<7・オンチ。>
春舞台が有名ではあるが、そもそもこの国では高貴な女性の教養の一つに歌と舞は含まれている。歌が上手く、舞が得意であることが何より女性として魅力的であると受け取られるのだ。ちなみに、歌と舞の種類は変われど、男性であっても重要視されるものであるのは間違いない。女性は基本的には扇子を持って舞う踊りが基本、男性は剣を持って舞う踊りが基本。あでやかな足運び、そして楽曲の音と拍子を外さずに歌い踊りきれること。妃の身分ともあれば、必修科目と言っても差支えないものだった。
特に、楽しみが少ない後宮では二月に一度開かれる『花舞台』は神儀も兼ね備えている。神様と帝の御前で歌と舞を披露し、尊き者達を楽しませるという名目だ。基本的に主演を張るのは妃たちであるために、女官はほぼ裏方に徹することになるはずだったのだが。
「映子、貴様も花舞台に出ろ。これは決定事項であるぞ」
「はい!?」
チョットマテ、なんで突然そうなった。
蓮花の御付きになってから、もうすぐ一カ月になろうという時。唐突にそのようなことを蓮花から言いだされ、映子は眼をひんむくことになったのだった。
「き、妃の皆様方が出るような舞台に、何で女官のわたくしが!?」
わたわたしながら言うと、何故そこまで狼狽するのだ、と蓮花は呆れた様子で言う。
「貴様だって貴族だろう、歌と舞は嗜んでいるはずだ。というか、歌と舞があまりにもヘッポコだったら女官の試験に合格してないだろうが。何をそんなに慌てる必要がある。あと一月あれば、曲の一つくらい舞えるようになるだろうが」
「そ、それはそうなのかもしれませんけど!でも!女官が一緒に出るなんて……!」
「過去にはそういう舞を披露した者もいたらしいぞ。別に貴様が初めてというわけでもない。そもそも、まだ曲目も決まっておらんのだし、貴様には助演を任せたいというだけのこと。主役をやれだの一人で踊れだのとは言っていないだろうが」
「そうかもしれませんけどおおお!」
部屋に呼ばれて早々、まさかこれが用件だとは思わなかった。いやはや、毎日のように蓮花になんだかんだと用事を言いつけられ、やれあの本を探せだの帯を代えたいだのどこぞの花を見つけて来いだの風呂掃除をやれだの――と振り回されることには慣れてきたつもりだったが。こればっかりは、完全に予想の斜め上だったと言っても過言ではない。
なるほど、前例がないわけではないのなら、女官と妃がともに舞を披露すること自体に問題はないのだろう。だが。
――い、い、言えない……。
何が何でも、舞台に上がりたくない。上がったらほぼ十割十分、確実に笑いものになってしまう。宋家の方もなんと言われてしまうやら。
「……ふふーん?」
そんな映子の様子を見て、蓮花は何かを察したということらしい。にやりと笑って、つんつんと映子の額をつっついてきた。
「よし、第一妃蓮花の命令ぞ。今ここで一曲、何でもいいから歌って舞ってみよ!」
「は!?」
「ほれほれほれ、妃直々の命令を断るつもりか?それは命令違反というものだなあ、帝に報告せねばならんなぁ~」
「―――――っ!」
何だこの、超絶性悪な女!反論の余地もなく、映子は震えるしかない。確かに、この部屋には今蓮花と映子の二人しかいないのは事実だ。そして、部屋の中で情事を行うことも想定して、外にはあまり音が漏れないような構造になっているらしいという噂も聴く。が、あくまでそれは音が漏れにくいだけであって、まったく聞こえないというわけではないはずなのだ。
映子の場合、問題なのはその音、の方である。何故ならば。
「ほら、さっさとしろ。長く舞い踊れとは言わん、扇子も今は不要だ。簡単なものならこの場でも出来るだろうし、覚えているだろう?」
嫌なのに。滅茶苦茶、滅茶苦茶、それはも滅っ茶苦茶に嫌だというのに。
