第3話 戦士ホルス

「武器は木剣。どちらかが武器を手放すか、降参した時点で手合わせ終了だ」


 動きやすいよう、野営地と目と鼻の先の野原に場所を移し、ホルスとルゥは模擬戦用の木剣を手に、距離を置いて向かいあっていた。審判役のナルは元より、責任者のホルスと突然やってきた謎の旅人が手合わせするとあって、ハワル族の人々も仕事の手を止め、二人の手合わせを観覧している。


「木剣でいいのか?」

「本来より実践的な方が望ましいが、真剣でやりあって二人とも負傷したら今後の仕事に響く。そうなれば本末転倒だからな」

「流儀には従うさ。怪我をさせない保証はできないが」

「その意気や良し。早速始めようか」


 ホルスが両手で木剣を構えたのを合図に手合わせが開始。ルゥは木剣を持つ右手を引き、胸の前で構えた。普段使用しているシミターは僅かに湾曲した細身の片刃刀たが、手合わせに使用する木刀は両刃の剣を模していて、どちらかといえば棍棒こんぼうに近い。扱い慣れない武器だが、時に戦場は武器を選ばせてはくれない。そう意味では実戦的とも言えた。


「先手必勝!」


 先に仕掛けたのはホルスだった。俊敏な動きで一気に距離を詰め、木剣を強烈に振り下ろす。


 初動で威力を悟ったルゥは回避を選択し、咄嗟に横に跳んだ。直後、それまでルゥがいた地点に強烈な一撃が落ち、足元の草が剣圧だけで爆ぜた。まともに木剣で受けていたら、衝撃で肩が外れていたかもしれない。ルゥを上回る長身と、それを包み込む筋肉の鎧。その圧倒的体躯から繰り出される一撃はまさしく剛剣だ。これが真剣勝負だったなら、剣戟けんげきが始まる前に、武器ごと体を両断されているところだ。


「あんたがいれば、戦力的は充分じゃないか?」

「お褒めにあずかり光栄だが、生憎と体は一つでな」

「違いないな」


 両者の苦笑が交差すると同時に、ホルスは続けざまに木剣で強烈に薙いだが、ルゥは瞬時に後ろに跳び、木剣の軌道から外れた。直撃はしていないのに、空気の激しい振動が肌に刺さる。華奢な人間だったら風圧だけで吹き飛ばされている。


 木剣での手合わせなので本来の実力にはほど遠いだろうが、真に恐ろしきはホルスが剣士でないということだ。遊牧民である以上、得物は弓であるはず。あの豪腕から繰り出される矢の破壊力が凄まじいことは想像に難くない。


「どうした? 回避一辺倒ではじり貧だぞ」


 ホルスは連続で攻め立てるが、攻撃的な口調とは裏腹に表情には警戒心が滲んでいる。手加減しているつもりはない。だが、何度攻撃しても、擦れ擦れで回避されてしまう。普段と得物は違うが、遊牧民としてあらゆる標的に攻撃を命中させてきた。そういった感覚が研ぎ澄まされているという自負もある。なのに目の前のルゥという剣士に対しては、攻撃が命中する様がまるで想像出来ない。こんな感覚は初めてだ。


「そうだな。だいぶ感覚が掴めてきたところだ」


 ルゥが言葉を発した瞬間、風向きが変わり、ルゥに追い風が吹いた。回避中心だったのは普段使用しているシミターが細身で、攻撃を受けるのに向いていないからそれが習慣になっているだけ。そうしているうちに木剣とも呼吸が合い、手の感覚に馴染んだ。今なら威力を引き出せる。ルゥは木剣を右斜めに振り上げ、前へと進む。


「面白い。受けてたつぞ」


 手合わせの目的はルゥの実力を見定めることにある。ホルスは木剣を水平に構え、正面から受けてたつことを選択した。もちろん手は抜かない。ルゥの振り下ろした攻撃の威力を全て受けきり、直後に木剣を弾き上げる。それにてこの手合わせは決着だ。


「怪我するなよ」

「これは……」


 あり得ない感覚にホルスは吃驚した。木剣による攻撃を木剣で防御する。本来なら接触の瞬間に重さと衝撃を感じるはずなのに、接触よりも先に、風切り音と共にホルスの木剣が軽くなったのだ。


 ホルスは視界に、木剣の刀身が一刀両断され、半分から先が自重で落下する瞬間を捉えた。


 振り下ろされたルゥの木剣は、それまでホルスの木剣が存在していた虚空を切る。接触音の代わりに鳴ったのは、切断された木剣が地面に落ちた鈍い音だった。


「武器破壊による戦闘継続困難。決着には十分だろう」


 淡々と告げると、ルゥは普段納刀する時の癖で木剣を背中に回しそうになり、慌てて手前に持ち直した。

 余韻は台無しだが、観客の誰もが切断された木剣の方に意識が向いており、ルゥの慌てた仕草を見ていたのは苦笑を浮かべたナルだけだった。


「刃の無い木剣だぞ。どうやって斬った?」


 ホルスが落ちた木剣を広い、両方の切断面を見比べる。へし折れるならともかく、綺麗に一刀両断されるなど、木剣同士の接触では本来起こりえない。


「風に従えば、刃が無くても切れる。刃はより決断力を増す。感覚的なものだから、上手くは説明できないけど」


 説明不足を申し訳なく感じているルゥとは裏腹に、ホルスはその説明に腹落ちし、ナルに目配せする。するとナルは、ホルスの頭の中を読んだかのように、笑顔で頷いた。


「確かに逸材だ。ナルが夜中に飛び出すわけだな」

「合格ということでいいのかな?」

「君は見事に力を示して見せた。歓迎するぞ、剣士ルゥ」


 ホルスが握手を求めると、ルゥもそれに応じた。同時に周囲から歓声が上がる。野営地を預かるホルスの決定に、反対意見は出なかった。


「これで正式に仕事仲間だな。よろしくな、ルゥ」


 ルゥが満面の笑みで駆け寄ってきた。自分が連れてきた逸材が認められて、鼻高々なようで、直後にはホルスにドヤ顔を向けていた。


「ルゥ。早速今から私と一緒に仕事に出るぞ」

「問題ない。活躍は保証する」


 ナルとルゥは早速、仕事の話で盛り上がっているが、そこにホルスが割って入った。


「そう話を急くな。ナル」

「ホルス。まだ不満があるのか?」

「二人とも徹夜明けだろう。仕事に出るのは構わないが、せめて食事と睡眠をとってからにしろ。睡眠不足と疲労で半端な仕事をされてはたまらないからな」


 直後にナルのお腹が鳴り、いつだって快活な笑顔を浮かべていた彼女が初めて気まずそうに視線を逸らした。気分が高揚して、空腹感をすっかり忘れていた。条件は同じはずのルゥのお腹が鳴っていないので、余計に恥ずかしい。


「ホ、ホルスの言う通りだな。ルゥに野営地も見てもらいたいし、まずは休むことにしよう」


 気まずさを誤魔化すように、ナルの後ろ姿は自室のゲルへと消えていった。


「ナルは愉快だな。戦場とはまるで顔つきが違う」

「一族でも屈指の弓使いだが、まだ17歳の少女だ。普段はあんなものだよ」


 ナルにとっての兄ような存在であるホルスは、保護者目線で微笑んだ。


「お前も中に入れ。まずは食事にしよう」

「ありがとう。飯の分はしっかり働くよ」

「そう気負うな。言っただろう。我らは旅人に寛容だ」


 背中を押し、ホルスはゲルの中へとルゥを招いた。

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