第2話 王立迷宮戦術学院──理念と狂信
歩が目覚めて数日後。
療養棟を出た歩は、王立迷宮戦術学院の入学式へ向かっていた。
どうすべきか迷ったが、この世界の知識も人望も家も無い歩はそうするしか生きていく術はなかった。
学院は全寮制だったからだ。
王立迷宮戦術学院──
この世界において、迷宮とは突発的に出現する、異常な魔力構造体であり、
放置すれば魔物を生み、地形を侵食し、都市すら呑み込む危険な存在だった。
学院の卒業生たちは、迷宮討伐の専門家として国家に認定され、
【
鉄槌を掲げ、迷宮に裁きを下す者たち──
それが、この国における最高の英雄像だった。
入学式の会場、石造りの講堂は、
巨大な半球状のドーム天井が高くそびえ、
青白い魔導ランタンが規則正しく並んで空間全体を照らしていた。
壁は滑らかに研磨された白灰色の石積みで、
支柱は太く、天蓋へ向かって緩やかなアーチを描いている。
その中心に設えられた壇上は、磨き上げられた黒檀の床と、
銀糸の紋章旗が掛かった演壇を備え、荘厳な空気をまとっていた。
その壇上に立つのは、王国軍出身の総教官。
威厳に満ちた初老の男は、飾り気のない濃紺の軍服を纏い、
胸には幾重にも重ねられた銀の勲章がきらりと光る。
ずらりと並ぶ制服姿の生徒たちは、石畳に敷き詰められた段状の席に整列し、
講堂全体が緊張に満ちた沈黙に包まれていた。
初老の男は静かに演壇に歩み寄ると、
鋭く教壇を叩き、生徒たちを見下ろした。
「迷宮は、人類にとって最大の脅威である!」
雷鳴のような声が講堂に響き渡る。
「迷宮は増殖し、地上を蝕み、我々の暮らしを脅かす。
この地を侵す脅威に対し、力を以って討ち滅ぼす者たち──それが諸君らが目指す
生徒たちが一斉に息を呑む。
「諸君らは、この学院で戦術を学び、魔力を鍛え、己が生命を武器とせよ。
拳を胸に叩き、生徒たちに叫びを促す。
「唱和せよ──!」
総教官の号令と共に、講堂中に響き渡る生徒たちの声。
「迷宮に鉄槌を! 人々に恵みを!」
拳がいっせいに胸に打ち付けられ、雷鳴のような轟音が講堂を満たす。
──そのときだった。
天井に吊るされた魔導ランタンのひとつが、突如、ガチリと不吉な音を立てた。
青白い光が一瞬、大きく脈動し──バチバチと火花を散らす。
ざわめく生徒たち。
ひときわ大きな火花が飛び、近くにいたミナが驚いて身をすくめた。
「──っ!」
咄嗟に、歩はミナの肩を引き寄せ、体を盾にするように庇った。
胸元に小さな震えを感じながら、歩は冷静に天井を見上げる。
──この世界の設備、まだ信頼性が低いのか。
火花はすぐに収まり、教官が鋭く一喝する。
「静まれッ!」
魔導ランタンは、ぎりぎりで安定を取り戻した。
ミナが、小さな声で呟いた。
「……歩君、ありがとう。」
歩は何も言わず、手を離す。
──ほんの数秒の出来事だったが、彼女の手の震えだけが、妙に長く感じられた。
「この程度の些事で
総教官は何事もなかったように再開する。熱狂が再度講堂を支配した。
──歩は、その熱狂の中で、静かに吐息を漏らした。
胸に刻まれた理念は確かに力強い。だが、どこか歪で狂信的だ。
些事とは到底思えぬトラブルの原因を冷静に分析しようともしない。
正義という名のもとに、破壊を礼賛する響きが、よく知る腐った組織の幻影と重なる。
完全に自分達の理念に酔っている。
(また同じか……)
皮肉にも、どの世界も、掲げる言葉だけは立派なのだ。
冷めた目で周囲を眺める。
怯え。
欲望。
短絡的な破壊。
──自分を裏切った奴等と、何も変わらない。
目先の利益にすがり、未来を食いつぶす。それでも、誰も今を疑わない。
この世界も、同じだ。
──この世界も、ろくでもない。
けれど。
ミナのような優しい誰かがいるかもしれない。
歩は、静かに息を吐いた。
──ならば、俺は違う道を探す。
誰も信じなくてもいい。
誰にも頼れなくてもいい。
裏切られた自分だけは──信じ続けなければならない。
この世界が変わる価値があるかどうか。
それは、まだわからない。
けれど、もし希望があるのなら──
歩は、心の奥底で、小さく拳を握った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます