推理ができない名探偵のおはなし

酒吞堂ひよこ

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 警察署にも霊安室があるなんて知らなかった。警察署内の一室ではあるが、どこか物置然とした部屋。遺体の腐敗を防ぐ目的だから当然なのだが、夏も目前だというのにひんやりと肌寒い。警察署の空気から切り離されたようだ。瀬田透真は無意識のうちに、重ねた両指をすりあわせていた。

 左右には引き渡しを待つ遺体を保管する冷凍庫。

 前方に、形ばかりの線香と蝋燭。背後には事件の担当刑事がふたり。その中心に、ステンレス製のストレッチャーに寝かせられた被害者の遺体があった。

 柳原桃花、二十一歳。ハイブリーチしたボブは、根本が黒くなっていた。死因は頭部打撲による頭蓋骨骨折と硬膜外出血。

 彼女は仲間内と宅飲みをしている途中、煙草を吸いにアパートの外に出ていた際に殺害された。飲み会場所となったアパートの住人は石川春斗。その他の友人らは、長門大地、笹沼華、松岡咲の計四人だが、犯行時刻には全員にアリバイがある。

 事件についての連絡を受けてから、伝えられた情報はこれだけだった。凶器は見つかっていない。アパートの外は路地とはいえ通りに面しており、通り魔による犯行の可能性も否めない。

 透真と並んで立っていた人影が、一歩、また一歩と踏み出し遺体に近づく。霊安室の空気が揺れ、微かな腐敗臭が鼻腔に触れた。

 儀式のような厳かな雰囲気を纏いながら、その人物は遺体の横まで来る。同年代の人間に比べて華奢につくられた手が、遺体の頬をそっと挟む。これから口づけをするように、向き合ったふたつの顔が近づく。触れたのは唇ではなく、額と額だったが。

 その時間が長いのか、短いのか透真にはわからない。

 額を離して振り返ったあと、なんの感情も抑揚もない声が、透真の後ろにいる刑事らに告げた。

「犯人は、松岡咲だ」



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