第6話 グルウェル

「案内をありがとう。巻き込まれないように下がっていてくれ」

「承知しました。ご武運を」


 河原まで案内してくれたナマル族の青年を、ナルは安全のために一度下がらせた。風を使ったナルとルゥの戦い方は、時に広範囲に影響をもたらす。戦闘に巻き込まない保障は出来ない。


「想像以上にでかい蜥蜴だな。牛よりもでかいぞ」

「私も、あんなに大きなグルウェルを見るのは初めてだ」


 ナマル族を苦しませる追跡者グルウェルは、身じろぎ一つせずに河原に佇んでいる。まるで無機質な置物のようで不気味だ。


 シルエットこそ、蜥蜴を思わせる四足歩行の爬虫類といった印象だが、全身を覆う黒い鱗は一枚一枚が大きく厚く、全身が強固な鎧のようになっている。時折開く口からは、ナイフのように鋭利な歯が光り、自在に動く長い舌が覗く。


 目視は出来ないが、舌の奥には咽喉とは別に、火炎袋と呼ばれる器官が備わっており、そこから吐く高温の火球は強烈だ。高温で熱せられた牙に噛みつかれたら、噛み千切られるよりも先に、肉が焼き切れるとも言われている。


 加えて今回のグルウェルは牛をも上回る巨体で、一般的な個体よりも体が五割増しで大きい。鱗の鎧を筆頭に、体はより強靱だろうし、体格に比例した大きな火炎袋から放たれる火球もより威力を増しているはずだ。人間一人を焼き殺すぐらいは容易かもしれない。


 本来は巨大な蜥蜴のはずのグルウェルだが、この個体に関してはルゥの所感通り、もはや小柄なドラゴンだ。


「幸い奴はまだこちらに気づいていない。先手必勝で致命傷を狙う」

「俺は気配を消して接近を試みる。二の矢は任せておけ」

「巻き込まれるなよ」

「心配ご無用だ。ナルこそ加減するなよ」

「心得た。ルゥごと吹き飛ばす気持ちで射るとしよう」

「頼もしいね」


 苦笑を浮かべて馬を下りると、ルゥは足音を立てずにグルウェルの背後へと近づいていく。ナルの先手必勝の一撃で決着するならそれが最良だが、ナマル族の手に余る強敵だし、風を宿した一撃でも、あの強固な鱗の鎧を射抜けるかは分からない。その場合はルゥがシミターを使って接近戦を仕掛ける。


「草原の風よ。私に力を貸してくれ」


 ナルが短弓を引き絞ると、風の流れが変わり、矢の周辺で渦を巻く。ナルは草原の風と呼吸を合わせ、矢が最大の威力を発揮する瞬間を見極める。


「行っておいで」


 ナルが矢を放った瞬間、矢は風の流れに乗って急加速し、螺旋のように強く回転しながら進んでいく。これによって、本来のナルの筋力では実現不可能な、圧倒的な速度と貫通力が矢に宿る。ナルの正確無比な狙撃能力もあり、風を纏った矢はグルウェルの側頭部目掛けて一直線に進んでいく。


 しかし、迫る風切り音を察知した瞬間、それまで微動だにしていなかったグルウェルの頭部が天を向き、耳を劈くような咆哮を上げた。それと同時にグルウェルの全身が赤みを帯び、白煙が上がり始める。


 白煙でグルウェルの姿が見えにくくなったが、矢はすでに放たれている。その速度は目視してからは最早回避不能。矢はグルウェルの頭部を射貫く――はずだった。


 風を纏った矢が通過する瞬間、白煙が風に散らされグルウェルの姿が露わになったが、頭部を射貫くはずの矢は僅かに起動を変え、グルウェルの鼻先を通過。纏った風が微かに鱗の表面を掠め、近くの川へと命中。その瞬間、風が水を巻き上げ、河原へと小雨のように降り注いだ。グルウェルの体表に接触した水はジュッと音を立てて、次から次へと蒸発していく。


「本当にグルウェルなのか?」


 想定外の展開に、ナルは目を細める。確実に命中するはずの一撃が逸れた。グルウェルから上がった白煙や、体に触れた水が蒸発している様子を見るに、恐らくグルウェルが急激に体表温度を上げたことで周囲の気流が乱れ、風に乗った矢が本来とは異なる軌道を描いたのだろう。


 ナルは即座に分析したが、ノゴーンに生息する一般的なグルウェルは、火を放ちこそすれど、自身の体表温度を急上昇させるような特性は備わっていないし、体表が赤くなる姿これまで一度も見たことがない。高速で迫る回避不能の矢を迎撃や強固な鱗で受けるのではなく、温度変化によって矢自体を逸らせるという、風の加護を持つナルの攻撃に対して満点の対応を見せた点もあまりに不気味だ。


 通常のグルウェルなら、あまり知性的な行動を見せない。突然変異で大きくなった個体だとばかり考えていたが、ここまで違うとグルウェルの姿をした、何か別の存在なのではとさえ思えてくる。


「思った以上に厄介な相手だな」


 ナルが馬を走らせた直後、グルウェルが口から放った火球が、それまでナルがいた地点の草木を一瞬で消失させた。矢の飛来した方向へと、反射的に攻撃したのだろう。直撃していないのに、肌を焦がすような熱気を感じる。直撃していたら消し炭は免れない。


