湖子さんの庭先ダンジョン雑記帖
渡来みずね
第1話 湖子さんと不動産屋と豚天定食。
「あの、この特記事項は、どういうことなんでしょう?」
モルタルの一戸建て、どう考えても昭和から営業していると思われる不動産屋の、これまた昭和っぽいソファとテーブルのセットに座り、
すこし白のマニキュアが剥げかけた爪の先で抑えられた枠の中には、そっけない明朝体で「裏庭にダンジョンあり」という文言が確かに記されている。
「あっ、それはですねー、文字通り、お庭に小規模ダンジョンが存在する、ということなんですー」
「小規模ダンジョンですか」
「はいー。ええ、小規模も小規模で、大体直径15cm、深さ40cmぐらいの、言ってしまえばたて穴なんですよお。でも、ダンジョン測定器に反応したので、ダンジョンってことにはなってるんですけどお。もう全然、危険性もない、ただの穴みたいなものなんでね! ご心配はいりませんので!」
「ほーん、でも、あれじゃないですか? 特記事項に記載の条項ってことは、なんだか瑕疵になるようなダンジョンってことなんですよねえー?」
答えた不動産屋の店員は、汗を拭き拭き――当然だ。なんたって令和のこのご時世だと言うのにクーラーではなく、天井から扇風機がぶら下がっているのだ、この不動産屋は――白々しい営業スマイルで大げさに首を振った。
この世界には、ダンジョンがある。
およそ24年前。ミレニアムとかいうのだったか。1999年の7月に世界は終わらず、翌年に千年王国も訪れはしなかったものの、その代わりのように起きた全世界一斉微細地震。それが収まった瞬間から、世界各地で観測された異常。地形的にありえぬ場所に洞穴が開き、あるいは”門”が生まれ、その内部に外形と一致しない空間を備える。
内部にはこれまでの地球の常識ではおよそ考えられないような異なる法則と、異常な生態系。そこにのみ存在する巨大な脅威と、想像もつかなかったような新資源。
誰が最初に呼びはじめたものか、巷間に流布する俗称として、ダンジョン。
発生直後は混乱が当然ものすごく、世界的な不安感の高まりから洒落にならない事件も多数起きたり、悪名高い新興宗教だとか秘密結社だとかが多数生まれたり、国家間での紛争や緊張が高まったり、コングロマリットの現在まで及ぶ台頭を招いたり――ともかく、色々あったらしいが、当時生まれたばかりだった湖子にはあまり実感はない。
それより、現状問題であるのは、ダンジョンというのが広大で深層で、一攫千金を狙う冒険者たちを引き寄せるような危険とロマンに満ちた存在――ばかりではない、ということだ。
例えば。
記録にある最小サイズは 穴:握りこぶし1個分。
観測された”異常”は 一晩で既観測種のきのこが一本生える。
きのこ一本ならまだいいが、ものによっては「常にバケツ1杯分だけの泥水が湧いている」だとか、「近づくとヘドロの悪臭がする」などというものもあるらしい。
世界に発生したダンジョンは相当数存在するものの、相当数はこの類の「特に利点はなく、不利益もない、もしくはちょっとの面倒さや不快さが伴うもの」であったのである。
そして、一応――もっと危険なものへ対処するために編み出された技術によって――埋めたり閉鎖することも出来るらしいのだが、普通の穴のようにはいかず、かなりお金もかかるらしいのだ。
「それなんですけど、全然危険とかそういうことはなくてえ……」
「それで、一体何が?」
ジト目で見つめた湖子から少し目を逸らし、七三分けの販売員は曖昧に言った。
「なめくじが出るらしいんですね」
「なめくじ。それって、モンスターってことです?」
「いええ、あの、ごく普通の、前の報告ですとチャコウラナメクジとかですね、そういうアレなんだそうなんですけどお……でもほら、普通のお宅でもちょっと湿っぽいと出ちゃいますでしょ。裏庭だけのことですし……、あ、それを加味して、すごーくお安くなってますんで!」
本当にお得な物件で、一回内見して頂けたら良さが判ると思うんですよお!と、販売員は安さを押し出していくセールストークに変更することにしたらしい。
(普通のなめくじが普通に出る感じ、と。)
出てきた写真を見れば、穴の周りに数匹のなめくじが這い回っている、という程度のものが数枚。穴の中から湧くので根絶が難しい、というのが問題であるらしい。庭の一角に常になめくじの溜まり場があるというのは気が重いが、たしかにその程度といえばその程度だ。ちょっと家庭菜園はやりづらいだろうか。
新宿大深層などの大規模ダンジョンではそこにしか無い資源を求めて冒険者たちがしのぎを削っていると言うが、田舎の庭に生えたダンジョンなど、所詮こんなものなのだろう。湖子は遠い目になり、でもまあ地価が低くて不動産価格がお安くなるのならいいのかな、と考えた。
内見の日取りだけ決めて店を出る。
「さて。いい時間だしついでになにか食べていこうかな」
うんと伸びをして、湖子は周囲を見回した。
不動産屋が建っているのは、寂れた商店街の端っこだ。
お隣はかろうじて開いている金物屋さんで、お向かいは靴と鞄という看板の付いたシャッター。洋品店と美容院、薬屋さんの先に二軒ほど入りづらそうな小さな居酒屋とスナックがあり、その先にようやく庶民派で有名なチェーンのコーヒーショップがある。
「とはいえチェーンのサンドイッチって高いし、なにか他に……」
眺めれば、シャッターと開いているか開いていないかわからない店がぱっと目に付く。とはいうものの商店街はもうしばらく続いているようだったので、湖子は歩いて店を探してみることにした。
「新聞屋さん、酒屋さん、お、ヤマザキデイリーストア。パチンコ店はどこにでもほんとにあるなー」
商店街は「寂れた地方商店街」という題字をつけて写真を取ってフリー素材サイトにお出しすればまさにこれと受け止められるだろう、というそんな具合の商店街である。シャッター街というほどに滅んではいないが、あまり繁盛している様子もなく、観光客がちょっと入ってみたいなと思うようなお店も無く、という塩梅。
(まあ、別に普段暮らしてる人たちには十分ってことなんだろうけど。)
日常暮らすのには必要十分で、観光客視点など誰も求めてもいないのかもしれないが、一応、この近辺に引っ越してくるつもりのある湖子としては、ちょっとしょんぼりする要素である。
(バスで来た時は近くにそれっぽいものは無かったけど、これは何か……大資本の商業施設とかが生活の拠点になってるパターンかなあ。もしかしたら買い物は隣町のショッピングモールまで出かけていく感じ?)
でなければ、国道沿いの大型店でないと買い物場所がないパターンかもしれない。
湖子の運転免許はゴールドだが、それはすなわち取ってからろくに運転していない、ペーパードライバーであるということだ。
湖子ははふっとため息をつく。
(ええ、ええ、わかってる。普通はこういうご近所を下見してから引っ越してくる土地を決めるんだろうな! ってこと!)
湖子がこの街、八木山浦町に引っ越してこようと決めたのは先週の日曜日。それから下見の時間も取れず、ネットで調べた所在地だけを頼りに地元密着そうな不動産屋に飛び込んだのが本日のことだ。
当然、周辺を下見したり、検索したりということもしていない。
(早まったかなー。でも、ここしかない! って思ったんだよね。)
八木山浦町は湖子が幼い頃に暮らしていた町だ。
幼すぎて具体的な光景の一つも覚えては居ないけれど、いわば原風景とも言える土地なのである。
――ここまで寂れたところだとは、ちょっと予想外だったけど……。
かくんと落とした首の鼻先に、ふっと良い香りがよぎる。
湖子が上げた視線の先、こぢんまりとした中華食堂の引き戸が開き、人の良さそうな白衣の店員さんが黒板を兼ねた小さな看板を出すのと目があった。
◆ ◆ ◆
壁にはメニューと価格が書かれた短冊が貼られ、カウンター席がふたつ、テーブル席がみっつ。
店は開いたばかりらしく、店内にいるのはこれまた人の良さそうな初老の店主さんらしい男性と、看板を出していた店員さんだけのようだった。
湖子がテーブル席の一つに腰掛けると、すぐにビニール袋に入ったほかほかのおしぼりが運ばれてくる。
(おお、ペーパータオルじゃなくて布巾のおしぼりだあ。)
「もう夕方なのに今日は暑いね、まだ5月なのにねえ」
注いでから出してくれる水には氷が入っており、クーラー無しの不動産屋でかいていた汗がすっと引き、湖子はようやく一息ついたような気持ちになった。
「ですねー。あ、えーと烏龍茶と、この豚天ってどういうやつです?」
「豚の薄いのに天ぷらのコロモして揚げたやつだね! 美味しいよ」
「じゃあ豚天定食お願いします」
「あいよおー」
人気メニューなのだろうか。下ごしらえは終わっていたようで、すぐに揚げ物をする賑やかな音がして、そう待たないうちに定食の御膳がやってくる。
大きな皿にどんとメインが載り、その横に中華春雨の小鉢とおろしポン酢、それからお漬物が少し。そこにごはんと味噌汁がついている形式だ。
キャベツの千切りの上に、自由な形をした豚天がほこほこ湯気を上げており、天ぷらと言いつつ、衣はフリッターのようにふわふわ厚めで少し柔らかそうに見える。
(まずは何もつけずに……。)
「あつっ……」
さくっと豚天を噛みとって、湖子はわあっと目を丸くした。
(このコロモ、紅生姜入りだ!)
表面はカリッと、中はふわっとした食感のコロモにはみじん切りの紅生姜が混ぜられていたらしい。酸味と紅生姜の風味が揚げ物のくどさを中和して豚肉のうまみを引き立て、うっかりするといくらでも食べられてしまいそうなテイストに仕上げている。
何もつけずと思ったが、うっすら塩が振られているらしく、十分ごはんがいける味だ。
付属のおろしポン酢に浸すと、こんどはさっぱりが際立ち、たっぷりとコロモにポン酢を抱えた薄い豚天はそれはそれで定食のおかずとしての底力を見せつけてくる。
合間合間に味噌汁を口にいれると、海の近い土地故だろうか。わかめの味噌汁かと思っていたそれは、とろとろしゃくしゃくとしたいろいろな種類の海藻が入っていて食感も面白い。
おいしく完食して、手を合わせてごちそうさまをひとつ。
お会計をお願いしてレジ前に立つと、店主さんが飴をくれたのでありがたく一ついただく。
「お嬢ちゃん、見ない顔だけど観光かい?」
店主さんの言葉に、現金をきっちりトレイの上に置きながら湖子はいえ、と言った。
「今度この近くに越してくるんです」
「おー、何もないとこだけど、景色はいいところだよ。またうちにも来てね」
「はい! それはもう!」
湖子がちょっと力強すぎる勢いで頷いたのは、お会計をしに立ち上がったその横で、常連らしいおじさんがこう注文するのを聞いたからだった。
「豚天、単品で! ちょちょっと刻んで、花椒マヨ掛けて! それとビール! 瓶でね!」
(そういうのもあるのかー!!)
絶対にまた来る。
絶対にまた来て、その時は絶対にビールを飲むのだ。ホッピーでもいい。
湖子は心にそう決めたのである。
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