渋々映子は寝具の前に立ち、面接の折に披露した演目――花吹雪心中を披露した。これは、イコザクラの木の精霊に恋をしてしまった男が、現世で結ばれぬ運命を嘆いて精霊と心中を図るという物語を歌にしたものである。金もあり、土地もあり、美しい容姿と身分の高い貴族の地位もあり。それでもなお、人間の身であるがために精霊と結ばれることが叶わない悲劇。男が舞いながら、自らを共にあの世に連れていってほしいと精霊に懇願し、精霊はその男の意思の強さに負けて桜吹雪の中男を連れ去ってしまうという話である。これは、小説にもなっているし、舞台化もされていたはずだ。庶民も貴族も問わず、舞台としても人気の演目であったはずである。
舞にするのは、その最後の場面。まさに男が、自分を連れ去ってくれと願って舞い踊るところである。まるで酒にでも酔ったかのように足をもつれさせ、全身で嘆きを露わにして地面に手をつき。訴えるようにもがきながら立ち上がり、己の狂わしいまでの恋情を伝えようとするところから始まる。
「ほう?悪くないではないか」
蓮花の感心したような声が聞こえた。ああそうですとも、と映子は思う。実は、舞の技術にはかなりの自信がある。特に、全身を使って登場人物の感情を表現する技術は相当高い方だろうという自負があった。
それを可能としているのは、映子の高い身体能力である。女官の仕事はあくまで妃の身の周りの世話を中心とした雑務、事務作業ではあるが。有事の際は、命をかけて妃と帝をお守りするというのも仕事としては含まれているのである。ゆえに、女官は基本的に邸内であっても小刀を肌身離さず懐に忍ばせておく。これは、万に一つ敵国が攻めてきた時、帝や妃に名誉ある自害を齎すための道具であるともされていた。――まあ表の警備を突破してここまでどこかの国が攻めいってくるようなことがあれば、既に北皇国そのものが終わっているだろうが。
ゆえに、女官の試験には、身体能力を図るような実技項目も含まれている。日々鍛錬を続けてきた映子は、その試験をほぼ完璧な形で合格していた。足を大きく広げたり、爪先であっても安定して立つことのできる平衡感覚。不安定な姿勢でも空中で張りついたように維持することのできる筋力。それらは全て、日頃の鍛錬で培われたものである。
そう。
舞、はいいのだ。帝の前で披露してもなんら恥じることはないと思うほどに。しかし。
「い、愛し人よ、此の聲が聴こえた、な、らば~!」
ずるり、と寝具に腰かけていた蓮花がずっこけるのが見えた。
そう。
とても悲しいことながら、映子は音痴なのだった。それはもう、両親も面接官も目をひん剥いて椅子から転げ落ちるほどには。
「我が身を、そ、そなたーのおわす、常世へとぉ~!」
「も、もう良い。良いわ映子。なんかこう、いろいろと察してしまった」
「でしょうね!」
ああ、だから嫌だと言ったのに。ぷくくくく、と肩を震わせている蓮花がなんとも憎らしいと言ったらない。
女官の試験に挑むにあたり、歌に関してもそれはもうもの凄い特訓を(語彙消失)したのだ。両親も兄も付き合ってくれたし、なんなら無いお金を絞って専門の教師まで付けたのである。それなのに、まったく駄目だった。耳で聞いている通りの音を、ちっとも自分の聲で表現できないのである。“は”の音を出しているつもりなのに、聴いている人間にも自分にも『“は”なのか“に”なのかわからない』となる始末。それに加えて、拍子を取るのもヘタクソがすぎるのである。音を取るのに必死になっていれば、ますます歌が遅れに遅れる。母には死んだ目で、「まるでどこぞの巨大な熊が風邪でもひいて呻いているような有様だわ」なんて言われる始末だ。
「……正直に申して良いか?そのザマでどうやって試験を合格したのだ」
あの蓮花に、露骨に憐れむような眼を向けられる残念っぷり。やや涙目になって映子は叫んだ。
「筆記試験と、護衛術試験、舞の面接などでほぼ満点を頂きましたのよ……!そ、それで総合点がどうにか、どうにか……!」
