第10話
あのとき、空が光ったのは偶然じゃなかった。
唄を終えた俺の耳に届いたのは、歓声でも拍手でもなかった。ただ、すっと空気が変わる音。風が息を飲んだみたいな、静かな共鳴だった。
何かが俺を見ていた。そう感じた。
それは、たぶん人じゃない。見えないけれど、確かにそこにいるもの。神と呼ばれる存在か、もっと古い命の源か──俺にはまだ分からない。でも、俺の唄は、きっとそれに触れた。
息を吐いた。長く、深く。
身体の奥にあった熱が、すこしだけ冷めて、代わりに心が澄んでいくのが分かった。
気づけば、村の人たちは誰も言葉を発していなかった。ただ、焚き火のぱちぱちという音と、夜風のゆらぎだけがそこにあった。
誰かが──おばあさんだった。そっと手を合わせた。
その動きに、他の人たちも続いた。静かに、けれど確かな敬意をこめて、全員が同じように頭を垂れた。
俺は、たぶんそれにふさわしい唄を唄ったんだ。
ああ、俺は──ここにいていい。
その確信が、ようやく、胸の奥に根を張った気がした。
フウナがゆっくりと近づいてきて、俺の隣に並んだ。目を合わせると、彼女はただ一言だけ呟いた。
「ぬーやいびーん(ありがとう)」
その言葉が、俺の胸を軽くした。
“ありがとう”って、たったそれだけの言葉なのに、なんでこんなに重たいんだろうな。俺が今まで生きてきた世界では、そんな言葉、ほとんど聞いたことがなかったのに。
祭りの夜はそのまま静かに、更けていった。
誰かが奏でるサンシンの音が続いていて、その音に合わせて子どもたちがゆらゆらと踊っていた。誰も彼もが笑っていて、誰もがそこに“ある”だけで祝福されているような夜だった。
俺はその場を離れて、ひとり、浜辺へ向かった。
波打ち際に腰を下ろして、足元を洗う海の冷たさを感じながら、満天の星を見上げる。
風が吹いていた。唄が、風の中に溶けていった。俺の声じゃない誰かの声が、夜空を渡っていた。
この島では──唄が生きてる。
そう、思った。
唄が命で、唄が言葉で、唄が祈りで、唄が力で。
俺が持っていた“役に立たない”と言われた力は、ここでは生きていた。正しく、まっすぐに。
──ああ、きっとこれが“帰る”ってことなんだな。
海の向こう、王都のギルドで過ごした日々が、今は遠い。
あの頃の俺は、何かになろうとしていた。ただ“認められる存在”になりたくて、自分の声を否定し続けていた。
でも、もう違う。
今は唄える。俺の声で。俺のままで。
夜の静寂の中、波と風と、そして星々のささやきに包まれながら、俺はそっと目を閉じた。
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