第8話 ホテルのバスルーム

 さて、ようやく目的地に到着。

 ここは一時的な拠点となる、仙台市の格安ビジネスホテルだ。

 いまは冬休みの時期で観光に来る客も多く、正直なところ予約が取れるとはまったく思っていなかったのだが、意外にもすんなりとこの一部屋だけ確保することに成功する。


 その理由は単純明快。

 どうも巨獣出現の影響で宮城への旅行を考えていた人たちのキャンセルが相次いでしまったらしい。


 現れたのはあの一瞬だけだったとはいえ、観光産業には大打撃といって過言じゃない。

 なぜ東北の一部地域に突如としてその現象は起こったのか? その因果関係の調査が進むまでは、安心してこの地に足を運べない……というのが他県からの主な印象であるみたいだった。


 地元県民としては少しだけショックに感じるものがあるが、逃避行をする上では追い風だと捉えていく。


 そんなわけで、チェックイン。


 金銭的な問題があるから連泊は難しいけれど、昨日の車中泊が思いの外辛かったので、きちんと休息は取るようにしたい。

 ここまで来るのに慣れない道をずっと肩肘張って運転し続けたこともあって、いざ出迎えてくれたベッドのふかふかさにはそのまま意識を持っていかれてしまいそうだった。


「しぐま」


 目を閉じようとする俺を見かね、手持ち無沙汰にちょこんと座っていたホルンがおもむろに話しかけてくる。


「なに?」

「その、寝てしまうのですか?」

「いや、寝ない。風呂にも入る……。あ、でもホルンが先に入るか?」

「えっ?」

「よし、ちょっとこっち来い」


 ベッドから起き上がり、ホルンを連れてユニットバスルームへ。ホテルのバスルームの使い方って慣れていないと分かりにくいから、念のために説明しておく。

 シャワーで簡単に浴槽内を洗って、洗剤やタオルの位置なども確認。お湯の温度はこれで問題なさそうだ。


「あい。先に入っていいよ。俺こっちに来ないようにするから」

「………あ、なるほど……」


 なるほどってなんだ。振り返ると何を勘違いしたのか耳まで赤くして俯くホルンの姿を見る。

 呆れたように首を振った俺は、ホルンをその場に置いて約束通り向こうの部屋で待つことにした。


 ツインベッドの窓際のほう。つまりはバスルームから最大限に距離を取った場所で寝転がり時間を潰す。男女で一部屋の時点で精神的に気難しいものはある、こういうのは変に意識しすぎないようにしたい。


「そうだ、ドラウプニル……」


 ここで、今朝から気になっていたホルンのバングル――ドラウプニルについて、検索を掛けてみることにした。

 するとまさかのヒット。

 北欧神話のなかに登場する神器が同じ名前だった。


 黄金の腕輪、ドラウプニル(Draupnir)。

 その正体は北欧神話において、ドワーフが神々の王オーディンへ献上したとされる宝物ほうもつ

 九夜ごとに同じ重さの腕輪を八個錬成するという特性を持つ。その別名は『滴るもの』『雫』を意味するのだとか……。


 腕輪ということしか一致していない。


「黄金じゃねえしな……」


 ドラウプニル、という単語が表すものが北欧神話に由来する上記のものしかない時点で、その関連性を否定することはできない。

 がしかし、ホルンの持つドラウプニルは銀色のデザインだし、武器に変化するという記述もなければ、ましてや何らかの探知・感知機能があるといった効果を仄めかす逸話も要素もない。


 九夜ごとに増える、という伝承通りの効果をどう解釈しようとしても、ホルンのバングルの特徴とは結びつけられない――。


 この世界の北欧神話のドラウプニルと、ホルンの持つドラウプニルは、奇しくも名前が同じなだけで全くの別物ということなのだろうか?

 うーんと声に出して悩む。


 そうこうしているうちに、シャワーを済ませたホルンがバスルームから出てきてしまった。

 火照った肌としっとりした濡れ髪。体が温まっているからか、いまはパーカーも着ずに元のワンピース一枚のみを着衣する。


 ……………。

 ホルンには似合わないそのあでやかさに、俺は思わず目を逸らす。


「気持ちよかったです。しぐま」


 ほっと息を吐きながらご満悦そうに言った。

 そんな報告はいらない。


「ぜひ、しぐまも」

「……どうも」


 勧められるままに今度は俺がバスルームへ。


 ホルンは神話の登場人物だ! と言ってしまうとまるで厨二病みたいだが、なんせ巨獣が突然現れて突然消えるような時世だ。普通に考えればあり得ない話だけど、その可能性を否定することもできない。


 ただ、北欧神話、詳しくないんだよなァ……。

 何かの機会に調べたいところだ。


 その後、簡単に汗と疲れを流してドライヤーで髪を乾かし、退出するとふいに防災行政無線の放送が市内全域に流れたことに気づいた。


「?」


 思わずホルンと顔を見合わせる。

 胸がざわつく。放送内容をしっかりと聴くため、窓ガラスを開けて耳を傾けた。



『こちら――、仙台市役所です――。本日――、午前九時頃――、泉区〝水の森公園〟付近で――、正体不明の謎の生物が目撃されました――』



「……っ!」


 思わず息を呑む。近隣住民に対して外出を控えるようなアナウンスが流れたあと、典型的な四音チャイム音が放送終了を告げる。

 謎の、生物……。


「しぐま、行きましょう。魔物かも」


 魔物? と問い質したくなったが、切迫した様子でホルンに頼み込まれて応じるしかなくなる。

 巨獣に相次いで、市内中心部での謎の目撃情報。


「……分かった」


 危険が伴うのは重々承知の上で、俺たちはそこへ向かうことになった。

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