第十八話「二か月の猶予」

 二人が目指すのは、ロックの自室だった。廊下を進み、診察室の横を通りすがるのを横目に見る。そこには確か、今はフェエルがいたはずだった。

 それでも歩みを止めず、やがてロックの自室の前へと到着する。ドアノブをひねり、がちゃりと扉を開けると、「どうぞ。お茶の一つも出せやしないけれど」と夢美に中に立ち入るよう促した。


「……お姉様はいいのですか?」


 夢美の赤紫の瞳がロックに向けられる。彼女の純粋な疑問に、ロックは何も返さない。


「……それとも、お姉様にすら、何も話していないのですか?」


 なおも夢美が質問を続けると、ロックがあきらめたように口を開く。


「……あの子を、こんなことに巻き込みたくないから」


 黒の瞳を細めながら、苦笑を零しつつ言う。

 そんな彼の姿を見た夢美も、何を返すわけでもなく、ただロックの部屋の中へと足を踏み入れる。

 それを確認したロックが、自身も次いでその身を部屋の中に入れ、扉を閉めた。




第二十一話「二か月の猶予」




「ほら、座りなよ。僕たち兄妹なんだし、敬語も要らないから」

「あら、それでは遠慮なく」


 部屋の中央に置いてあるソファを指し示し、夢美に座るよう促す。ついでに敬語もなくすように言えば、夢美もそれには遠慮せず。「ふふっ」と鈴のが鳴るように微笑むと、ゆっくりとした所作でソファに腰かけた。

 それを見届けたロックも、相変わらずのデスクの前に置いてある回転式のチェアへと腰を下ろす。そしてはあ、とひとつ息を整えたのち、夢美のほうへと向き直っては。


「そもそも、君はどうやって僕のことを知ったのかな」


 と、当たり障りのないように問うてみせた。

 それに、「あら」と小さく返せば、夢美が「インフィニティ家の存在自体は、もともと知っていたの」と話す。「まあ、自分の父親の家のことだから、当然といえば当然なのだけれど」と続けて。




 インフィニティ家――。

 それは、以前ゼクスからフェエルに説明があった通り、研究機関としても活動している一家のことであった。世界のありとあらゆる場所に研究所と称した機関を持ち、その研究の内容は人体や生命といったものに関連する事柄である。

 ロックもその一家のうちの一人で、主に人体に関する知識に詳しかったからこそ、今医者として診療所を営んでいる。


「それでも、多くは知らなかったから。ある日、枕反志家にあったインフィニティ家に関する資料を読んでいたら、自分には異母兄や姉がいることを知って、ぜひ、お会いできたらと」


 異母兄や姉――それはまさしく、ロックやゼクスのことだろう。

 どうやら夢美の行動原理はただの好奇心だったらしい。少なくともそこに悪意がないことがわかると、ロックは少しだけ気を緩めて、彼女の話を聞き続けた。


「そう思って飛び出してみたら、世界がこんなにも愉快なことになっているんだもの。私、楽しくって仕方がなかったわ」


 くすくすと鈴が転がるのような笑い声とともに、楽しそうに語る夢美。

 「これも全部、お兄様の仕業でしょう?」夢美が首を傾げると、艶のある髪をさらりと揺らしてみせた。


「そうして世界中を見て回っているうちに、僕のことを見つけたと?」


 そんな彼女に、自身の胸に手を当て、示すような動作を見せながらロックが尋ねると。

 夢美は「ええ」と短く答えたあと、


「お兄様、この街の方々に随分と信頼されているのね。少し尋ねただけで、すぐに見つけることができたのよ」

「……なるほど、よくわかったよ」


 そこまで話を聞けば、ロックのもとを訪ねることができた所以ゆえんもわかったも同然だ。ロックは納得したように頷くと、話を変え、「……夢を操る能力だっけ?」と、声色を落として聞いた。

 すると、また「ええ」と短く反応が返ってくる。


「じゃあ、僕にあの人の夢を見せているのも君の仕業?」


 疑うような視線で、ちらりと夢美を見やる。

 あの人の夢、というのは、まさしく。昨今さっこんロックが見ていたあの悪夢のことだろう。初代当主と称した人間が現れ、ロックの寿命を示唆しては、嘲笑うかのようにたわむれ、消えていく――あの夢もまた、彼女がロックに見せたものなのだろうか。


「それは違うわ」


 しかし、当の彼女はきっぱりと否定してみせた。そうして、残念そうに首を横に振りながら「あのお父様を夢の中に再現するなんて、さすがの私でもできないもの」とまで言ってみせる。

 それを聞いたロックが、ますます怪訝けげんそうに瞳を細め、彼女を見つめると、


「……君は、どこまで知っているの?」


 と、問う。

 夢美もまた、その問いに目を伏せては、「お兄様の夢を覗くまでは、表立ったことしか知らなかったわ」と言う。

 それから、指折り数えるようにして、彼女が一つ一つ述べていく。


 ひとつ、「枕反志家とインフィニティ家につながりがあること」。

 ふたつ、「そのつながりを持たせたのはインフィニティ家の初代当主『ヴァテックス=インフィニティ』であること」。

 みっつ、「私のお父様が、ロックお兄様たちのお父様と同じであり、私たちの間には血の繋がりがあること」。


 最後に、「そして、インフィニティ家の現当主がお兄様であること」と言い加えた夢美は、じっとロックの瞳を見つめていた。フェエルとはまた違った赤紫色の瞳は、凛としていて、どこか鋭く、まるで奥底まで見通すかのようだ。


「でも、お兄様の夢を覗いてしまってからは、自分が何も知らなかったことを突き付けられたの」


 そう言い、彼女の瞳がロックから逸らされる。彼女は自身の紫色の髪をもてあそぶように手を取ると、指の間を髪が幾束か通り抜け、さらりと揺れた。


「ねえお兄様、私たちのお父様と、初代当主……そして『悪魔』というものの繋がりを、教えてもらえないかしら」


 夢美が再びその瞳をロックに向けると、自身の胸に手を当て、前のめりになるようにして尋ねてみせた。

 そんな彼女の姿を見て、しばし悩んでは――やがて口を開き、ロックは自身が知っていることを説明し始めた。


「……インフィニティ家の初代当主『ヴァテックス=インフィニティ』は、それはたいそう聡明なお方だったそうだ」


 まるで皮肉のようなうたい文句から始まると、ロックは瞳を伏せがちにし、視線を落としながら続ける。


「あの人はこの世に存在するすべてを知りたがった。何もかもを追求しようと試みて、その最中で」


 一拍ひとはく置いた後、「『悪魔』の存在を、知ったんだ」と口にする。

 「悪魔……」夢美が確かめるようにその名を口にすると、ロックは静かに頷いてみせる。


「僕は悪魔について深くは知らない。ただ、悪魔の存在を知った初代当主は、その探求心と好奇心の強さゆえに、接触を試みたんだと思う」


 それを語るロックの瞳は、嘆かわしいとでも言わんばかりに逸らされて。


「そして、その結果。悪魔に魅入られて、とある『契約』を結んでしまった初代当主は、その身その魂を支配されてしまった……」

「……その、契約というのは?」


 恐る恐る夢美が尋ねると、ロックが視線を彼女に向け、重たい声色で述べる。


「神にも等しい力と、膨大な知識を授ける代わりに、二十歳を迎えた子孫の魂を対価としてささげること、だそうだよ。そして、初代当主自身は、余った子孫の身体に憑依することで、半永久的に生きられるとか、ね」


 それを聞いた夢美が、口元に手を当て、「ということは、私たちが知るお父様も、すでに初代当主に乗っ取られた姿だということ?」と問うと、「そうだよ」とロックが冷たく言い放つ。


「そして、すでに十年前から、初代当主は僕の中にいる。僕が二十歳を迎えるその日を、ずうっと待ち望んで」


 嘲笑うかのように吐き捨てたロックの表情は、どこか哀れみと、さげすみを孕んでいたかのように思える。

 そんなロックに、夢美がおずおずと一つ尋ねる、「ねえ、お兄様」その声色は、どうにも尋ねづらいものを問うかのようだった。


「……夢の中で、お兄様があと二か月で死んでしまうと、あの人は言っていたけれど」


 夢美の言葉に、ロックはしばらく黙り込んだ後、「うん」と小さく返してみせる。

 どこともなく見つめていた黒の瞳は、虚ろだった。それは、希望が捨てられ、諦めを映したもの。「ははっ」と乾いたような笑いをこぼすと、


「僕、二か月後に二十歳になっちゃうんだよね」


 と、まるで他人事のように言ってみせた。

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