誇りにかけて
《宮殿》の外壁には穴が空いていた。ガリアンの放った《太陽の槍》の数発が門扉どころか建物の一部を溶解させている。
「いやァこの外壁
ガリアンは思考する。ファティヒが興味深そうに鑑定しているその外壁の穴から侵入を試みるべきだろうか。何せ正面扉には鍵がかかっていたが、おそらくその鍵は持っていた門兵ごと消し去ってしまっている。
「この一発だけ地面の溶解がここで止まっている……ガリアン、あれを止められたのか?」
「ああ、鎧は多少溶けてたけど止められた」
どよめきというには静かな動揺が一行に走る。これまでの旅で《太陽の槍》を避けた敵は数多いが、真っ向から止めた者はなかった。
今にして思えばあれは王の寝所を守るために体で止めたのだろう。守るものを背に負いながらガリアンと渡り合う。『王の寝所を守る唯一の兵』という言葉に偽りなしの兵だった。
「そんな強者に無策で挑んだのか——ファティヒの援護がなければ致命傷を負っていたのはガリアンだろう」
「……」
「いかに治るとはいえ、こんな遠方で仲間も少ない!加護も弱まっているのだろう!!」
墓穴である。飛び出すようにして問い詰めるサティアを前に、ガリアンは先ほどまでの狂乱を思い沈黙した。
それを見てニヒルに笑みを浮かべたファティヒが割って入る。
「まァ、落ち着いてくださいよ騎士殿。若様だって反省してますよ、ねェ?」
「うるさい、黙ってろ守銭奴め。
「おお怖い。おっかないですなァ」
胸倉を掴み上げるサティア。ファティヒの目が冷酷な光を帯びる。
「敵の城の真ん前でのんびり痴話喧嘩か?状況が分かってないならお前こそ黙っていろ——苛立ってるのが自分だけだとでも?」
静かな呟き。ガリアンに聞かせるつもりのない、密かで陰鬱としたその響きにサティアも剣気を滲ませる。
「おい、やめろ」
剣呑なその空気は、ガリアンが二人を無理矢理引き離すことで霧散する。
「いやァ、助かりましたよ若様。危うく斬られるかと」
「チッ」
「失礼しました。しかし、私の言うことも一理ありましょう?」
「……その通りだ。非礼を詫びよう」
「いえいえェ、わたしも礼を欠いておりました——ま、とにかくこんな霧の濃い場所で何日もいれば流石に鍛え上げた精兵でも正気を保てなくなる。ここは拙速と巧遅なら前者の場面。若様もただの馬鹿猪ではありませんなァ」
さりとて二人も歴戦の猛者。敵地にあって仲違いは死を招くと知っている。内心はともあれチームワークの大切さなど説くまでもない。
「……なあ、お前ら」
「無理だ」
「今更ですなァ」
「……まだ何も言ってねえよ」
「言わなくとも分かる。帰れと言うのだろう」
「何とかの一つ覚えってやつですなァ」
混ぜ返すように笑う二人。サティアもファティヒも何を言われるのかは十分わかっていた。その真意も。
「分かってくれよ……もう嫌なんだよ……俺は何人見送ればいい?」
血を吐くような声だった。仲間を捨て、手酷く詰った人間とは思えないような、か細く弱い言葉だった。
「俺は——俺は、もう無理なんだ。俺はお前たちとは違う。弱い人間なんだよ……」
ガリアンから溢れたのはこれまでに一度も吐いたことのない弱音であった。誰にも言えず、生涯誰にも明かさないと決めていたそれが思わず口から漏れる。自然、瞳が潤むのを感じる。
「ああ、ガリアン……お前は我々の死を恐れているんだな……?」
「そうだ……俺は、お前らに死んでほしくないんだよ……」
分かりきったことだった。この旅に帯同してきた誰一人として、告げられた追放を信じたものなどいない。
その源泉はガリアンが築き上げた信頼であり、生み出した信奉であり、育んだ愛情であったが——とにかくガリアンは人を助けすぎた。疑われるには優しすぎたのだ。
誰しもがガリアンのように清廉で潔白であるわけではない。「ガリアンが間違ったことをするわけがないのだから、彼と敵対した者が悪いのだ」というある種偏った思想を持つ者がいることも事実。
故に、この状況は当然と言える。
「なあ、ガリアン。お前は『第七教会』に脅されていた、そうだな?」
第七教会。国教認定されている一大宗教である。かつて霧が出る前は教会の長である教皇は国王の選定にも関わっていたという。
「……ああ。旅を一人で再開しろ、しなきゃ泉の聖騎士団を解体して破門するってな」
「……やはりか」
当然国の政治にも大きな影響力を保有している。それはサティアの率いる騎士団についても同様。
「上手い手ですなァ。若様は周りの人間を使って脅しをかけられれば逆らえない」
