第11話 雪平、静けさの音

大雪だった。


図書館の大きな窓には、絶え間なく雪が叩きつけている。

司書の琴乃は、貸し出しカウンターに座り、誰も来ない館内を見渡していた。


本棚の間をすべる冷たい空気。

暖房のかすかな唸り声。

それ以外に、音はなかった。


──このまま今日は誰も来ないかもしれないな。


膝の上で開いたままの本をそっと閉じた。


雪の静寂に包まれるなか、ふと、菓子処いろどりでもらった雪平餅のことを思い出す。

求肥のなかに白餡を包んだ、ふわりとした和菓子。

まるで、雪の上に降り積もった静かな温もりのようだった。


琴乃は小さな包みを開き、雪平餅を指先でつまむ。

その柔らかさに、少しだけ心がほどけた。


***


そのときだった。

玄関のチャイムが、控えめに鳴った。


戸を開けると、雪まみれの少年が立っていた。

帽子も手袋もずぶ濡れで、唇がわずかに震えている。


「……いらっしゃい。寒かったでしょう」


琴乃は、そっとタオルを渡し、ストーブの近くへ案内した。

少年はほとんど声を出さず、素直に頷いた。


図書館の片隅。

ストーブの前で、少年は本を開いた。


表紙は、古びたファンタジー小説。

何度も誰かに読まれた、手垢のついた一冊だった。


ページをめくる手は小さく、ぎこちない。

でも、その目は真剣だった。


ふと、琴乃は気づいた。

少年の首元から、服のほころびた部分が覗いている。

手の甲には、小さなあかぎれがいくつもあった。


──もしかして、家にいたくないのかな。


それ以上、問い詰めることはしなかった。

ただ、そっと、さっきの雪平餅を半分に切って、皿に載せ、そっとテーブルに置いた。


「よかったら、あったかいうちに」


少年は一瞬だけ顔を上げた。

目が、少しだけ揺れた。

けれど何も言わず、ゆっくりと、雪平餅に手を伸ばした。


小さな口で、そっとかじる。

もちもちとした甘さが、かすかに広がっていく。


──ああ、これでいいんだ。


琴乃は、静かに席へ戻った。

何も言わない、何も聞かない。


ただ、ここが、静かで、やさしい場所であり続けること。


それが、今の彼女にできる精一杯だった。


***


外は吹雪だった。

でも、館内はほんのりと温かかった。


少年は本に没頭し、琴乃は机に向かいながら、ときおりそっと彼を見守った。


やわらかい灯りの下、ふたつの白い吐息が、同じリズムで空に溶けていった。

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