∞8《インフィニティエイト》
ちはやれいめい
本編 ∞8《インフィニティエイト》
第1話 故郷で過ごす最後の8月8日。
朝の光が、窓から差し込んでくる。
「夏美ー! 起きてるかー?」
玄関のチャイムを連打する音と、元気な声が響く。この声の主は陸上部だからか、遠くにいても聞こえるくらい張りのある声を出す。二階にいる夏美の部屋まではっきり聞こえるほどに。
「最後に学校、見に行こうぜ!」
「リク、さすがに何度も押すのは迷惑だよ」
ぼんやりとした視界に、空っぽの部屋が入る。
本棚も、机も、なくなった空っぽの部屋。
剥き出しになった壁にカレンダーや本棚の日焼けあとがついている。
残っているのは、いま寝ている敷布団とタオルケット、最低限身の回りのものを詰めたショルダーバッグだけ。
この家で過ごすのも、あとわずか。
夏美は明日、八月九日に福岡へと引っ越すのだ。
今年の六月に福岡で長年商店を営んでいた祖父が亡くなり、親戚の話し合いの結果、父が家業を継ぐことになった。
単身赴任と違って一年やそこらの話ではないから、家族みんなで引っ越す。
夏休みに入る前日に、クラスのみんなが送別会を開いてくれたことも覚えている。
なのに、実感がわかない。
引っ越すという事実はわかっている。荷造りしたのも自分。でもどこか他人事のような気がしていた。
汗で前髪が額に張り付いている。ゴロンと寝返りを打ち、もう一度目を閉じようとする。
けれど、容赦なく玄関のドアが叩かれる。
父の
母の
スマホを手に取ると、8月8日 8:30と表示されている。
「おーい! 早くしろー!」
「今行くー」
渋々タオルケットをはねのけ、起き上がった。
カーテンを外した窓からは田んぼと線路が見えて、光が反射して窓ガラスに夏美の姿が映る。
見事な寝ぐせだ。
手ぐしで適当に髪を整え、玄関へ向かう。
ドアを開けると、そこには予想通りの二人がいた。
隣の家に住んでいる双子、
物心つく前からの古いつきあい、幼なじみである。
柔らかな黒髪、シャープな輪郭、細い眉、緩やかな曲線を描く目、薄い唇。全く同じ顔なのに二人の性格は全く違う。
リクがスポーツウェアなのに対して、ソラはカジュアルなシャツにデニムパンツだ。
「おそよう夏美。なんだその寝ぐせ!」
「うるさい」
開口一番、リクがテンション高めに言う。明るく元気だけど、一言二言多いのが玉にキズ。
夏美は自分の髪をおさえながらリクをにらむ。
「髪くらいちゃんと直せよ。今日は最後の思い出作りなんだからさ!」
「別に誰に見られるわけでもないでしょ」
「俺たちに見られてるだろうが!」
「それがどうしたの」
軽口を叩き合っていると、横でソラがふっと微笑んだ。
「……今起きたばかりなんだ? お寝坊さんなのは夏美らしいよね」
「でしょ?」
「肯定するな!」
リクがツッコミを入れるが、夏美はどこ吹く風。
「外行くなら食べるもの買わないと。冷蔵庫ももうないからさ」
夏美は部屋に戻ってショルダーバッグを取ってくると、サンダルをはく。
リクは満足そうに頷いて、夏美の腕を軽く引いた。
「んじゃ、行くぞ! ついでに、夜は祭な!」
「はいはい」
夏の朝の空気の中、リクが足取り軽やかに先を行く。
セミの鳴き声、アスファルトから昇る
手をひさしにして見上げた空は青く澄み渡っていて、入道雲が浮かんでいる。
空を遮るような大きな建物が学校ない田舎。
いつもと同じ朝だ。
引っ越しさえなければ、明日も明後日もその先も、同じ景色を見ているはずだった。
学校まで続く商店街は、古き良き町並みという言葉がピッタリの場所だ。
