第2話 REBOOT-02「名前を呼ばれた気がした——可愛い私に会えるまであと7話」

 瓦礫の裂け目を抜けた私は、息を潜めるように立ち上がった。

 背後で、ヤキとリクも、埃にまみれた顔をしかめながら這い出してくる。


 空気は重く、金属の腐臭とスターダストの粉塵が入り交じっていた。

 センサーが即座に警告を発する。


《酸素濃度:限界値付近》

《スターダスト粒子濃度:極大》

《微弱重力異常検出:カーボンリフト兆候あり》


 私は周囲を見渡す。


 そこは、都市基盤の崩壊跡だった。

 かつて浮遊帯を支えていた巨大構造体が、スターダストの侵蝕とカーボンリフト現象の連鎖によって引き裂かれ、破片となって空間に漂っている。


 地面はもはや地面ではなかった。

 重力を忘れた瓦礫が、断続的に浮遊し、時に弾けて消える。


 ヤキが、乾いた咳をした。


「……こんなとこ、もう……街って言えねぇな」


 リクは怯えたようにヤキの服の端を握りながら、必死に震えをこらえていた。


 私は慎重に一歩踏み出した。

 足元の鉄板が、かすかな悲鳴を上げてきしむ。


 センサーが新たな異常を拾う。


《高濃度結晶生命体反応:前方200メートル》

《識別名:カーボニアン》


 警告が神経接続領域を赤く染めた。


 カーボニアン――

 スターダスト粒子と人類の遺棄技術が交差した結果、生まれた意志ある結晶体。

 都市崩壊後に現れた、新たな脅威。


 前方、崩れた高速道路の支柱跡。

 そこに、青白く脈動する結晶体が浮かび上がっていた。

 まるで、呼吸しているかのように。


 ヤキが、不安そうに声を潜めた。


「……おい、何だ、あれ……」


「カーボニアン。近づくな」


 私は短く答えた。


「……あれ、生き物なの?」


 リクが小声で尋ねる。


「生き物ではない。ただ、意志はある」


 汚染を拡大し、周囲を侵蝕する存在。

 内部には、記憶を保存するカーボンメモリーが組み込まれ、時に人間社会を模倣する。


 私は迂回ルートを探した。

 だが、崩落地帯は、まるで意図的にカーボニアンたちに封鎖されているかのようだった。


 リクが、震える声で呟いた。


「……どうすんの……?」


「下層を抜ける。崩落ルートを使う」


 私は斜面を指差した。


 ヤキが顔をしかめる。


「また穴かよ……ったく……」


 それでも、彼はついてきた。

 口では文句を言いながら、行動は素直だった。


 私は彼らを促し、崩れた高架橋の下層へ滑り込んだ。



 コンクリートの断面。

 錆びた鉄骨。

 湿った空気に満ちた暗がり。


 足元は不安定だった。

 踏み出すたび、軋む鉄片と、浮遊する瓦礫が微かに震える。


 ここにも、微細な重力歪曲が漂っていた。


 カーボンリフト。

 スターダスト粒子とカーボニアン粒子の共振によって生じる局所的な重力異常。


 私はセンサーで重力の歪みを感知しながら、慎重に進んだ。


 リクが、そっと私に寄り添うようにして囁く。


「……ねぇ……兄ちゃんたち、誰なの……?」


「わからない」


 私は振り返らず、短く答えた。


 記憶は、欠落している。


 だが、胸の奥に疼く断片だけは、確かに存在した。


 ——「空は、青いんだ」


 誰かの声が、深く焼き付いている。


 私たちは瓦礫を越え、さらに奥へ進んだ。


 やがて、空間がわずかに開けた。

 半壊したターミナルの跡。


 床には、錆びた鉄と結晶片に覆われた奇妙な模様が広がっていた。


 炭素を象った聖印。

 壁には、粗雑な祈りの文句。


 ——《炭素に帰れ。炭素に還れ。永劫の結晶を讃えよ》


 炭素信仰(カーボニズム)。


 絶望に支配された人々が、スターダスト結晶を救済と見なした異端の教義。


 私は、データベースから関連情報を引き出す。


《カーボニズム》

「都市国家連合崩壊後に発生した鉱物崇拝宗教。スターダスト結晶を聖なる存在とみなし、鉱化を救済と定義する」


 瓦礫の中には、歪んだ骸骨が転がっていた。


 彼らは、自ら望んで鉱化した者たち。

 人体融合型鉱物ミネラリス


 ヤキが、骸骨を見下ろして吐き捨てる。


「……バカだな」


 リクは顔を伏せ、かすかに身を震わせた。


 私は歩を進めた。


 空気はなお重く、腐敗と金属の臭いが支配していた。


 それでも、足を止める理由はなかった。




 ターミナルの奥へと進む。

 崩れた柱、ちぎれたケーブル、剥き出しの配管。


 そこは、かつて都市を支えていた中枢区画だった。

 今やただ、沈黙と朽ち果てた残骸だけが支配している。


 私は壊れた案内端末に手を伸ばし、内部アクセスを試みた。


《カーボンメモリー断片 検出》


 ディスプレイに歪んだ映像が浮かび上がる。


 ——人々の声。

 ——賑わう市場。

 ——子供たちの笑顔。


 だが次の瞬間、映像は急変する。


 スターダスト汚染警報。

 崩壊する街。

 逃げ惑う人々。


 最後に、誰かの声だけが、かすかに残った。


 「……空を、見たかったな……」


 私は、手を離した。


 ディスプレイは、かすかな火花を散らし、沈黙した。


 リクが、震える声で呟く。


「……みんな……死んだんだね」


 ヤキは歯を食いしばり、拳を握った。


「ふざけやがって……誰がこんな世界に……」


 私は、何も答えず歩き出した。


 問いに意味はない。

 ただ、生き延びるために進むしかなかった。


 崩れたターミナルを抜けると、再び外の空間が広がった。


 ——灰色の空。

 ——浮遊する瓦礫。

 ——逆巻く重力の乱流。


 カーボンリフトが、世界を捩じ曲げている。


 私は手を挙げ、ヤキとリクを制した。


「慎重に進め。浮遊瓦礫に乗れ」


 ヤキは小さくうなずき、リクの手を引いた。


 私は重力境界を感知しながら、一歩一歩足場を選んだ。


 崩れた鉄骨。

 空中を漂う建材。

 途切れた橋。


 

 どれも不安定だが、進むしかなかった。



 足場を渡るたびに、瓦礫がきしみ、不安定に揺れた。

 少しでも重心を誤れば、重力の歪みに飲まれる。


 私は振り返り、リクに目配せした。


 彼は怯えながらも、必死にヤキの手にしがみつき、ついてきていた。


 ヤキは、強張った顔で言った。


「……絶対、落ちんなよ」


 リクが、小さく頷いた。


 私は再び前を向き、次の足場を探した。


 浮遊する巨大な鉄骨。

 崩れかけた歩道橋の残骸。


 私は勢いをつけ、跳び移る。


 鉄骨がぐらりと揺れたが、何とか体勢を保つ。


「こっちだ!」


 ヤキとリクも後に続く。


 二人の着地と同時に、鉄骨が不穏な音を立てた。


 私はすぐに先を急ぐ。


 この空間そのものが、崩壊しかけている。


 


 ようやく安定した地面に辿り着いたとき、私たちは、奇妙な光景を目にした。


 ——黒い結晶の祭壇。

 その周囲を囲むように、炭素信仰(カーボニズム)の遺物と、ミネラリス化した骸骨たちが転がっている。


 かつて、ここは聖域だったのだ。


 ヤキが息を呑んだ。


「……こいつら、自分から……」


 私は無言で祭壇に近づいた。


 鉄板に刻まれた祈りの文句。


《炭素に帰れ。炭素に還れ。永劫の結晶を讃えよ》


 私は、鉄板をひっくり返した。


 その裏には、小さな文字が刻まれていた。


《空を、忘れるな》


 胸の奥が、わずかに震えた。


 


 リクが小さく囁く。


「……まだ、信じてる人が……いたんだね……」


 


 私は、頷かず、否定もせず、ただ前を向いた。


 世界がどうであれ、進むしかない。


 


 私は、静かに歩き出した。


 ヤキも、リクも、無言で私の後を追った。


 


 崩壊した都市の亡骸を越え、

 歪んだ重力の渦を抜け、

 私たちは、まだ知らない世界へと進んでいった。

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