借りた中也は横に転げているし、ちょっと前に制服のズボンのほつれ一つを言及されてからは気を取られ、もう読書どころではない。
透明なのは嫌、でも何色に見られたいかなんて考えるだけでぞっとする。
「束縛するのは浮気している証拠」なんかの「裏返し心理」の都市伝説は無限に存在するけれど、色塗りにだって同じことが論ぜる。
先程まで散々文句を言っていた俺は、現に酷く絵の具まみれで、それが誰にも見えない塗料だったとしても、俺の心を強引に濡らして乾かし続けている。
深層心理オカルト云々が指し示すなんたるか、それは俺が一番わかっている。
なんて莫迦なんだろう、なんて非合理的なんだろう。
ミイラ取りがミイラになる、人にしたことは必ず返ってくる、人を呪わば穴二つ。
諺も名言も、俺たちが人間である以上、目を光らせ続ける。
木造の世界に時計の針が押し込まれ、人がざぁっと捌けて往く。最終の鐘が厭に耳に残った。
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