第35話

 シェルフィード領へ向かう旅の二日目の夜。

 俺たちは街道から少し外れた開けた場所でキャンプを張っていた。


 パチパチと心地よい音を立てて燃えるキャンプファイアの炎が、俺たちの顔を暖かく照らし出している。

 周囲には人工の灯りが一切なく、頭上には降ってきそうなほどの無数の星々が、ダイヤモンドを散りばめたように輝いていた。


 まるで、黒いビロードの布に、誰かが光の粉を撒いたみたいだ。

 リルナは俺の隣に座り、膝を抱えてじっと空を見上げている。

 その横顔は、炎の揺らめきと星の光に照らされて、どこか儚げに見えた。


「綺麗だな、星。こんなにたくさんの星、日本じゃ絶対に見られなかったよ」


 静寂を破るように、俺は呟いた。純粋な感想だった。


 リルナは俺の声に気づき、ゆっくりとこちらを向いた。

 その碧い瞳には、星空が映り込んでいる。彼女は少しだけ悲しそうに微笑んで、静かに言った。

 

「……本当の星空は、もっと……ずっと、美しいんです、ハル様」

「本当の?  今見えてるこれも、すごいけどな」


 俺が不思議そうに聞き返すと、リルナは視線を焚き火の炎に戻し、しばらく躊躇うように唇を噛んでいた。

 やがて、意を決したように、ぽつりぽつりと話し始めた。


 それは、俺が今まで知らなかった、彼女の秘密だった。


「シェルフィード家は……私の家は、代々『星見の巫女』を輩出する名家、とされています。普通の人間には見えない星、まだ生まれていない新しい星、そして……もう輝きを失って久しい、死んだ星……それら全ての星をその瞳に映し、世界の理を読み解く力を持つ女性が、何世代にもわたって生まれてきました」

 

 彼女は自分の膝をぎゅっと抱え、揺れる炎の先を見つめている。

 その声は、夜風に震えているようだった。

 

「私にも……本当に小さい頃は、ほんの少しだけ、その力があったんです。夜空を見上げると、他の子には見えない光の点が、いくつか……見えていました。でも……」

「でも?」


 俺は静かに続きを促した。

 彼女が何か重いものを抱えているのは、ここ数日の様子で薄々感じていた。


「……姉が、いたんです。私より五つ年上の……とても優しくて、美しい姉でした」


 リルナの声が、微かに震え始めた。

 

「姉は……稀代の『星見の巫女』と、周囲から大きな期待を寄せられていました。どんな遠い星も、どんな微かな星の光も見逃さない……あらゆる星を見ることができるほどの、強い力を持っていた、と……」

 

 そこまで言って、リルナは言葉を詰まらせた。

 彼女の肩が小さく震えている。


「でも……七年前、『星見の儀』が執り行われた後……姉は……姉は、消えてしまったんです」

「消えた……? どういうことだ?」


 事故か、病気か……いや、彼女の言い方はもっと不可解な響きを持っていた。


「……死んだ、と皆は言います。儀式の強大な力に耐えきれず、その魂を使い果たしてしまったのだと……」


 リルナの大きな瞳から、ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ち、炎の光を反射してキラリと光った。

 

「でも、私には……私にはどうしても、そうは思えなかったんです。あの夜、儀式の最後に、姉の身体が眩い光に包まれて……そのまま、空に昇って、一つの美しい星になったように……私には、そう見えたんです。誰にも……誰にも信じてもらえませんでしたが……」


 彼女は声を押し殺すようにして泣いていた。

 その小さな背中が、あまりにも痛々しくて、俺はかける言葉も見つけられずに、ただリルナの涙を見つめることしかできなかった。


 しばらくして、リルナは涙を手の甲で拭い、顔を上げた。

 その瞳は赤く腫れていたが、どこか吹っ切れたような表情をしている。

 

「姉がいなくなってから……私の、ほんの僅かだった『星見』の力も、完全に消えてしまいました。もう、普通の星さえ、よく見えなくなって……。おまけに、期待されていた魔法剣の才能も、姉と比べられるうちに、いつの間にか花開くことなく……私は、シェルフィード家の落ちこぼれ、家の恥、と言われるようになりました」

 

 彼女は自嘲するように微笑み、再び夜空を見上げた。その横顔が、ひどく寂しそうに見えた。

 

「でも……ハル様と出会ってから……王都で、あなたの側にいるようになってから、本当に少しずつですけど……また、見えるようになったんです」

「見えるようになった?  何がだ?」

 

 俺が尋ねると、リルナは自分の手のひらを見つめながら、小さな声で答えた。

 

「……星、です。誰も見えないはずの、特別な星が……ほんの僅かですが、また見えるようになって……。でも、最近……また、見えにくくなってしまって……」


 彼女の声には、焦りと不安が滲んでいた。

 

「母上……家は、『星見の儀』を行えば、私の失われた力が完全に復活する、と言っています。でも……」


 リルナはそこで言葉を切り、震える手で、首から下げていた小さな革袋の中から、何かを取り出した。

 それは、鈍い銀色の光を放つ、古びたメダルだった。


「これは……姉が、最後に私に残してくれたものなんです。『いつか、あなたが本当の星を見るために』……そう言って……」


 メダルの表面には、見たこともないような複雑で精密な星図が、びっしりと刻み込まれている。

 それはまるで、宇宙の縮図のようだ。


 俺の肩の上で黙って話を聞いていたピノが、そのメダルに気づき、興味深そうにそっとリルナの手に近づいて、小さな顔でそれを覗き込んだ。

 

「……む。この紋様は……どこかで見たことがあるな……。そうだ、これは……『案内人』が使う、古代のコンパスか何かの紋章に、酷似しているぞ」


 リルナが驚いたように顔を上げた。

 

「案内人……?  それは、ハル様の職業と、何か関係があるのでしょうか……?」

「わからん。だが……何か、重要な繋がりがあるのかもしれんな」


 ピノは、いつになく真剣な表情でそう言った。

 その小さな瞳が、鋭い光を宿している。


 リルナはメダルを胸に強く握りしめ、再び星空を見上げた。

 その瞳には、深い恐怖の色が浮かんでいる。

 

「私は……恐いんです。もし、儀式を受けて……姉のように、私も……消えてしまったら、と……」


 彼女の告白は、夜の静寂の中に、重く響いた。


 俺は、何も言わずに、そっとリルナの肩に手を置いた。

 慰めの言葉なんて、今の俺には見つからなかったから。


 ただ、彼女の孤独と恐怖を、少しでも和らげることができれば、と。

 俺の手がリルナの肩に触れた、その瞬間。


 リルナの周りに、ふわりと、ごく淡い、金色の光の粒子が舞ったように見えた。

 それはすぐに消えてしまったが、リルナがハッとしたように目を見開いた。


 彼女の濡れた瞳に、まるで夜空の星々がそのまま映り込んだかのように、無数の小さな光がキラキラと輝き始めていた。


「ハル様……」


 リルナが、夢見るような、小さな声で呟いた。


「……あなたの周りには……いつも、誰にも見えないはずの、たくさんの星が……優しく、輝いています……」


 その言葉の意味を、俺はまだ、完全には理解できなかった。

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