第8話 霧の中に浮かぶ影
琳璃が意識を失い、霧の中で蓮華と出会った後、再び目を覚ましたのは、幽華宮のひときわ広い寝宮の中だった。気がつくと、彼女は床に横たわり、重い体を起こすことに少しばかりの時間を要していた。目の前には、同輩の香蘭の顔が心配そうに覗き込んでいる。
「琳璃、お目覚めかしら?」
香蘭の声に、琳璃はゆっくりと目を開けた。目の前には、かすかに浮かぶ明かりと香蘭の穏やかな表情があった。だが、香蘭の顔には何かしらの異様な緊張感が漂っている。琳璃はそのことに気づき、思わず言葉を発した。
「香蘭…私は、あれは…夢だったの?」
香蘭は一瞬、言葉を選ぶように黙った後、軽く頭を振った。
香蘭は一瞬、言葉を選ぶように黙った後、軽く頭を振った。
「夢ではないわ。幽華宮の呪いは、あなたを置いてはいかない。」
彼女は続けて、琳璃の手に触れ、そこに刻まれた「印」をちらりと見た。少しの間、その印に視線を落としていた香蘭が、やがて口を開いた。
「それが、あなたがここに来た証拠よ。」
琳璃は自分の右手を見つめ、そこに刻まれた血のような印を見て、胸の中に深い不安が広がった。
「どうして、あの印が……?」
彼女はふと、目を閉じた。あの印が自分の体に残されることで、この場所から抜け出せなくなるような気がしていた。そして、その後に蓮華が言った「これで、あなたも幽華宮の一部よ」という言葉が、思い出される。
その時、突然、寝宮の扉が開かれた。入ってきたのは、慧華だった。彼女の目には、普段の優しさとは裏腹に、どこか焦りと不安が滲んでいた。
「琳璃さま、目を覚ましたのですね。」
慧華は床に座っている琳璃を心配そうに見守りながら、すぐに香蘭のほうを見た。香蘭は無言でその視線を受け、静かに頷いた。
「どうしたの?」
琳璃は、ふたりの間に漂う不穏な空気を感じ取りながら、問いかける。慧華は一瞬、言葉に詰まった後、ゆっくりと口を開いた。
「夜半の宴の後、何かがおかしくなったのです。すべてが…おかしく……。」
彼女の声は、普段の穏やかさを失い、少し震えていた。琳璃はその言葉に一層の不安を覚え、身を引き寄せるようにして聞いた。
「何が?」
「宴の終わり、みんながどこか変わってしまったのです。赫蓮妃の言葉通り、幽華宮はすべてを操り、支配する力を持っている。その力に逆らった者は、すぐに消されるのです。」
慧華はその言葉を静かに言い切った後、琳璃の目を真剣に見つめた。
「琳璃さまがあの印を刻まれたのは、ただの偶然ではありません。赫蓮妃があなたに『選択』を突きつけたのも、すべて計算されたものです。あなたがここで生き続けるためには、彼女の支配に従うしかありません。」
琳璃はその言葉に耳を傾けながら、心の中で葛藤を感じていた。幽華宮の中で生きるか、それとも死ぬか。彼女の運命はもはや、外部の力に任せるしかないのだろうか。
そのとき、香蘭が静かに口を開いた。
「あなたが試練を受けたのは、赫蓮妃の命令よ。でも、これはただの始まりにすぎない。あなたがこれからどんな選択をしても、どこかで避けられない運命が待っている。」
その言葉に、琳璃の胸は重く締めつけられる。彼女はゆっくりと目を閉じ、あの霧の中で見た「蓮華」の姿を思い出していた。あの異様な目、冷徹な微笑み――あれが、彼女を幽華宮に引き寄せた力なのか?
「赫蓮妃が言った通り、私がここにいるのは、逃れられない運命のせいなのかもしれません。」
琳璃は小さく呟いた。
そのとき、慧華が急に立ち上がり、扉に向かって歩き出した。香蘭と琳璃は、彼女の背中を見つめる。
「慧華、どこへ?」
琳璃は声をかけたが、慧華はそのまま振り向くことなく言った。
「宴の後、皇帝陛下がまた何かを企んでいます。その動きに、私たちは関わらなければならない。」
慧華の言葉が、琳璃の心に響いた。
「陛下が?」
その言葉を発した途端、琳璃はふと、昔の記憶が蘇った。生前の皇帝――黎文帝のことを、どこかで思い出した。あの人は、確かに優しくも冷徹な人物だった。陛下に対して抱いた微妙な感情が、今になって自分を捕らえているように感じられた。
「今、私たちにできることは少ないけれど、少なくとも、明確にしなければならないことがあります。」
慧華の言葉に続き、香蘭が優しく言った。
「あなたが選べる道が、まだ残っているのは事実よ。」
その言葉を聞き、琳璃は静かに頷いた。どこかで、すべての選択肢が重く圧し掛かってくるようだった。
だが、彼女は心の奥底で、まだ諦めきれないものを感じていた。
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