第21話

その夜、アージェント第六セクターの居住ブロックは、まるで日常そのものだった。

都市の喧騒が遠ざかり、人工灯に照らされた廊下を歩きながら、俺は自分の部屋へと戻っていた。


途中、窓の外に見えたのは、東京湾岸に浮かぶ第十二防衛ドームのシルエット。

その向こう、夜空の片隅に、ぼんやりとした黒い球体が浮かんでいるのがわかった。


──スフィア。


遠いが、確実にそこにある。

何も語らず、何も動かず、それでいて都市全体をじっと見下ろしているかのような存在。


ミラがその視線を感じ取ったのか、声をかけてきた。


「ユウト、確認します。精神波にわずかな変動あり。──恐怖、または緊張に近い感情が検出されました」


「……ああ。なんだろうな、スフィアを見るたび、どこか胸がざわつく。怖いとかじゃないんだけど」


「あなたの《構造解析》スキルは、未知の構造に対する“認識反応”を起こしやすい傾向があります。

スフィアは未だ解析不可能な存在──それが、あなたの脳に刺激を与えているのでしょう」


「……わかる気がする。あれを“見てはいけないもの”だと思う一方で、“見なくちゃいけないもの”でもあるんだ」


部屋に入る。自動で灯りがともり、エアコンが最適温度に調整される。

デスクに腰を下ろして、ミラのホログラムがゆっくりと浮かぶ。


彼女はいつも通りの姿で、でも今日の彼女は、どこか柔らかかった。


「あなたは、変わりましたね。初めて《構造解析》を使った日のログと、今日のログを比較すると、明確な差異があります。

演算効率や反応速度だけでなく、意識の深度。──“誰かのために使う”という意志が、演算に変化を与えているのです」


「俺が、変えたんじゃなくて……変わらせてもらったのかもしれないな」


「リオナさんの存在、ですね」


「うん。彼女と戦って、連携して、わかったんだ。構造を読むってのは、壊すためじゃなくて、知るための手段なんだって」


ミラが小さく微笑む。


「あなたの視界は、すでに次の階層へと入っています。

これから先、より複雑な構造と、より深い意志の交錯に触れていくことになります」


「覚悟はできてる」


その瞬間、室内のモニターが一斉に変化した。

赤い緊急信号。外部フェイズ振動の検出アラート。


「……!」


「フェイズ振動、検知。スフィアから新たな構造波が発信されています。座標は不明──いえ、複数座標同時。……これは、拡張型の構造崩壊波です」


「何が起きてる?」


「解析中……これは、従来のゼロスペシーズ出現とは異なる現象です。

まるで、スフィア自身が“演算を行っている”かのような──空間そのものに対する再構築命令です」


「まさか……!」


脳内に走る衝撃と共に、スキル視界が強制的に開かれた。

世界が歪み、全ての空間情報が“書き換えられていく”のを感じた。


「ミラ、構造視界が暴走しかけてる!」


「制御補助、開始します! でもこれは──私の干渉限界を超えています。

ユウト、あなた自身の意志で、視界を“限定”してください。そうしないと、脳が──!」


「……わかった。視るのは、“俺が選んだ構造だけ”だ!」


意識を深く、深く沈める。

混濁する空間の中で、自分自身の存在を中心に据えて、“視たくない情報”を遮断する。


──そして、視た。


スフィアの核に、ほんの一瞬だけ、何かが映った。


それは──人の姿だった。


だが、明確な像ではない。輪郭は歪み、顔も身体も、どこか曖昧だった。

ただ、ひとつ確かなのは、それが“こちらを見ていた”ということ。


「……ミラ、今の……」


「確認できました。映像データは保存済み。ただし、それは──“構造的には存在しない”ものです。

あれは、実体ではなく“概念化された観測者”です。……あなたに、直接干渉した存在」


「まさか、スフィアの内部に“意志”が……?」


「可能性は否定できません。スフィアは構造体であると同時に、“存在そのものの観測記録”でもあります。

もしあれが、記録の集積体であるならば──“人の形を取ったのは、偶然ではない”」


思考が混乱する。けれど、それでも──確信があった。


俺は、スフィアと繋がった。

あれは、ただの敵じゃない。もっと深く、もっと巨大な“問い”だった。


「ミラ、今日のデータを神城主任に送ってくれ。すぐに、だ」


「了解。……ユウト、あなたはもう“ただの適合者”ではありません。

あなたは、“構造に触れた者”です。──これは、新たな段階です」


「……行くぞ。次の構造の中へ」


心は決まっていた。

もう後戻りはできない。いや、する気もなかった。


俺が視る。俺が読む。俺が“知る”。


スフィアという謎の中に踏み込んだ、その代償がなんであれ──


俺は、もう前に進むしかない。

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