昔ながらの惣菜店や金物屋、個人経営の服屋が軒を連ねる。
店のカウンターに古めかしいラジカセが置かれていて、ローカルラジオのパーソナリティーがリスナーのメールを読み上げている。
花壇にはひまわりが植えられていて、まっすぐ空を見上げて咲いている。
「私たち、はじめてのおつかいは、そこの精肉店でポテトサラダを買うことだったよね」
「あー、覚えてる覚えてる。夏美が通りかかる人全員に挨拶したあげく、ネコにまで挨拶するから、こんな近所の店で買い物するだけなのに一時間もかかってさ」
リクが言ってるそばから、夏美は文具店の入り口で寝ているネコのミーコに声をかける。
夏美がはじめてのおつかいをした日から文具店にいる。子猫だったミーコは、今ではかなりのおばあちゃん猫だ。そっと手を伸ばしてミーコの頭をゆっくりと撫でる。
「ミーコ。今日もかわいいねぇ。これまでありがとうね。いつかまた会いに来るから、その時まで元気でいてね」
ウトウトしていたミーコは夏美の方をちらりと見て、あくびをした。
商店街の掃除をしていたおばちゃんたちが、夏美の姿を見つけて手を振る。
「あれ、夏美ちゃんでねーか! じき引っ越しらって?」
「おはようおばちゃん! うん、明日出発なんだ」
「寂しくなるわぁ。うちにおつかいにきたときゃ、こんげーにちっちぇかったがんに。いつの間にあたしよりでっかくなったんだい」
「そうでしょ、大きくなったでしょ。四捨五入すれば一五〇センチなんだよ。つまり実質一五〇センチ」
夏美が言うと、「一四九センチな。サバ読むな」という失礼なツッコミが横から飛んでくる。
すかさずローキックをおみまいした。
店の奥にいたおじさんたちも出てきた。
「夏美ちゃん、福岡行ぐって? 気いつけていけよ?」
「うん。ありがとう。気をつけるね」
「間違えて
「もー。おじさんてば。それは私が小一のときでしょー。さすがにもう間違えないよ」
近所の人たちと話していると、リクが突然「あ。ちょっとコンビニ寄ってくか」と言った。
「喉乾いたし。飲むもんと食うもん買おうぜ」
「そうだね、お祭りまで時間あるし」
夏美とソラも納得し、三人で近くのコンビニに入った。
自動ドアが開く瞬間、冷房の冷気が出迎える。
「おお~、涼しい! まずは肉肉!」
リクは脇目も振らずホットスナックのコーナーへ向かう。
「俺は唐揚げとフランクフルトで、飲み物は麦茶な!」
「リク、野菜も食べたほうがいい。間食が肉だけってバランスが悪すぎるよ」
「うっさいな兄貴。野菜を食うスペースがあるなら肉を食う」
苦笑するソラに謎の理論を展開しながら、リクはさっさと注文を済ませる。
夏美はアイスコーナーを覗き込んだ。
そこには夏美が好きなアイス、フクロウ印のポポロ夏限定味が鎮座していた。
小箱に一口サイズのアイスが六個入っているから、友だちと違う味を買ってシェアしやすいのだ。
「ソラ、見て! ポポロのレモン味が出てる!」
夏美がアイスを手に取ると、ソラは「ほんとだ」と微笑んだ。
「夏美はレモン味好きだよね」
「うん、絶対買う!」
夏美がかごにポポロアイスを入れると、ソラがすっと買い物かごを持ち上げる。
「僕が持つよ」
「いつもありがとう、ソラ」
ソラもドリンク棚から紅茶を選んで、三人で会計を済ませた。
外は蒸し暑くて、日差しが目にも肌にも痛い。
リクは立ったまま唐揚げを頬張る。
夏美はコンビニ前のベンチに腰を下ろして、早速アイスの箱を開けた。
「いただきます!」
丸いアイスがトレーに並んでいて、うち一つが星型になっていた。
「わあ! 星ポポロ! ついに出た!!」
「星ポポロってなんだ?」
