A:さわやかな先輩
どうすれば、〈クロガネ遣い〉を捜し出せるのだろう。狗藤は目を閉じて、じっくりと考える。カノンの正拳突きをくらうのは二度とごめんだ。何が何でも考え出す必要があった。
しかし、狗藤の頭は元々、物事を深く考えるようにできていない。目の前に問題があれば、頭のよい誰かに解答を訊いてきた。自分で必死に考えて答えを得たことが一度もなく、もっぱら誰かの力を借りてきた。
生き方というものは簡単に変えられない。〈クロガネ遣い〉の人物像をイメージすることすら、狗藤にはできなかった。カノンは〈ブラックマネーを支配している人物〉と言っていたし、彼のつくった〈暗黒潮流〉を断ち切らないと日本が崩壊するとも言っていた。スケールがあまりに大きすぎて、イメージが追いつかないのだ。
金銭的な被害を具体的にイメージするには、身近なものに置き換えればいいのかもしれない。すぐに思いついたのは、飲み会で盗まれた17万5000円である。例えば、17万5000円を盗んだ犯人が〈クロガネ遣い〉だと考えてみたらどうだろう。
いやいや、いくら何でもそれはない。金融テロリストが盗むのは、少なくとも一千万以上か億単位だろう。貧乏大学生の狗藤の身近な金額とは、あまりにも桁外れである。笑ってしまうほど、スケールが違いすぎる。
そういえば、もう一つ重大な問題があった。17万5000円の返済である。日給5000円のバイトを休みなしで続けても、一ヵ月以上もかかる金額だ。今のところ、狗藤に返す当てはない。
いや、一発で返済できる手段がないわけではない。起死回生の必殺技が一つだけある。それは、犯人を見つけ出すことである。しかし、手がかりがないのに、そんなことは無理だし、不可能だと思いなおす。どこをどうさがせばいいのか、まったく思いつけない。
やはり、自分の頭で考えるには限界がある。いくら考えてみても、時間の無駄なのではないか。良いアイデアが思い浮かぶとは思えない。
どうやら、誰かを頼るしかなさそうだ。さて、誰に相談をもちかければよいものか。キャンパスをうろうろしていると、後ろから声をかけられた。
「狗藤くん、夕べは大変だったみたいだね」
振り向くと、そこに鳩山先輩がいた。Tシャツとジャージ姿で首からタオルを下げている。ランニングの途中らしく、狗藤の脇を颯爽と駆けぬけていく。知的なルックスでありながら、鳩山先輩はプロレス同好会に所属している。おそらく。そのトレーニング中なのだろう。
狗藤は先輩の後を追いかけながら、
「黒之原さんの件ですか。そうなんですよ。意識不明で見つかって、もうびっくりですよ。それにしても先輩、耳が早いですね」
「昨晩、上野で君を見かけた奴がいてね。警察に引っ張り込まれて、取調べを受けていたらしいじゃないか」
「取り調べじゃ、僕が犯人みたいじゃないですか。ただの事情聴取ですよ」
噴水広場に入ったので、先輩は走るペースを落としながら、
「まぁ、そこまで言うなら、そういうことにしておこうか」
「えっ、それって、どういう?」
「ここにいるということは、めでたく無罪放免というわけだろうし」鳩山先輩はニヤリと笑い、「完全犯罪をまんまとやりとげたな」と耳打ちした。
狗藤は少し考えて、言葉の意味を把握した。
「ちがいます、ちがいます。誤解ですよ。僕は、ただの第一発見者です。黒之原さんを襲って意識不明にしたのは、僕じゃありませんよ」と、慌てて否定する。
「おや、そうなのかい? 僕はてっきり、君が黒之原の横暴に耐えかねて、つい、やっちまった、と見ていたんだが」
「ちがいます。それ、全然ちがいますから」
「ははは、冗談だよ。君にそんな度胸はないことをわかっているよ。警察だってバカじゃないだろうしね」
鳩山先輩はさわやかに笑っている。この人は時々、真顔で冗談を言う。しかも、笑えない冗談なので、ふざけているのがわかりづらい。
「狗藤くん、冴えない顔だな。もやもやしたものを抱えているように見えるぞ。どうだい、一緒に汗を流してみないか。くたくたになるまで身体を動かしてやれば、もやもやなんかきれいに吹き飛んでしまうぞ」
「いえ、せっかくですが、それは遠慮しておきます」
「おや、そうかい」先輩は残念そうな顔になったが、「じゃ、その代わりに、君の話を聞いておこうか。もやもやの原因は一体なんだ?」
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