第33話

 俺は椅子に腰かけ、ひじ掛けに頬杖をつきながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 昼間のリルナの様子が、どうしても頭から離れない。


「リルナのやつ……何か隠してるよな、絶対」


 思わず、独り言が漏れた。

 あの手の震え、包帯、そして時折見せる翳りのある表情。

 明らかに普通じゃない。


「ふん、やっと気づいたか。相変わらず鈍感な観測者だな、お前は」

 

 不意に、部屋の隅の本棚の方から、聞き慣れた少し生意気な声がした。

 見ると、知識妖精のピノが、俺の背丈ほどもある本棚の最上段から、埃っぽい古びた革装丁の本をよいしょ、と引きずり出しているところだった。

 緑色のとんがり帽子に、同じ色の小さなマントを羽織ったピノは、トンボみたいな薄い羽根をぱたぱたさせながら、器用にその本を抱えて俺の机まで飛んでくる。


「なんだよ、ピノ。お前、何か知ってるのか?  リルナのこと」


 俺がそう言うと、ピノはドサリ、と机の上に本を置き、ふんと鼻を鳴らした。

 

「知ってるも何も、あれだけ分かりやすければな。いいか、ハル。お前のその『観測者』としての能力がどう働いているのかは知らんが、リルナの魔力には、現在、異常な乱れが生じている」


 ピノはペラペラと古書のページをめくりながら、学者ぶった口調で説明を始める。

 その小さな顔には、いつものからかうような色合いはなく、妙に真剣な光が宿っていた。

 

「まるで……そう、二つの相反する巨大な力が、彼女の魂の中で激しくせめぎ合っているような……そんな感じだ」

「二つの相反する力?  どういうことだよ、それ」


 俺にはさっぱり意味が分からない。

 魔力の乱れって言われても、俺にはそんなもの見えないし。


 ピノはため息をつき、まるで出来の悪い生徒に教えるみたいに、大げさに首を振った。

 

「だから言っているだろう。彼女の中の『信仰』と、おそらくは『別の感情』とでも呼ぶべきものが、激しく相克しているのさ。お前という規格外の『観測者』を、盲目的に『神』として崇める気持ちと……それから、一人の『人間』として、もっと俗な感情で見る気持ち。その二つが、彼女の中で嵐のようにぶつかり合っているのかもしれないな」


 ピノの言葉に、俺は思わず窓の外に広がる星空を見上げた。

 無数の星が、静かに、でも確かに瞬いている。

 

「でもさ、それだけであんなに手が震えたり、得意なはずの魔法が全く使えなくなったりするもんなのか?」


 俺の疑問に、ピノは「それだけじゃないだろうな」と呟き、机の上の古書の中から、さらに別の、一回り小さな羊皮紙の束を取り出した。


「実は、ここ数日、リルナの家系……シェルフィード家について、少し調べていたんだ」

 

 ピノは羊皮紙の紐を解きながら、意味ありげに俺を見る。

 

「どうやらあの家は、代々『星見の巫女』と呼ばれる特殊な役目を担う人間を輩出してきた、由緒ある名家らしい」

「星見の巫女……?  星を見る巫女、ってことか?」


 なんだか、急にファンタジーっぽい話になってきたな。


「ああ。夜空の星々の配置や輝きを通して、世界の運命や、隠された真理の一部を『観測』し、人々に伝える……そういう特殊な能力を持つ者たちのことだ。もっとも、ここ数百年は途絶えていたらしいがな。……ん? ちょっと待て」


 ピノはそこまで言うと、突然言葉を切り、羊皮紙から顔を上げた。

 小さな尖った耳がピクピクと動いている。

 羽根を数回羽ばたかせると、素早く窓際に飛び、夜空を食い入るように見つめ始めた。

 

「……おい、ハル。今夜、何かおかしな星の動きはなかったか?  例えば、普段見えないはずの星が見えたり、星の配置がいつもと違ったり……」


 俺もピノに促されるまま、椅子から立ち上がって窓に近づき、夜空を見上げた。

 

「うーん……。俺には、普通の星空にしか見えないけどな……。いつも通り、綺麗だとは思うけど」


 そう言って、何気なく空の一点を指差した、まさにその瞬間だった。

 

 ス――――ッ……。

 

 夜空を切り裂くように、一筋の明るい流れ星が、尾を引きながら地平線の彼方へと消えていった。

 そして、それとほぼ同時に、遠く、リルナの住んでいる迎賓館の方角だろうか、ほんの微かだが、チカッと小さな光が灯ったように見えた。


「やはりな……」


 ピノが、確信したような低い声で呟いた。

 彼の翡翠色の瞳が、暗闇の中で鋭く光っている。

 

「リルナの故郷は、確か『シェルフィード辺境伯領』とか言ったな。あそこで近々、何百年かぶりに、古い儀式が復活するという噂を耳にした。『星見の儀』……星々の力を借りて、巫女に神託を下ろすという、古の儀式だ」

「その儀式が、リルナと何か関係あるのか?」


 俺の問いに、ピノはゆっくりと首を横に振った。

 

「今のところ、それは分からん。だが……」


 ピノの視線が、ふと、窓辺に置かれていた一通の封筒に向けられた。

 それは、見慣れない紋章の蝋封がされた、少し古風な手紙だった。

 俺宛に届いていたものだが、まだ中身は見ていなかった。


「その答えは、あるいは、もうすぐお前の元に届くのかもしれないな、ハル」


 ピノはそれだけ言うと、意味深な視線を俺に向けた。


 窓の外には、相変わらず美しい星空が広がっている。

 だが、今の俺には、その星々のひとつひとつが、何か秘密を囁いているように思えてならなかった。

 そして、その中には、俺にはまだ見えない、特別な星々が瞬いているのかもしれない、と。

 

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