リクがフランクフルトをかじりながら聞く。
「百分の一の確率で出てくる星型のポポロなの。これが出ると幸せになれるんだって。これまで一度も出たことなかったんだ」
「へー」
自分から聞いたのに、リクは興味なさげな相づちをうつ。
夏美は星ポポロを付属のピックで刺して、ソラにさしだす。
「ソラ。ソラに星ポポロあげる。はい!」
「え? でも夏美が当てたんでしょ」
「いいの。ほら」
「……あ、ありがとう」
夏美の勢いに押され、ソラは戸惑いながらアイスを口に入れた。
「おいしいね」
「ふふふ。そうでしょ」
唐揚げも食べ終えたリクは、紙袋をクシャクシャに丸めて店先のゴミ箱にシュートする。
「よくそんなことできるな、兄貴。俺には真似できない」
「心配しなくてもリクにはあげないなら安心してよ」
リクは甘い物が嫌いで、小学生の時給食のデザートは「いらない」と言って夏美に全部よこしてきた。バレンタインも「甘味は断固拒否!」と女の子たちからのチョコを突き返す徹底ぶりなのだ。
「あのさ、夏美。この先あんまり他の人にしないほうがいいよ」
「なにを?」
「…………ええと、こうやって人にあ~んってするの」
ソラは視線を反らしながら、言いにくそうに言う。
「でも、うちのお父さんとお母さん、いつもやってるよ。花ちゃんたちともよくやってるし」
夏美の両親はすごく仲がよくて、結婚二十周年の今でも休日デートを欠かさない。食べさせあいもよくやっている。なので夏美は女友達同士でもよくこうしてスティック菓子などを差し出す。ソラにアイスを差し出すのも同じ感覚だった。
「夏美のそれっておじさんたちの影響かぁ。あの二人を見て育ったら、うん、疑問持たないのもしかたないのかな……」
女子と同列扱いされ、ソラは苦笑いした。
寄り道しながら進み、高校の校門をくぐった。今は夏休みだから、校内にはほとんど生徒がいない。
何人かいるのは運動部、吹奏楽部の生徒だ。校庭の方からは威勢のいい掛け声と、バッティング練習の音が聞こえてくる。
「リクも少し前まであっち側だったのに、不思議な感じだね」
ソラが校庭の方を見ながら言う。
「思い出させんな兄貴! あーあ。あと一秒早ければメダルだったのにチクショー!」
「そう落ち込むことないよ、リク。リクの最新記録出せたじゃん」
「俺の中で最速でも、メダルを取れなきゃ意味ないんだよ」
数日前に陸上部を引退した。三年生最後の大会。百メートルの選手として走り、四位になった。
教室に入ると、リクが窓際の自分の席にドサッと座る。
「……こうやって夏美と来るのも、最後なんだな。なーんか、変な感じ。夏休みがあけたあとも、夏美がそこに座ってそうな気がする」
夏美も休みに入る前の自分の席に座り、教室を見渡した。
前にこの机を使っていた人が書いた落書きが残っている。誰かが彫刻刀で彫り込んだ相合傘もあって、面白い。
黒板には、先生が消し残した数式の痕がうっすら残っている。
夏美の後ろの席がソラ。席は二ヶ月ごとにくじ引きで変わるため、三人バラバラな位置なこともある。
「こんなに静かな教室って、不思議だよな」
「今日は先生がいないからいくらでも居眠りできるよ。良かったねリク」
ソラが茶化すと、リクが「うるせぇ兄貴!」と突っかかる。
「そういうこと言うなら、今後先生にかけられても助けないよ」
「それは困る!」
リクは物理と英語と数学と現代文の授業でよく寝ているため、先生たちから三年寝太郎という不名誉なあだ名をもらっている。そして毎回先生たちに叩き起こされている。
体育など起きている授業はしゃっきりしているから、たんに嫌いな授業は身が入らないタイプなのだ。
