<16・コイゴコロ。>

 蓮花が本当は男だったことも、帝の妻である彼から告白を受けたことも康子に話せるはずがない。

 だから話せる内容は自然と限られている。縁花が嫁入り前に「好きな人がいたらしい」という噂を聞いていた、というものだ。


「その、蓮花様も実は……流石に落ち込んでいらっしゃるようなのです。縁花様と仲良くしたくてついつい意地悪をしてしまって、それが完全に裏目に出てしまったのではないかと。だから蓮花様を慰めたいのですが、なんと言えばいいのかもわからなくて……」


 それから、と映子は続ける。


「その縁花様なのですが。思い悩んでいた理由は後宮の人間関係だけではなかったのでは?という話があるのです。わたくしも、縁花様とは夜のお散歩の折などに話しをしていただいたことがあるので、今回のようなことは非常に心苦しい、というか」

「思い悩んでいたって?」

「縁花様には、この後宮に妃として嫁入りする前に、他の慕ってらっしゃった殿方がいらっしゃったようなのです。清い関係でいらっしゃったようですし、帝の妃になることでその想いは断ち切ったそうなのですが……それでも時々その殿方のことを思い出してしまうことがあり、帝を裏切っているのではないかととても御心を痛めておられたようで……」


 ものすごく事実を歪曲してはいるが、とりあえずはそういうことにしておこう。嫁入り前に他に慕っている者がいても、後宮に入った後で関係が断ち切れているのならば本来何も問題はない。あくまで、今の心は帝にあるのだということにしておけば、縁花の名誉が傷つくこともあるまい。

 本来なら縁花には、過去慕っていた人物がいたことも秘密にして欲しいとは言われていたが――それよりも絶対話せないヒミツができてしまった以上、ここはごめんなさいと言う他ないだろう。そもそも、彼女は生きているのかどうかさえ定かでないのだから。


「わたくしは……バレバレだったでしょうけど、最終的には妃になりたくて女官の試験を受けた身ですから、どうしてもわからないのです。まだ、本当の恋というものをしたことがなくて」


 しどろもどろにならないように、必死で神経を傾けながら映子は語る。


「結婚とは、親が決めるもの。もしくは身分の高い殿方に嫁ぐことができるのであれば、恋心などなくても幸せになれるものだと考えておりました」

「そうね。女官の多くはそう考えていると思うわよ」

「です、よね?だから……己が好いている人に嫁ぎたいとか、恋をしている相手とだけ体を繋ぎたいとか……そうでなければ心苦しいというのがあまりよくわからないのです。……康子様は、恋、というものをなさったことがあるでしょうか」


 尋ねてしまってから、これはなかなか残酷な質問だったのではと気づいた。

 女官になるということは、最終的に帝に見初められて妃になる可能性が充分にあるということ。それがわかった上で誰もが試験を受け、この地位を志す。もし後宮に入る前に好きな人がいたとしたなら――その人物を捨てて、帝に全てを捧げる選択をした、つまりはそういうことであるはずなのだから。


「……そうね」


 康子はすぐ傍にしゃがみ込み、地面に鍬を入れた。ざくり、と土が抉れる重たい音がする。まるで、何かの想いを打ちこんで晴らしたかのように。


「私にもいたわ。お慕いしている殿方が」

「そ、そうなのですか?その方と、ご結婚は……」

「ええ、したいと思っていたし……私も結婚の適齢期だったし、まあ少々やんちゃなところもあったから……やることもそれなりにやっていたのよ。でもね。その貴族の家が、大きな借金を作って都から逃げてしまったの。私の家から借りたお金さえ返してくれなかったわ」

「え……」


 あっさり語るには、あまりにも衝撃的な話だった。映子が固まると、昔の話よ、と康子は笑う。


「今でも、次男であったあの方は家の罪に加担していなかったと信じてる。でも……私を置いて逃げてしまったあの一家に対し、私の父はそれはそれは激怒していてね。とっ捕まえてお上に突きだしてやると叫んでいたものの、いくら探してもその行方はようとして知れず。……そんな相手の息子とまだ結婚したいなんて、言えるはずがなかったの。そして、あまり裕福でなかった我が家も返ってこなかったお金のせいで傾きかけていてね。結局、もっと身分の高い家に何が何でも嫁ぐしかないということになって……」


 ざく、ざく、ざく。

 過去の自分を抉るように、何かを壊すように、康子は鍬を振りおろし続ける。


「結局、女官になって援助を貰って、あわよくば妃の座を狙った方がいいのでは?という話になったわけ。あまり、貴女の家と変わらないんじゃないかしらね、この流れは。実際女官になる娘の家って、家の名誉と繁栄のためにってことがとても多いようだし」

