3.大きな変化、小さな違い
天を衝く烈火の塔が、漆黒のページを縦に切り裂いている。
アイラの心を映したように燃えさかる炎の中で、薪が音を連ねて爆ぜていた。
熟練の野伏であるアイラは本来、このような無意味な焚き方を嫌う。だが、怒りにまかせて薪を組んだのだから仕方がない。
丸まって座るクッキーに身体を預けたアイラは、昼間に釣り上げ、殺菌効果のある笹の葉に包んでおいた
男は何度話しかけても、怒れるアイラは一言も返さない。
そうして過ぎゆく、無言の時――
ほっこり焼き上がったヤマメを男の鼻先に突きつけると、アイラはようやく重い口を開いた。
「……はい。とりあえず食べなよ。ヤマメ、好きだよね?」
「かたじけない」
小さく頭を下げ、串を受け取った男の言葉に、アイラの眉がピクリと動く。
「さっきからその話し方! 一体何のつもり? ふざけないでよ、エルド! 私のこと、本気で殺そうとしてたよね? ……特に二射目! あれ、結構危なかったと思うんだけど!?」
「すまない。僕は君と一度本気で戦ってみた――……こ、こほん! 拙者はエルド……殿下ではござらん! 見るがよい、彼の御仁とは髪色も、瞳の色もまるで違うでござろう! ほら、ほら!」
そう言って男は、髪を揺らめく炎に照らして見せた。
銀髪に、瞳はブラウン。金髪碧眼のエルドとは、確かに似ても似つかない。
だが、それだけだ。
容姿が変わったくらいで、何年も死線を共にした仲間を間違えるだろうか。
「あのね、エルド――」
「こ、この魚はまっこと美味! 懐かしい味でござるな」
男は両手で串を持ち、誤魔化すように豪快に、背中から丸ごとヤマメを頬張っていく。
その率直で自然な姿、エルドとこの男では、何かが根本的に違うように思えた。
(ち、違う違う! エルドはエルド。変な演技に惑わされちゃダメ!)
邪念を振り払うように首を左右に振り、わざとらしくアイラは息を吐いた。
「はぁ……呆れたよ。フランシス爺の魔法で容姿を変えて、限界距離まで〈
「はて、魔法……? 拙者、魔法のことはさっぱりで――……む、むぐぅ!」
ヤマメの中骨が刺さったのだろう。胸骨のあたりをトントンと叩きながら、男は呻き声を上げた。
「それに、その話し方。東方列島のホムラ姐さんの国に行ったときの『武士』の真似だよね? 私には馴染みがあるけど、この国の人は普通、そんなの知らないんだよ。ホムラ姐さんは訛り、隠してるし」
「あ……えと」
男は押し黙り、清流の水で割った蒸留酒を一気に傾けた。
困ったような表情も、エルドが見せたことのない顔だ。アイラの心はどうにも落ち着かない。
「……なんの話でござったか?」
「はぁ。もういいや、これ以上は聞かない。……エルドじゃないとしたら、あなたは一体何者? 夜の森で私とやり合えるなんて、ただ者じゃない事はわかるけど?」
空になった男の木の椀に蒸留酒を注ぎ、上目遣いでアイラはその瞳を覗いた。
「よ、よくぞ聞いて下さった! 拙者はエル――……ではなく、シグルと申す者! エルド殿下の命により、アイラ閣下の護衛に参った」
「ふぅん。……よりによってシグル、ね。ホムラ姐さん、怒っちゃうよ」
そう来たか。ため息を吐き、アイラは小さく肩をすくめた。
「拙者、王命によって東方へ武芸の修行に赴いており、五年間、王国を不在にしておったでござる。戻ってみればなんと、その間に魔王が討たれたと! 戦いしか能の無い拙者、職にあぶれて途方に暮れておったところ、旧友のエルド殿下に拾われここに……というわけでござる」
「よく出来た設定。それにしても、護衛って言ったよね? 護衛が警護対象者を殺そうとするの? このまま王都に戻って、雇い主のエルドに突き出してあげよっか?」
蒸留酒が良い具合に廻ってきたのだろう。
とろんとした目をしたアイラが、シグルと名乗った男が纏う衣の奥襟を掴んで引き上げた。