ソラはどの授業も真面目に聞いているから、授業中に指名されても即座に答えられる。
「ねぇ、覚えてる? 入学したばかりの頃さ、先生がソラとリク見分けられなくてすごく困ってたの」
夏美がふと思い出して言った。
「いまだに制服姿で黙っていると先生からも、リクくんかな? って聞かれる。夏美はよく僕たちを見分けられるよね。たまにリクがいたずらで僕の席に座ってもすぐきづくじゃない」
「わかるよ。ソラとリクは全然違うもん」
「……お前ならいい警察犬になれるよ」
「犬扱いしないでよ!」
教室を出て三人で廊下を歩いていると、教科書とノートを抱えた少女が駆け寄ってきた。
夏休みなのにきちんと制服を着ている。
鎖骨まで届く艷やかなストレートヘア。ほのかに甘い制汗スプレーの香り。透明なジェルネイルで爪の先まで丁寧にケアされている。
自分の魅力を理解していて、それを武器にできるタイプだ。
「ソラ先輩、どうして学校に? 今日は部活ないですよね」
「夏美は明日で転校するから、最後に、ちょっと見て回ろうと思って」
「そうなんですね。休みの日でもソラ先輩に会えるなんて嬉しいです」
少女は夏美の頭に目をやって口角をあげた。それからリクに向き合ってお辞儀をする。
「はじめまして! あたし、
「へー。どーも」
「私は夏美。よろしくね。ソラはめんどうみがいいもんね。天文部で慕われてるんだねー」
リクは挨拶されたのに反応が薄い。嫌いな授業を受けているときの顔だ。
芽衣は両手を合わせ、声を弾ませながらソラに笑いかける。
「あのですね、ソラ先輩。実はあたし、補習があって学校に来てたんです」
「補習?」
「はい……数学と英語で赤点取っちゃって……。だからソラ先輩、勉強教えてくれませんか? ソラ先輩、部活のときもいつも丁寧にわかりやすく教えてくれるから、ソラ先輩になら頼みやすいです。先生にも今の成績じゃ東大目指すなんて夢のまた夢だぞって言われちゃって」
芽衣の様子を見たリクは、何を察知したのか冷たく目を細める。
二年生の夏、しかも受験科目でもある数学と英語で赤点。その状態で東大を目指すのはなかなかの努力が要る。
ソラは「ごめんね、まだ学校を回るところだから」とやんわり断った。
「そっか……じゃあ、また今度お願いします!」
芽衣は少し残念そうな顔をしたものの、すぐに「ソラ先輩、今夜のお祭行きますよね! 一緒に行きませんか? あとでメッセージしますね!」と笑顔になる。小走りで補習の教室へと戻っていった。
「仲良くなれないタイプだったな。あざとすぎる」
リクはフンと、芽衣が去った方を見て言い捨てる。初対面の少女に対してあまりにも失礼な評価だ。
「言いすぎじゃない、リク。あの子、勉強を教えてほしいって言っただけなのに」
「あの後輩に無視されてそれを言えるなんて、お前は仏か」
リクに呆れられて、夏美は反応に困った。
「リク。前から注意しているけど、そういうことを言うと角が立つから、ほどほどにしなよ。本人の耳に届いたらどうするつもり?」
「聞こえるように言ってんだよ」
リクは食べ物同様、人に対しても好き嫌いがハッキリしている。
「リクが敵を作ると僕に飛び火するからやめてくれ」
リクの頭をソラが小突いた。
学校を出て、本日のメインイベント会場である神社についた。
境内には赤い提灯が灯り、屋台が立ち並ぶ。
ぽっぽ焼きにロングポテト、フルーツジュースにわたあめ、焼きそば。
神社にはもうすでにたくさんの人が行き交っていた。
この町にこんなに人がいたのかと、毎回驚かされる。
「夏美! 早くしろよ!」
