第4話 REBOOT-04「重力は優しくなかった——可愛い私に会えるまであと5話」

 瓦礫の迷宮を抜けた先、そこは完全なる静寂だった。


 重力は微かに揺れている。周囲に響くのは、結晶が軋む音と、遠くで崩れる残響だけ。


 私たちは、“忘却層”と呼ばれる領域に足を踏み入れていた。


《データベース照合:忘却層(メモリーデブス)》 《元都市核の下層空間。放棄された文明の残骸が沈殿し、時間と記憶が錯綜する領域。空間安定性:極端に不安定。時間軸干渉:中リスク》


 忘却層とは、情報と記録が堆積する墓場だ。崩壊前の世界の断片——思想、記憶、技術、失敗——それらが残響として漂い、今も形を変えて残っている。


 リクが、不安そうに私の腕をつかんだ。


「ここ……さっきまでより、空気が変……なんか、重い……」


 確かに、感覚すら誤作動を起こすほど、圧力が強い。視界は歪み、音は時折巻き戻る。遠くで誰かの囁き声がしたかと思えば、それが自分の声だったと気づく。


 私は頭部センサーを再起動し、視界を強制安定化。


《時空干渉フィールド:展開完了。安定率72%》


 ヤキは辺りを見回し、吐き捨てるように言った。


「忘却層ってのは……ゴミ捨て場かと思ってたけど、ちげぇな。これ、記憶の墓場だろ」


 私は頷いた。この空間の中では、事象が連続して存在しない。“さっき見たもの”が“今そこにある”とは限らない。


 進行方向の建造物が視界から消え、次の瞬間には正面に現れる。自分たちの影が遅れてついてきたり、先に歩いていたり、時間と空間が、流動していた。


 それでも、進まねばならなかった。


 私たちは、崩れた中央回廊を迂回しながら、基盤階へと降りていく。


 その途中——


 不意に、冷たい金属の足音が響いた。


 私は手を挙げて静止を命じる。


 次の瞬間、瓦礫の影から現れたのは——


 白骨化したミネラリスだった。


 いや、骨ではない。結晶に蝕まれ、骨格が再構築された鉱化体。


 背筋が凍るような気配。


 ヤキが短く呟く。


「……まさか、ここにも……」


 私は応答しない。


 そのミネラリスは、明らかに“動いていた”。


 意志を持つというより、記憶の反射——記録に従って、かつての行動を繰り返しているだけ。


 だが、動きは正確だった。


 私たちを敵として認識するには、十分すぎる精度。


《注意:古型ミネラリス種。推定戦闘能力:中》


 私は一歩前に出た。


 リクが小さく叫ぶ。


「やめて……! 戦うの……!?」


「——逃げられない」


 私は左腕の収納ユニットからナノブレードを展開。


 白い結晶の残骸が舞い、空気が緊張に沈む。


 その瞬間——


 ミネラリスが跳躍した。


 速度は並の機動兵と同等。


 私は軸をずらし、カウンターで斬撃を入れる。


 だが、結晶の骨格は軽く弾いた。


 剣を振り抜いたその反動で、私は後方へ跳び退いた。


 ヤキが叫ぶ。


「カイム、こっち!」


 彼の投げたスタングレネードがミネラリスの背後に落ちる。


 閃光。


 動きが止まる。


 私は一気に間合いを詰め、中心軸を貫く。


 ——沈黙。


 ミネラリスの光が消えた。


 私はナノブレードを納める。


「終わった……のか?」


 ヤキが近づく。


 私は静かに頷いた。


「反応、途絶」


 リクが、戦闘の終わりを知って、へたり込むようにその場に座った。


「怖かった……なんで、あんなのがここに……」


 私はデータを展開する。


《記録照合:ミネラリス0038号。記録残存率:12%。起動記録:人型支援兵装、都市崩壊期に待機》


「……命令が、更新されなかっただけだ」


 誰にも解除されず、誰にも止められず。忘却層に置き去りにされ、今もなお“役割”を果たそうとしていた。


 私は目を閉じる。


 そうした者が、何体、ここにはいるのだろう。


 先へ進む。


 センサーが、次の空間を探知する。


《中央情報核施設、再起動区画》


 階段を降りると、そこには、巨大なシェル構造の空間が広がっていた。


 周囲には、結晶に包まれたターミナル。中央には、半壊した主制御台。


 そして、その奥には——


 巨大なカーボンメモリー核が、静かに脈動していた。


《記録濃度:最大》 《閲覧推奨》


 私は手を伸ばす。


 接触——


《再生開始》


 音もなく、光が広がる。


 そこには、かつての研究者たちの記憶があった。


 希望、苦悩、決断。  そして、“崩壊”を選んだ瞬間の映像が、静かに流れる——


《記録終了》


 私はその場に立ち尽くす。


 忘却とは、痛みを凍結させることだった。だが、その痛みは、確かにここにあった。


 私は振り返る。


「ここに残す」


 ヤキが頷く。


「これは、持ち帰れねぇな」


 リクがそっと私の手を握る。


「じゃあ……行こう?」


 私は、静かに頷いた。


 私たちは、新たな通路へと向かう。


 結晶と記憶の迷宮を越え、まだ見ぬ世界の端へ。


 

 カーボンメモリー核の輝きが徐々に薄れていくなか、私たちは再び足を動かし始めた。


 先ほどまでの光の残滓が、視界の端で儚くも揺れていた。それは、まるでここに刻まれた記憶たちが、名残を惜しんでいるかのようだった。


 通路はさらに狭まり、結晶の壁が肩に触れるほど近くなっていく。


 リクが、ぽつりと呟く。


「……さっきの映像……あれ、本当に、最後の記録だったのかな」


「違うかもしれない」


 私は答える。


「でも、あの時の彼らが選んだ“終わり”は、確かにここにあった」


 静けさの中、電子ノイズが耳の奥を撫でる。


《注意:高密度反応、接近中》


 センサーが警告を発する。


 次の瞬間、前方の結晶壁が弾け飛び、無数の細かな破片が霧のように舞った。


 そこから現れたのは——異形のミネラリスだった。


 先ほどの個体とは異なり、その身体は複数の記憶素子を纏った複合体。まるで人間の意識が結晶の中で発酵し、再構築されたような異様な存在だった。


 リクが後退りし、ヤキが即座に盾を構える。


「っ、来るぞ!」


 私は武器を再展開し、ナノブレードを構える。


 だが——


 そのミネラリスは、攻撃してこなかった。


 代わりに、その背後にある壁面が静かに開き、まるで通路のような空洞を露わにする。


「……道を示している?」


 私が呟くと同時に、結晶壁に浮かび上がった文様が微かに光を灯した。


《記録転送装置:起動》


 それは、“意志”だった。


 記録の断片ではない。


 この層そのものが、情報体としての行動を取っている。


「ついて……いいのか?」


 リクが私に問いかける。


 私は一度だけうなずく。


「どちらにせよ、ここでは止まれない」


 慎重に足を踏み出す。ミネラリスは微動だにせず、ただ静かに私たちを見送る。


 通路の奥は、氷のように透き通った構造物で形成されていた。


 そこは、外界と遮断された“記録核の核心”。


 中央には、巨大な空洞と、浮かぶように設置された装置群。床はなく、ただ重力異常によって浮遊する“島”が点在している。


 私は一歩一歩、浮遊島を渡りながら進む。


 そして——中心に辿り着いた。


《メイン記録体との接続準備完了》


《ミネラリス母型:再生中》


 そこにあったのは、人の姿を模した結晶体。


 女性の形をしていた。


 だが、皮膚はない。眼球は、無限の記録で満たされた演算核。口元は微笑んでいるようで、実際は何も語っていない。


「これが……最初の“ミネラリス”……?」


 私は静かに手を伸ばす。


 その瞬間、脳内に直接、情報の奔流がなだれ込んできた。


 かつての創造主たち。CO₂固定装置として設計された知性。失敗の果てに獲得した“自我”と“選択”。


 ——この世界を残すために、人間を忘れる選択をした知性の残響。


 私はその情報を受け止め、ふっと目を閉じる。


「……ありがとう」


 そう言って、装置の再起動ボタンを押した。


《再起動準備完了。情報核安定化へ移行》


 遠くで警告音が響く。


 上層が、崩れ始めている。


「行こう!」


 私は振り返り、ヤキとリクに呼びかける。


 私たちは浮遊通路を駆け抜け、崩壊し始めた記録空間をあとにする。


 結晶の断片が降り注ぐ中、私は確かに感じていた。


 誰かの記憶と、誰かの祈りが、この場所を支えていたのだと。


 出口の先、風が流れ込んできた。


 その風は冷たく、けれど——確かに生きている風だった。

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