第21話 良薬口に苦し

 ダルトンさんが部屋を去って私とシメオン様のみとなり、部屋は静まり返る。その沈黙を破ったのは彼だ。


「誰かに薬をすり替えさせたのか?」

「いいえ。家の者は主人に忠実な方ばかりです。そのような真似はできないでしょう」


 もちろん私にだって、人目を避けて彼の部屋に侵入できるほどの能力はない。


「だが、魚は確かに動きを止めて沈んでいった」

「鎮静効果で一時的にそうなっただけです。あの子なら、私の部屋で今日も元気に泳いでいましたよ」

「ああ。君が埋葬したいと言って持って出たか。……迂闊だったな」


 私は仮面を外してテーブルに置くと、自嘲する彼と向き合った。


「あなたは、あなたのご命令に逆らった私を切り捨てますか。屋敷の門衛さんのように」


 彼は何も言わず、ただ黙って私を見つめる。


「確かに私はあなたにお金で買われた身。ですが、私は薬師としての矜持まで売り渡しません。決して捨てることはありません。胸に強く抱いて守り抜いてみせます。そして私の信条に反するご命令なら、これから何度でも私はあなたの命に背きます」


 お金で買った妻にここまで反発されて、彼は仮面の下で何を感じているのだろう。苛立ちだろうか。嫌悪だろうか。憎しみだろうか。


「けれどもし今回の試みが成功し、私を切り捨てず、あなたの妻の座に据え置くと言うのならば、私は私の戦い方で必ずやあなたを――アルナルディ侯爵の座に押し上げてみせましょう!」


 胸に手を当てて声高らかに宣言した。すると。


「――はっ」


 声をもらして笑った。

 強く出た私の言動に呆れ果て、冷笑したのだろうか。

 そう思っていたけれど。


「はははっ! 本当に君という人は」


 シメオン様は頭に手をやって高らかに笑い、無機質な仮面を外す。

 仮面を外した彼は明るい笑い声の通り、柔らかく微笑んでいた。私のお店で会っていた時のように。

 彼は眩しそうに目を細める。


「君は、誰にも侵すことができない――気高い心をお持ちだ」


 真っすぐに見つめてくる彼から私もまた目が離せない。

 すると、外から扉が一つコンと鳴った。

 何かの合図だったらしい。彼はふっと笑って息をつくと、再び仮面をつける。


「さあ。帰ろう」


 立ち上がった彼は私を促した。



 仮面舞踏会から二日後。

 ダルトンさんから連絡があった。夜のかすみ草に会いたいと。

 私たちは、夜の営業が始まる前の華王館で一室をお借りして話し合うことにした。

 正体は隠しておく必要があったものの、さすがに夜会の装いでと言うわけにはいかなかったので、私は目深にかぶった濃紺のベールを、シメオン様は目元だけの仮面をつける。


「ご連絡いただいたということは」

「はい。こちらが――」

「お嬢様の体調が改善されたということでしょうか?」

「え? ……あ」


 鞄から資料を出していたダルトンさんの手が止まる。


「お嬢様の症状は軽くなったということでよろしいのですね?」


 彼は目を瞠ったが、すぐに大きく頷いた。


「はい! ありがとうございます。おかげさまで咳が治まってきています。咳が止まるので、食事量も増えるようになってきました。薬も嫌がらずに飲んでくれています」

「そうですか。それならば良かったです」

「本当にありがとうございます! ……それでは、こちらが約束のものです。これまで販売したものも、私がここから仕入れていたものもすべて記載しています」


 資料は横に座るシメオン様に渡された。彼はそれを手に取り、黙って目を通す。


「大量の毒劇物の購入がどういうことをもたらすのか、私はその危険性を知っていて取引しました。ですから私はどのようなお咎めを受けても仕方がありません。ただ、どうか娘の薬だけは。どうか娘の薬だけはお譲りいただけないでしょうか」


 シメオン様は資料から顔を上げた。


「もとより取引先の情報との引き換えが条件です。あなたとあなたの娘さんの薬は提供いたします。それにあなたは、ただ農業に使う薬品を売っただけ。……そうですね?」

「っ!」


 ダルトンさんは頭を垂れ、ありがとうございますと何度も震える声で礼を述べた。


「ああ、お待ちになって。薬の提供で私から申し上げたいことがございます」

「は、はい?」


 不穏さを感じたのだろうか。彼はおどおどした様子で私を見る。


「無色透明で無味無臭のお薬は精製が本当に大変なのです。だからお嬢様のお薬はそれで提供しますが、ダルトンさんは苦ぁい苦ぁいお薬をご自分で煎じていただきます。あなたは大人だから、当然我慢できますね?」

「……は、はいぃ」


 良薬口に苦しですよと笑うと、彼はもう苦そうに顔をゆがめた。



 薬をここに届けることを約束した後、ダルトンさんは帰った。

 

「シメオン様。ダルトンさんのこと、ありがとうございました」


 シメオン様の取り計らいにお礼を述べると、驚いたように私を見るので、はっと我に返る。


「申し訳ございません、旦那様」

「いや……」

「それにしても密偵って、もっと優秀かと思っていたのですが、違ったのですね」

「は?」


 彼はぴくりと眉を上げた。


「だって危険薬物を卸した先も突き止められないのですもの」

「当然ながら見当は付けている。ただ確証が必要なんだ。慎重を期さなければ警戒される」

「その割には強硬手段を取ろうとしたではありませんか。それに脅して奪い取る情報より、信頼関係を築いて得られる情報のほうが今後、何倍も有益になるはずです」


 反論できなかったのか、彼は口をつぐんだ。私は調子に乗って不遜な態度で人差し指を立ててみせる。


「仕方ないですね。私がこれからもお側で手伝って差し上げましょう。ただし、私の信条に従っ」


 そこまで言った時、私は彼に強く抱きしめられた。


「シ、メオン様?」

「当たり前だ。君は――私のものだ。誰にも渡さない」

「……え?」


 どきりとした。その時。


「悪いけれど、いちゃつくなら家に帰ってからにしてもらえない?」


 不意に聞きなれた女性の声がして、私は驚きで勢いのままシメオン様の胸を突き飛ばした。

 振り返るとそこにいたのは、メイリーンさんだった。


「い、いちゃつくだなんて! 私はお金で買われた人間ですよ!?」


 声高々に主張すると、彼女は不憫そうな目で遠くを見やる。


「お金で女を買った代償は大きかったわね。まあ、これからせいぜい挽回することね」


 私が振り返るとシメオン様は咳払いした。そして。


「さあ、帰ろう。――私たちの屋敷に」


 彼は立ち上がると手を差し伸べてきたので、私は頷いてその手を取った。

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