「もう少し落ち着きなよ、リク」
「だって、これが夏美と過ごす最後の祭だろ? だったら思いっきり楽しまねぇと!」
リクの言葉に、夏美の胸が少しだけ痛んだ。
──そうだ。これは、最後の祭。
明日には新潟を離れて、福岡に発たないといけない。
どんなに名残惜しくても。
「……そうだね。楽しもっか!」
夏美は無理に明るい声を出す。今は三人で過ごせるこの時間を大切にしたかった。
最初に向かったのは、境内のお社。
毎年祭に来ると、必ずここの氏神様にお参りをする。
鈴を鳴らして
(お祭が終わったら、今日が終わったら、もうソラとリクと、気軽に会えなくなっちゃうんだな。この楽しい日が、終わらなければいいのに)
願ったところで明日は来る。
夏美が顔を上げると、二人はお祈りを終えたのか夏美を見ていた。
「終わったか?」
「うん」
「夏美。せっかくだから、おみくじひかない?」
ソラの提案で、賽銭箱の横に設置されているおみくじをひいた。
「うわぁ。私、大凶……。学業努力せよ、失せ物出てこずだってさ」
「あはははは! 俺大凶なんて初めて見た! すっげー。入ってるもんなんだ」
「そういうリクは何?」
「へっへーん。見ろ、吉だ!」
「いばることじゃないじゃん!」
ぴらぴらと見せられたくじには確かに、【吉】と書かれている。
「それじゃあ夏美、これと交換しよう」
ソラが自分のくじを夏美にくれた。
そこには【大吉】という文字が踊っている。
「いいの? ソラが引いたのに」
「転居、障りなし。健康、問題なし。引っ越すんだから、こっちが叶ったほうがいいじゃない」
ソラは笑顔で夏美の大凶を受け取って、財布に入れた。
「別にくじを交換したからって、兄貴の運が夏美と入れ替わるわけじゃないだろ」
リクは面白くなさそうだけど、夏美は素直に受け取った。
「ありがとうソラ。お守りにするね」
「さ、こんなとこで時間取ってられない。次行くぞ次!」
次に向かったのは射的の屋台だった。
「よーし。待ってろよ夏美。俺があのぬいぐるみを取ってやる!」
「お、いいねぇ兄さん。彼女のために当てるか!」
リクは気合い十分で、店のおじさんに五百円払いコルク銃を手にする。
標的は、一番下の棚にあるネコのぬいぐるみ。腕を伸ばして標的を睨みつける。
「リク、やめたほうがいい。リクはガンシューティングゲームですぐにゲームオーバーになるじゃないか」
ソラが絶対無理だと止めるけれど、リクは「やる前から諦めんな! ようは気合だ!」と鼻を鳴らす。
一発目。あらぬ方向に飛んでいって、隣の輪投げ店の垂れ幕に当たった。
二発目。屋台の屋根に当たった。
「くそっ、次で決める!」
三発目。ぬいぐるみにはかすりもしなかった。
「……残念だったな兄さん。これ、参加賞だ」
店のおじさんが塩味のアメをひとつくれた。
「負けられない戦いがここにある! おっちゃん、もう一回!」
次の三発もかすりすらせず終わった。
「くそ。おっちゃん! ぬいぐるみに重石を仕込んでんだろ!」
「当たって動かないならともかく、かすりすらしてないのにそれはただのいちゃもんだよ、リク……」
「兄貴は黙っててくれ」
「ありがとう、リク。取ろうとしてくれた気持ちだけでも十分だよ」
夏美は二人のやり取りに笑ってしまう。
屋台をひととおり巡った後、三人は神社の境内の奥へと向かった。
人が少なくて、夜風が涼しい。
「なんか、終わっちまうの寂しいよな。このまま終わらなければいいのに」
リクがぽつりとつぶやく。夏美は胸が締めつけられるのを感じた。
(終わりが寂しいのは、私も同じ)
──ヒュルルル、ドンッ!