「い! いや、それは……! 拙者、修行を重ねたいち武人として、『風謳い』と名高いアイラ殿と、森林で一戦交えてみたかったわけであってからである故ご容赦を賜れれば幸甚にござると申すか――……」
ごちゃごちゃ何かを言いながら、降参とばかりに両手を小さく挙げてシグルは、ひっきりなしに首を左右に振っていた。
「ま、私も久しぶりに楽しめたから良いんだけどね。今度は昼間の平場で、訓練に付き合ってもらう――」
「それはもう、喜んでっ!」
喰い気味に、瞳を輝かせたシグルは言葉を被せる。
「……お手柔らかにね。ところでシグル、さっきの戦いで分かったでしょ? クッキーもいるし、私には護衛なんていらな――」
「それはなりませぬ! 如何に特例とはいえ、侯爵閣下が領地に戻るというのに護衛一人おらぬとなれば、王国の評判を地に落とすことに繋がりかねませぬ!」
興奮した様子でシグルは、再び言葉を被せた。
「やっぱり……。そういうところが
「う……ぐぅ……」
倒木の椅子に腰掛けたまま、シグルは小さく地団駄を踏む。
「はぁ。話は分かったよ。私だって、王様にも、エルドの顔にも泥を塗りたくなんてないんだ。あーあ、一人旅、楽しんでたんだけどなぁ……」
「!? そんな! 僕がどれだけ寂し――」
「あーあー!! 観念したよ、シグル。短い間だけど私の護衛、お願いね」
大声で言葉を被せたアイラは、蒸留酒が入った木の椀を掲げてぶっきらぼうに頭を下げた。
「せ、拙者は一介の従者にすぎませぬ! どうか頭をお上げください、アイラ閣下」
「はいはい。ところで、王国は大丈夫なの? だってエルド、勇者として、外交とか復興の指揮とか色々やることあるって言ってたじゃない?」
「ああ、それは心配ないよ――……お、おほん! その件に関しても、ご心配には及びませぬ。ドッペルゲンガーが、しっかり代役を務めてくれております故」
「ドッペルゲンガー!? そんなの神器の無駄遣いじゃない! フィオーレ様も真っ青だよ!」
「問題ござらん。五回の使用回数のうち、一度使ったにすぎませぬ故」
シグルは満月を仰ぎ、高らかに笑う。
「……今の、エルドが王都から出て行ったことを認める発言だってわかってる?
「んなっ! アイラ閣下、拙者に鎌をかけたでござるか!?」
目を見開き、シグルは声を荒らげる。
動揺しているのだろう、シグルが手に持つ木の椀の中で蒸留酒が波立ち、少しだけ外に飛び出した。
「まさかあんなのに引っ掛かるなんて思ってなかったんだよ。……エルドってそういうとこ、抜けてるよねー……」
「だから拙者は、エルド殿下ではなく――……!」
「わかったわかった。確か、旧友って設定だっけ? うん。エルドとシグルってよく似てるなーって、思っただけ。それじゃあ改めてよろしく、シグル」
「よろしくでござるよ、アイラ閣下」
二人は木の椀をこんと合わせると、天頂のまるい月が見えるほどに身体を反らせ、なみなみの蒸留酒を一気に飲み干した。
「よーし! 今日は初めましてって事で、主人たる私が、おいしい料理を振る舞ってあげよう! 春のキノコ鍋と、山菜の天ぷらでいい?」
少しふらつきながら立ち上がったアイラは、腕をくるくると回した。
「おお! どちらも酒の肴に最高でござるな!」
「でしょ? 今すぐ準備するから、シグルは蒸留酒でも呑んで待っててよ。クッキーのポーチの中に、お代わりまだまだあるからね!」
一人でいることも好きだが、気の置けない仲間と過ごした賑やかな夜もまた、アイラは大好きだった。
心のどこかで、環境が変わることへの不安と寂しさを感じていたのだろう。
調理を進める手は軽やかで、心も弾んでいる。
エルドだけど、エルドではない存在――
「シグル、シグル。……もう、変なの」
アイラは、嬉々として聞き慣れない名を何度も口ずさんでいた。
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