第4話 鈴の音と小宦官たち

琳璃は、足がもつれるのも構わず、闇の中を走った。

絢爛だったはずの幽華宮の回廊は、どこもかしこも朽ちかけている。

絹の帳は破れ、玉砂利は赤黒く汚れ、空気には鉄錆びた血の匂いが漂っていた。


(こんなはずじゃなかった……)


転生したとはいえ、琳璃は心のどこかで「新たな人生が始まる」と思っていた。

贅を尽くした後宮で、運命を切り開くのだと。

だが現実は──いや、"死後の現実"は、あまりにも異様だった。


耳を澄ませば、微かに──チリリ……チリリ……と、鈴の音が聞こえる。

それは次第に近づき、やがて琳璃の行く手を塞いだ。

そこに現れたのは、

小柄な影──三人の少年たちだった。


彼らは皆、統一された白い宦官服に身を包み、小さな銀の鈴を腰に下げていた。

年の頃は十歳前後だろうか。

幼さを残した顔に、奇妙なほど冷ややかな無表情を貼り付けている。


一番手前の少年が、一歩前へ出た。


「琳璃さま……こちらへ」


声は機械のように平板だった。

だが、その小さな手はそっと琳璃の袖を引いた。


琳璃は迷ったが、振り返れば、さきほどの蓮華が、なお遠くからこちらをじっと見つめている。

冷たい汗が背中を伝う。


(……このまま立ち尽くせば、あれに捕まる)


覚悟を決めて、琳璃は少年たちについていくことにした。

小宦官たちは、足音ひとつ立てず、月影の下を滑るように進んでいく。

どこを通っているのか、琳璃にはわからなかった。

ただ、だんだんと空気が生ぬるく、湿っていくのを感じた。


やがて、

彼らは一つの小さな庭にたどり着いた。


黒ずんだ石畳。枯れ果てた蓮池。

赤黒い蓮の花だけが、水面にいくつも浮かんでいる。


「琳璃さま……ここは、"禁苑"でございます」


最年長らしき小宦官が、鈴をそっと鳴らしながら囁いた。


「禁苑?」

「……幽華宮の中でも、最も穢れた場所。

かつて禁忌を犯した妃たちが、落とされた地──」


少年は言いかけて、ふっと言葉を切った。

その目が、池の向こうを見て、硬直している。


琳璃もそちらを見た。


そこには、誰かが立っていた。

白い衣。

だが──それは蓮華ではなかった。


ひとり。

ふたり。

みっつ。


白い影が、水面にぼうっと立っている。

顔は、ない。

代わりに、どの影も、裂けた口元から、にたりと笑みを浮かべていた。


「……彼女たちは、」


小宦官がかすれた声で囁いた。

「禁苑の主たち……“落妃”──」


その瞬間、池の水が、ドロリと動いた。

蓮の花が、ずるずると引きずられるように沈んでいく。


影たちが、こちらに歩み寄り始めた。


「逃げなきゃ!」


琳璃は叫び、小宦官たちの手を引いた。

だが少年たちは、動かなかった。


「……琳璃さまだけでも、早く」


最年長の少年が、涙を浮かべながら言った。


「ぼくらは、ここでしか……」


「そんな、嫌よ! 一緒に!」


琳璃は手を伸ばしたが、

少年たちの身体は、すでに、影に包まれかけていた。


白い布が、少年たちの脚に絡みつき、

ひとり、またひとりと、無表情のまま水面へと引きずり込まれていく。


最後に残った少年が、消える直前、かすかに笑った気がした。


──ありがとう、と。


琳璃は、ひとり、逃げた。


逃げる間にも、背後で、

ザブン、ザブン、と異様な音が響き続けていた。



どれだけ走ったかわからない。


琳璃はようやく、暗がりの中にぼんやりと灯る、楼閣の影を見つけた。

安堵したのも束の間──その楼閣の上階、月明かりの中に、ひときわ美しい人影が見えた。

白い衣。

長い黒髪。

冷ややかな笑み。


それは、蓮華だった。


琳璃を見下ろす蓮華の唇が、ふいに動いた。

声は聞こえない。

だが、その口の動きだけははっきりと読めた。


──「まだ、終わらない」


琳璃は、打ち震えた。

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