夜空に、大輪の花が咲いた。
鮮やかな光が辺りを照らし、祭の喧騒が境内を包む。人々の波が、花火会場へと流れていく。
そんな中、リクが立ち止まった。
「夏美」
呼びかける声は、いつもの軽い調子とは違っていた。
「俺、お前のことが好きだ」
突如告げられた言葉に、夏美は息をのむ。
「ずっと言いたかった。今日言わないと、もう、言う機会ないから。本当は、陸上大会でメダル取って、その時言いたかった」
リクは真っ直ぐな瞳で夏美を見つめていた。けれど次の瞬間、リクはふっと視線をそらした。
「でも……今すぐ答えを聞くのが怖いんだ。だから……明日、答えを聞かせてくれ」
それだけ言い残し、花火会場のほうへと駆けていった。
夏美は、呆然と立ち尽くす。
何も考えられないまま、ただ花火の音だけが響く。
そのとき。
「僕も、夏美が好きだよ」
静かな声がした。振り向くと、ソラが夏美を見ていた。
「……ソラ……?」
「何度でも言うよ。忘れないで」
ソラの瞳は、どこか切なげだった。
「どれだけ離れたって、僕が好きなのは夏美。夏美が一番好きだから」
また、花火が上がった。
夜空に広がる光の下、ソラはまっすぐに夏美を見つめていた。
二人から、同時に告白された。頭の中が真っ白になる。
夏美は何も言えず、ソラに背を向けて走り出した。
街灯がポツポツとしかない農道を走って走って、何かにつまずいた。
「痛た……」
手をついた拍子に手のひらがすりむけて、血がにじむ。
じわじわと痛みが広がっていく。
(私は、ソラとリクをどう思っているの? 一緒にいたいという気持ちは、友情? この気持ちが恋じゃないなら、真剣な気持ちを向けてくれる人の手を取るのは失礼じゃない。でも、明日までに答えを出すなんて、無理だよ)
家にはもう明かりがついていて、母がもう帰宅しているのがわかる。
玄関のドアを開けた瞬間、母がリビングから顔を出した。
「おかえりなさい、夏美。って……どうしたの、泣いてるじゃない」
夏美の頬は涙で濡れていた。
「……転んで、擦りむいちゃっただけ。大丈夫。洗って、ばんそうこ貼っとけば治るよ」
小さな声でそれだけ言って、夏美は自分の部屋へ駆け込む。
ドアを閉め、タオルケットを頭からかぶった。
リクとソラの真剣な顔を想い出す。
(明日が来るのが怖いよ。私、何を言えばいいの? ソラの手を取ればリクが傷つく。リクの手を取ればソラが傷つく。何を選択しても、もう、ただの幼なじみ三人で、いられない……よね)
いつから恋愛感情を向けられていたのかわからない。昨日今日のことでないのは確かだ。
あんなにも、真剣に好きだと言ってくれたのに。自分の鈍感さが嫌になった。
(私は、二人と同じ気持ちを持っているの? それを返せるの? わからないよ)
何が正解かわからないまま頭からタオルケットをかぶり、夏美はいつの間にか眠りに落ちていた。
鳥のさえずりが聞こえる。
カーテンがなくなった窓から日差しが射し込んで眩しい。
夏美はぼんやりとしたまま、スマホを手に取った。
8月8日 8:30。
玄関のチャイムが連打されて、耳馴染みのある元気な声が聞こえてくる。
「夏美ー! 起きてるかー? 最後に学校、見に行こうぜ!」
「リク、さすがに何度も押すのは迷惑だよ」
スマホを握った夏美の手には、傷がなかった。擦りむいて、血がにじんでいたはずなのに。
──また、八月八日が始まる。
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