「そう、だったのですか」

「そうよ。……やだ、そんな顔しないで。本当に話したくもない話なら、貴女にこうして語ったりはしないわ。私が話したいから話しただけなのだから」


 一つ言えることは、と彼女は続ける。


「私はそんなお父様の反対を押し切ってでも、あの方を探そうとは思わなかったし……あの方以外に嫁ぐのなんて絶対嫌だとも思わなかったということ。確かに、私はあの方を愛していたけれど……私にとっての愛は、お金や名誉よりも軽いものだったということでしょうね。だからきっと、望んだ地位や栄誉が得られるのなら……私は、恋などしていない相手とも閨を共にすることができると思うわ」


 きっと。

 そういう結論に至るまで、彼女なりに思い悩んだこともあったのではないか、と映子は思う。愛よりもお金の方が大事、なんて。本当は、簡単に比べられるようなものではなかったはずだと。愛したその人がいなくなってしまった時、探したい気持ちがまったくなかったはずがない。でも。

 貴族の娘が。家長たる父の方針に、簡単に逆らえたはずもないのだ。それは、同じく貴族である自分が一番よくわかっていることである。

 出来ないことを望むのを、諦めた。それが自分の意思だと言い聞かせた。それが、今の康子なのではないか――なんて。あくまで映子の、邪推でしかないのかもしれないけれど。


「私達は、女よ。本当はどのような男子よりも明晰な頭脳があっても、見た目よりずっと体力や力があっても、今のこの国は女性の権限があまりにも弱いわ。それこそ、家長が必ず男と決まっていて、妻はそれに付き従うのが当然とされている時点でおかしなことよね」

「……康子様も、そのように思ったことがあるのですね」

「そうよ。というか多分、身分の高い娘であればあるほどみんな不満に思っていることでしょう。……でも、仕方ないの。そう法律が決まっていて、それに逆らう術がない以上は。……だから本気で何かを変えたいなら、その世界全てに逆らう覚悟か……その世界を根本から変えてやるぞという、強い決意が必要となってくるわ。第一妃になれば、その願いが叶う可能性もきっとあるのでしょうね」


 第一妃に、なれば。その点については疑問があるが、それ以前の部分では康子の意見は至極真っ当なものに思えた。

 要するに、問うべきは自分にとって何が一番大切なのか、ということではないか。

 それがもし、帝の意思に背くことや、地位や名誉を捨てることなのであれば。世界を敵に回してでも抗う覚悟か、その世界そのものを自分の望むように変える決意が必要だと、そういうことなのだろう。


「もし……不名誉を被るのだとしても、愛した人とだけ結婚して体を結びたいのであれば。その愛のために、全てを捨てる覚悟が必要ということですか」


 映子が言うと、極論を言えばそうなるわね、と康子は頷いた。


「自分より地位が上の貴族と相思相愛になる、あるいは帝と相思相愛になって結ばれる。それが一番、何もかもが叶った理想の結婚なのでしょう。でも、それが叶う女性は、この国においてはあまりにも少ないものだと言えるわ。それこそ、庶民と貴族で結婚することがままならないように、帝に真に愛される妃が一人だけであるように、ね。……だから結婚するのならば、最終的に私達は問われることになるの。愛を選ぶか、地位や権力を選ぶか。……愛する人としか結ばれたくない、苦しいと思いながら権力に阿るのは、相手の方にとっても失礼なことではないかしら。縁花様の場合はその様子だと、帝の方に申し訳なさを覚えていたようだけれどね」

「……そう、ですね」

「そういう話を聴いて、恋とはなんたるか、と怖くなってしまう気持ちはわかるわ。だから私ができる助言は一つだけなの」


 鍬を下ろし。

 康子は真っ直ぐに映子を見て、言ったのだった。


「この後宮に来た以上、恋などするのはおやめなさい。その方が幸せよ。……その恋を貫くため、全てを捨てる覚悟がないのなら」


 果たして彼女は、どこまで映子の本心を見抜いていたのだろうか。この後宮に訪れる男性などほぼ帝一人しかいない。帝に恋をして妃になれるのなら、それが一番幸せなことであるはずだというのに――彼女ははっきりと、恋などしない方がいいと告げたのだ。


――全てを捨てる、覚悟、か。


 脳裏に、蓮花の淋しそうな笑顔が浮かんでは消えて行った。ずきり、と痛む胸が意味することはなんなのだろう。

 自分は、彼女――否、彼をどのように思っているのだろう。性格に難はあるものの、魅力も確かにある友人のような存在。あるいは姉のようなもの。同性であると思い続けていたのなら、きっとそのような認識でいつまでも留まっていただろうに。


――わたくしにとって、一番大切なものって……?


 残念ながら。考えても考えても、今すぐに必要な答えは出そうにないのだった。

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