第八話「けんこうしんだん!」

 回転式の椅子に座りながら、健康診断の結果が書かれた様々な書類や、机上のモニターと睨み合うロック。その様子をじっと見つめるフェエルもまた、椅子に座りながら、少しばかり緊張を携えた面持ちをしていた。

 そのまま、しばし沈黙が場を支配したかと思えば、ロックの「……うん」という小さな呟きに破られ、にこやかな笑みがフェエルに向けられる。


「記憶喪失っていうものだから、脳に異常がある可能性も考えていたけど、外傷もないし……特に問題はなさそうだね」

「そうなのですね、よかったです」

「他に、数値が異常なところもないみたいだし、至って健康だよ。いいことだね」


 ほっと安堵の息をつくフェエルに、なおも笑みを向けるロック。

 しかし、一瞬神妙な面持ちになれば、いくつもの書類を見比べて「……縫い目を超えた原因も、わからないままか……」と呟く。

 そんなロックに、フェエルが不思議そうに首を傾げた。「ロックさま?」「ううん、なんでもないよ」再びロックが笑顔を向けると、書類をデスクの上に置き、ぽんとフェエルの頭を撫でる。

 嬉しそうに、けれど恥ずかしそうに身動みじろぐ彼女の姿は、まるで小動物のように愛らしかった。




第八話「けんこうしんだん!」




「あれから、何か思い出したことはある?」


 ロックがそう尋ねるも、「いえ、特に何も……」と申し訳なさそうに答えるフェエル。瞳を伏せ、落ち込んだ様子を見せる彼女に、「まあ、そうだよねえ。昨日の今日だもんねえ」と間延びした返事をするロックは、「気にしないでね」と付け加えて、フェエルを励ますことに注力していた。


「……この感じだと、魔法とかそういう力もなさそうかな」

「魔法、ですか?」


 再び資料に目をつけたロックが呟くと、フェエルが不思議そうに復唱する。「そう魔法とか、ね」と返したロックは、「そういう特殊な能力を持っていたり、使えたりする人が一定数いてね」と続けて説明した。


「例えば、手品みたいに炎を操ったり、空を飛んだりとか」


 炎を操る素振りや、手で翼を模して空を飛ぶ姿など、身振り手振りを使って説明するロックの姿に、フェエルが鈴の音のような声を出して表情を綻ばした。


「ロックさまやゼクスさまにも、そういうお力が?」


 純粋な疑問を差し向けるフェエルに、面食らったようにロックが「そう、だね」と歯切れ悪く返す。続けて、間を持たせてから「ゼクスにはあるね」と言うと、彼女からその黒の瞳を逸らして「僕も……ないわけじゃないけど、そんな誇示するようなものでもないかなあ」と困ったように笑う。

 「そうなのですね」と明らかな興味を示すフェエルに、「でもね」と制するようにロックがさらに続ける。


「そういう力なんてないに越したことはないよ」

「なぜですか?」

「やっぱり、大きな力があると、それを悪いことに使おうとする人も少なくはないんだよ。それに、そういう特殊な力を持っていると、つい周りから色々と頼まれちゃったりするから、平和な日々とはかけ離れちゃうしね」

 

 なるほど、と納得したようにフェエルが頷き、乳白色の髪が揺れた。


「たとえば、有名な例だと『ハッピークラッシャー』と『抑止力』かな」

「ハッピークラッシャーと、抑止力?」


 不思議そうに復唱する彼女に、「うん」と頷いてみせると、ロックが続ける。


「ハッピークラッシャーっていうのは、無差別に他者を傷付ける悪い人でね。とっても身体能力が良いのと、特殊なナイフを使って他者に危害を加えていたんだ」

「特殊なナイフ?」

「たとえば、フェエルちゃんがハッピークラッシャーにナイフでお腹を切り付けられたとするでしょ? そうしたら、痛いよね」

「痛いと思います、とっても」

「でも、ちゃんと治療したら傷口は塞がるし、痛みも引いていくよね。だけど、ハッピークラッシャーが持つナイフは違うんだ」


 なおも、ロックが説明を続けた。


「彼女……ハッピークラッシャーが持つナイフは、傷口は塞がっても、痛みは永遠に続くんだ。そういう特殊なナイフなんだよ」

「永遠って……そんなの耐えられません」


 まるで憤るようにフェエルがこぼす。その様子を見て、ロックがまた手のひらを彼女の頭の上にのせ、ぽんぽんと撫でてみせた。

 きっと本当に優しい子なのだろう。撫でられて落ち着いたのか、恥じるように身を縮こませる彼女の姿を見て、ロックはふふっと小さく笑みを見せる。


「そこで、ハッピークラッシャーを止める役割を与えられたのが抑止力なんだ。彼は、対ハッピークラッシャー特有の能力を持っていてね。それこそ、そのナイフで危害を加えられても、痛みを感じないとかね」

「そんな方がいらっしゃるんですね、すごいです」

「それに、実は僕が、特別な鎮痛剤を開発したことによって、そのナイフによる痛みを和らげることもできるようになったんだよ」

「ロックさまが……! 素晴らしいことですね、なんだか自分のことのように誇らしいです」


 前のめりになって、ぱちぱちとその小さな両手で精一杯拍手をするフェエル。それになんだか照れ臭くなったものの、「まあ……すごいでしょ!」と逆に誇らしげに胸を張ってみせるロック。

 尚もぱちぱちとフェエルの拍手が続き、流石にロックが「ごめんちょっと恥ずかしくなってきちゃった」と制すると、ようやく拍手はんだ。


「まあ、抑止力と僕のおかげで、ハッピークラッシャーはもうほぼ活動不能状態なんだ。捕まったわけじゃないけど、抑止力のおかげもあってこれ以上被害は増えないと思うよ」

「それは一安心ですね、よかった」


 一通り話し終えると「で、なんの話をしていたんだっけ……」とロックが考え込む。「えーと、えーと」と一生懸命頭の中を探り、やがて「そうだ、フェエルちゃんのことだ」と思い出した彼は、再び話を続けた。


「もしフェエルちゃんがそういう力を使えたら、フェエルちゃんの記憶を取り戻す手掛かりになるかなーと思ったくらいだし」


 「だから、使えなくても気にしないでね」と言うロックに、「はい」とフェエルが返事をする。

 ひとまずは納得した様子の彼女に、今度はロックが安堵してみせた。そして、背と腕をぐいーっと伸ばし、「よしっ」と小さく声を出して立ち上がると。


「健康診断はこんなところにして、片付けと明日の準備を始めようか」


 机上の書類を手に取り、とんとんとまとめ、モニターと繋がっていた端末の電源を消すロック。そんなロックの姿を見てフェエルも立ち上がり「はいっ」と気合い十分な声を上げる。


「そして、それが終わったら……」


 含みを持たせるロックに、フェエルがきょとんと首を傾げ、薔薇柘榴石がまたたいてみせる。

 果たして、ロックが続ける言葉は。


「甘いものでも、食べに行こっか」


 昨夜飲みに行けなかった珈琲のことが、ロックの脳裏によぎったらしい。

 診療所の手伝い初日のフェエルの功労を讃えるのもあわせて、今日こそは行きつけの喫茶店に足を運ぼうと企んだ。そして、その企みは、「はい!」と元気よく返事をするフェエルによって肯定され、今しがた決定事項となったのである。

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