「……おう、察した。いや、なんとなくそのようなことではないかなぁとは思ったが……ぷぷぷ、まさかここまでとはなぁ」
「や、やかましいですわ!わ、わたくしだって好き好んで音痴になったわけではありませんの!!」
そこまで笑わなくてもいいではないか。本気で悲しくなってきた。
自分だって、ずっと頑張ってきたのだ。他の試験はほぼ完璧にこなせる自信があったのに、この歌だけがいつまでも改善する気配がなかったものだから。はっきり言って、この歌の試験だけで全てがダメになるのではないかと本気で心配していたほどである。なんとか他の試験の点数で賄うことができ、合格に至ったというわけだが。
「人間は、頑張ってもどうにもならないことがあるのです!そのように笑われたら、わたくしだって……!」
思わず、本音を零してしまった。多少毒を吐いてもまったく帝に報告する気配がなく、なんだかんだと妙な関係を許してくれている(?)らしい蓮花相手だからと油断があったのも事実である。だから。
「そうであろうか」
「え」
「生まれた身分の差、境遇や環境の差。それと比べたら、このような試練さほど大きなものではないと感じるがな」
その言葉に、はっとしたのだった。映子はすっかり忘れていた。元々は、蓮花がそのような教養を得ることのできない――花街に売られてしまうような、貧民の家の出であったということを。
「見ておれ」
彼女は特に気分を害した様子もなく立ち上がると、動きにくい派手な藍色の着物のまま――しゃん、と、片足を持ち上げて立った。それは、花吹雪心中の最初の姿勢である。
――ま、まさか……!?
彼女はそのまま足をふらりともつれさせて地面にしゃがみこみ、嘆くようにはいつくばって精霊に希う様を演じる。艶めかしく動く白い足、腕。同性であるはずの映子が思わず目を奪われるような、香り立つ色気に満ちた所作であった。
そしてもがき苦しむ様を存分に見せつけたところで、中腰になって宙を掻きながら歌い始める蓮花。その喉が、ひくりと色っぽく動く様を、確かに見た。
「嗚呼、愛し人よ。此の聲が聴こえたならば……どうかこの憐れな姿を見に、現れてはくれまいか!」
高すぎず低すぎず、遠くまで響き渡るような力強い声だった。しゃん、と腕を強く振り上げ、空手で扇子を振るうように手首を動かす。
「嗚呼、我が願いはただ一つ!我が身を、そなたのおわす、常世へと連れ去ってくれ給え。他には何も、祈る事無し……!」
歌い舞ったのは、極めて短い時間だけであったはずだ。しかしその僅かな時間に、確かに映子は彼女の周りに白い桜吹雪が舞い散る様を幻視したのだった。その瞬間、此処は後宮の寝室ではなく、クノザクラが咲き誇る都の川岸となっていた。まるで、今にも精霊が降りたって来そうな。
「……凄い」
思わず、素直に感嘆に息を漏らしていた。すると蓮花は苦笑して、これくらい造作もないことよ、と笑う。
「そして、これ程度ならば貴様にもすぐできるようになろうぞ。私が見たところ、貴様は耳で聞こえている音がズレているのではなく、聞こえた音を正確に発声するのが苦手なだけであろう。そして、混乱するあまりに拍までもが遅れてしまうのだ」
「え?」
「つまり、まずは発声の練習から丁寧に訓練していけば良いだけのこと。安心するがいい、私自ら練習に付き合ってやろうぞ」
「ええええ!?」
拒否権など、あるはずもなかった。同時に、自分にもこのような歌が歌えるようになるのか、と少しばかり気分が高揚したのも事実だったのである。
我儘で、面倒くさい。そう思っていた蓮花が、実はとても世話好きな性格なのかもしれないと気づかされた瞬間だった。
映子はその日から、妃である蓮花に歌を教わるようになったのである。
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