「まあ、それも——二ヶ月前までの話だが」
「——ん?」
「で?若様、わたしらについては何か言われましたか?」
「あ、ああ……商会へ卸している聖水を黒樽には渡さないって……運河の通行権も取り上げるって——」
「なるほど、運河を抑えれば輸送が滞る。日持ちのしないものは売り物にならないだろうな」
「まァ、二ヶ月前まではそうでしょうなァ」
「——お前ら、さっきから二ヶ月二ヶ月って何の話をしてる……?」
ファティヒが髭に覆われた口元をにやりと歪め、サティアが銀糸のごとき髪を払いながらふっと微笑む。
「泉の聖騎士団はもう存在しない。我々は皆揃って退団した、一人残らずな」
「同じく黒樽商会も全ェ部安値で売っぱらってしまいましてねェ。お陰で身軽なもんですよ」
「おま、お前ら——何考えてる!?」
「我が剣は既にお前に捧げている——馬や屋敷、身分が騎士にあらず。何もかもを捨てても誇りだけは捨てられない。皆そう思ったから来た。誰一人に強制せず、しかし全員がここにいる」
「わたしは捨てたつもりはありませんよォ?残してきた部下だって面従腹背はお手のもの。何をしてでもいずれ教会から取り返しますとも——若様お抱えの商人が素寒貧じゃァ格好が付かない」
「馬鹿野郎が……!!何で——」
ば、とサティアが手を広げガリアンの言葉を遮ると、言葉もなく佇んでいた騎士達が一斉に剣を抜き、地にそれを突き立てる。
「愚問だ。我が魂、祖先の無念、騎士団の誇り。そのすべてがお前に救われた故に。ナリアと泉の聖騎士団が忘恩の輩ではないと示すために」
サティアの後ろに控える男達が叫ぶ。今や騎士の身分にはなく、さりとて誇り高き男達が。
「ガリアン、お前は俺が守ってやるよ!!」
「この身盾となり、ガリアン殿を必ずや悪魔の王の元へ!!」
「この身朽ち果てるとも英雄殿をお守りすると誓う!我が誓いが果たされぬその時は、この首を以て贖う!!」
ガリアンは知っている。それは誓い。騎士たる誇りを天に誓い、破られた時には命すらも危うくする神聖なる
サティアは配下の騎士達が口々に誓いを立てる姿を眩しいものを見るように眺めた後、己もと口を開く。
「私も誓おう——この五体が千々に切れようと、私は必ずお前の側にいる。そこに立ち塞がるもの全てを斬り払い、お前の歩む道を作ってみせる。私の全てを懸けて——例えこの身が呪われても、お前に報いる」
ガリアンが呆気に取られ、それを制止する間もなくファティヒが肩越しに後ろの部下へハンドサインを行う。幾度も見た集合の合図だ。
「やれやれ、暑苦しいことですなァ。わたし達は騎士殿とは違うのでご安心ください」
ファティヒが苦笑いをしながら集めた商人達から何かを受け取る。用紙のようなものを纏めているが、その数が膨大なのでファティヒは両の手で抱えるようにして巻いたそれらを持っている。
「これはね、借用書です。どうせ死ぬかもしれないので、金を借りれるだけ借りてきました」
「見ろよ!ガリアンの名前を出しただけで金貸しが無利子で百万アッシュも貸し出しやがったぜ」
「とはいえ、道中やらこれから使う道具の買い出しに全部使っちまったけどな」
「構やしねえさ!竜殺し殿が悪魔を倒しゃ釣りがくる!!」
ファティヒは珍しく柔らかく微笑むと、それを宙に放り投げる。自然、それらは混ざり合い、うち何枚かは風に飛ばされて行く。
「これでいくら借りたかも分からない。言い値で返せと言われた額を返さなきゃいけない。奴隷になったって文句が言えない。酷い話ですよ、命よりも大切なカネを踏んだくられるんですからね。でも——」
微笑を肉食獣のような獰猛な笑顔に変え、ファティヒは笑う。この男はどこまで行っても商人だ。カネを稼ぐことに喜びを感じ、カネを使うことに快楽を感じる異常者の群れ。
「我々はあなたに賭けた。荒野を、沼地を、砂漠を抜けてきた。この先を見させてくださいよ、若様。そこにきっと、数え切れないほどのカネを生む価値がある。こんな小銭なんかどうでも良くなるくらいのね」
「クソ、クソ、クソ——馬鹿どもが……!!分かったよ、テメェらの命、預かった——!!」
溢れ出る涙を拭い、ガリアンが叫ぶ。自分が嬉しいのか、悲しいのか——それすらも判別できないほどの感情の奔流の只中、今彼にとって唯一正しいこと。それを為すために。
「行くぞ——悪魔の王を斃す!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます