第3話「孤児院で始まる、小さな観察記」

朝露に濡れた石畳が、まだ柔らかい光を反射している。


この孤児院――**アルナの家**は、王国南部の辺境にぽつんと建つ、修道院跡を改装した施設だった。


ひび割れた白い壁、窓のすきま風、きしむ床板。


だが、その中には確かな生活の営みがあった。


薪を割る音、煮込み鍋のぐつぐつという鼓動、朝の祈りに響く素朴な歌声。


土の香りと、焼きたてのパンの匂いが混じり合い、空腹を刺激してくる。


(この土地の“日常”……心地よいな)


シオン――いや、今や5歳児の少女となった彼女は、粗末なスプーンを手に、朝食のスープをすする。


舌に残る薄い塩気、芋と麦の素朴な味わい。決して美味とは言えないが、空腹を満たすには十分だった。


向かいに座ったジルが、パンを頬張りながら話しかけてくる。


「なぁシオン、今日の“魔方陣遊戯”、またやろーぜ!」


「ええ、いいわよ」


返したシオンの口元には、わずかに笑みが浮かんでいた。


その反応に、ジルは少し驚いた顔を見せる。


「へぇ……最近、よく笑うようになったな。前はちょっとこわ……いや、なんでもね」


(そうか、前の“シオン”は無表情だったのか)


記憶の中にはないが、おそらく“中身の入れ替わり”の副作用だろう。


周囲に違和感を与えないためにも、徐々に振る舞いを調整していく必要がある。


***


昼、庭先では“魔方陣遊戯”が始まっていた。


六角形の盤面に木製の駒を並べるこの遊戯は、戦術訓練に近いもので、


駒には“重装騎兵”“風魔術師”“飛行偵察兵”などの特性が設定されている。


「こっちの風魔で、あっちの騎士を倒して……」


「いや、それじゃ直線上に飛行兵が!」


「うわー負けたー!」


そんな中、シオンは静かに盤面を見つめていた。


(この布陣……基本は“螺旋構成型”。でも欠陥がある。風駒が中央に偏りすぎてる)


対戦相手は、年上の少年リク。


この孤児院では知恵者として一目置かれている存在だった。


「……私とやってみる?」


「え? いいけど、本気で行くからな?」


(むしろ望むところ)


駒が並べられ、試合が始まる。


開始数手で、リクの表情が変わった。


「な……なにこの動き、予測が……!」


駒が二手先、三手先を読むように動き、リクの配置を崩していく。


「しまっ――」


「勝負あり、ね」


シオンの“風魔”が、リクの本陣を突き崩していた。


一瞬の静寂。


そして、周囲から歓声があがる。


「すげぇ……」


「リク兄ちゃんに勝ったぞ!」


「シオンちゃんって……すごい!」


視線が集まる。


そして、その中心に立つシオンの眼差しは冷静だった。


(これが、“評価”への入り口)


笑顔を浮かべてはいるが、内心では綿密な戦略を立てていた。


この遊戯を通じて、“誰がこの世界で物を考えられるか”を見極める。


性格、発想、判断速度。


遊びの中に、すべてが現れる。


それは“前世の戦場”で培われた、本能的な観察だった。


***


夜。


孤児院の裏庭、井戸のそば。


シオンは一人、木の駒を弄びながら、考えを巡らせていた。


(魔力は、やはりこの世界の力の根幹……だけど、それに頼りすぎている。戦術の体系はまだ原始的。統一理論がない)


つまり――今なら、自分の知識と経験で“世界を動かせる”。


「問題は……どう“立ち位置”を確保するか」


そのとき、ふと背後に気配を感じた。


「……何をしてるの?」


声の主は、修道服姿の年配の女性。


この孤児院の運営者、**シスター・ロゼ**だった。


「星を見ていたの」


「星……?」


ロゼは小さく笑う。


「変わった子ね。でも、その目……何かを見通すような目をしているわ」


(……この人、侮れない)


そう判断し、シオンは小さく頭を下げた。


「ご心配をかけてすみません」


「ふふ、大丈夫よ。私は貴女のこと、ずっと見ていたもの。……面白い子だってね」


意味深な微笑みを残して、ロゼは去っていく。


シオンは、その背を見送る。


(あの人は……何を知っている?)


この世界に転生して、わずか三日。


だが、すでに“観察の輪”は広がり始めていた。


そして、彼女は確信する。


「次は、“外”を調べる。孤児院の先、世界の構造を」


少女の手の中で、盤上の駒がカチリと鳴った。


この音こそが、静かに始まった“世界征服”の第一手だった。

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