「ヘルへー。危ないからあなたは離れていて」


 ナルは安全のために愛馬のヘルへー下がらせると、自身は岩の陰へと身を潜めた。グルウェルは反射的に攻撃しただけで、回避後のナルの位置までは把握していないようだ。今のところ追撃はしてこない。


 岩陰から次の攻撃の機会を伺うが、完全な不意打ちだった初擊が無効化された以上、風を纏った矢は同じ方法で対処されてしまうだろう。風の加護無しならば命中するかもしれないが、それだと今度は威力が出ずに、鱗の鎧を突破出来ない。だとすれば狙うべきは。


「狙うなら、守られていない箇所か」


 目、あるいは口を開いた瞬間の口腔内。鱗に守られていない柔らかい部分となればそれぐらいだ。ナルは岩陰で弓を構え、狙撃の機会を伺う。これまでなら隙が見えるまで我慢比べを続ける必要があったが、今のナルは単騎ではない。


 音もなくグルウェルの背後を取っていたルゥが、シミターで無言で斬りかかる。風の加護を使わなかったルゥの攻撃は完全に意識の外だったようで、グルウェルは首にもろに斬擊を受ける。首の切断には至らなかったが、鱗を切り裂き、中の肉まで傷つけた。血しぶきが上がり、グルウェルは激痛に呻く。


 風の加護を使わずとも、ルゥにはこれまで磨き上げてきた剣術がある。しかし、ルゥが扱うシミターは、切れ味に特化した薄い片刃の曲刀だ。強度の関係で、硬質な鎧を何度も切りつけるのには向いていない。今も出来れば一撃で首を落としたかったが、鎧は想定以上の硬度で、肉にたどり着くのがやっとだった。


 外見からは分からなかったが、斬りつけた際の感触から、鱗は多重構造になっていて、見た目の堅牢さ以上の防御性能を持っていることが分かった。恐らく衝撃にも強いはずだ。砦のように固く、それでいて火球の一撃は、人間を消し炭にするには十分すぎる威力を誇る。ここまでくるともはや兵器だ。


 グルウェルはルゥと距離を取ろうと、鋭利な前足の爪を振るうが、巨体と多重構造の鱗の重量で動きは比較的緩慢。見切るのは容易く、剣戟に慣れた俊敏なルゥには擦りもしない。距離を取って火球で攻撃しようという狙いは分かっている。だからこそ、ギリギリで爪をかわし、至近距離を維持し続ける。一方でルゥもシミターの耐久を心配し、決め手に欠ける状況だ。最悪、武器を失っても戦うことは出来るが、それはあくまでも最後の手段だ。


 先に業を煮やしたのはグルウェルの方だった。ルゥが距離を取らざるをえない状況を作り出そうと、再び体表温度を急上昇させ、鱗が赤みを帯び始める。普通の人間なら熱さに耐えきれず、距離を取るはずだ。


「どうした? ずいぶんと辛そうじゃないか」


 肌を焦がすような高温を感じてもルゥは引かない。次の瞬間、呻き声を上げたのはグルウェルの方だった。ルゥの斬りつけた首の傷から、白煙に混じって血煙が上っている。鎧の鱗の多重構造は体表の高熱から体を守るための役割も持っているが、ルゥに傷をつけられたことで負傷ヶ所がもろに熱の影響を受け、出血が次々と蒸発していく地獄の苦しみを味わっていた。最初からこれを狙っていたわけではないが、首を狙ったルゥの斬撃は勝敗に大きな影響を与えていた。たまらずグルウェルは、発熱を解除する。


「我慢比べを諦めた時点でお前の負けだよ」


 傷の痛みに絶叫したグルウェルが口を開けた瞬間、ルゥは口内目掛けてシミターで強烈に薙いだ。口内は圧倒的に柔らかい。斬撃で肉が裂け、グルウェルは文字通り、開いた口が塞がらなくなった。


「後は任せた」


 ルゥは咄嗟に横に跳び、そのままグルウェルから距離を取った。次の瞬間、風を纏って飛来した矢がグルウェルの口内へと飛び込み、風の刃で体内から切り刻む。風の刃は火を履く器官、火炎袋を切り裂いたことで暴発。グルウェルは体内から大爆発を起こし、肉片が周囲へと飛び散った。


「正確無比な一撃。流石だな」

「今のはルゥの勝利だろう。お前が高温を封じてくなければ、決着はもっと長引いていた」


 ルゥは岩陰から狙撃したナルと合流した。幸いナルに怪我は無かったが、短時間とはいえ高熱の目の前にいたルゥは、両腕に、軽い火傷をしている。


「腕、大丈夫か?」

「心配するな。大したことはない」

「気合で治りが早くなる裳のでもないだろう。火傷に効く軟膏があるから、ナマル族の野営地に戻ったら塗ろう」


 ナルが沈痛な面持ちでルゥの手を取った。幸い重傷ではないし、ルゥも顔色一つ変えないが、痛々しいことに変わりない。


「私は避難させたヘルへーを連れてくるから、ルゥはここで休んでいてくれ」


 火球に巻き込まれないような下がらせていた愛馬を探しに、ナルは一度ルゥの元を離れた。


「さてと、もうひと仕事してくるか」


ナルの背中が見えなくなったのを確認すると、ルゥもまた、シミター片手にどこかへと行ってしまった。

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