閑話三:伊庭八郎 ~失われし腕、握りし剣~

前章のあらすじ: 大村益次郎の改革で強化された新政府軍が、黒田清隆・山田顕義の指揮の下、大艦隊と共に蝦夷地へ迫る。


明治二年(1869年)四月下旬。箱館湾を見下ろす函館山の麓。伊庭八郎は、遊撃隊の隊士たちと共に、息を潜めていた。眼下の砂浜では、新政府軍の上陸部隊と、共和国軍の沿岸砲台との間で、激しい砲撃戦が繰り広げられている。海からは、絶え間なく艦砲射撃の轟音が響き、大地を揺るがす。硝煙の匂いが、潮風に乗ってここまで漂ってくる。




「……始まったな」


伊庭は、右手に握ったエンフィールド銃の冷たい感触を確かめながら、静かに呟いた。その表情は、いつもの明朗快活さとは違い、戦場の厳しさを映して硬く、そしてどこか憂いを帯びていた。左袖は、力なく風にはためいている。




この左腕を失ってから、一年近くが経とうとしていた。失われた腕の痛みは、もう感じない。しかし、時折、ふとした瞬間に、まるでそこにまだ腕があるかのような、奇妙な感覚(幻肢痛)に襲われることがあった。そして、その感覚と共に、彼の脳裏には、失われた腕と、それまでの自分の人生に関わる、様々な記憶が蘇ってくるのだった。




(まさか、俺が、こんな北の果てで、銃を握って戦うことになるとはな……)




伊庭八郎は、江戸の名門剣術道場・練武館れんぶかんの宗家、伊庭軍兵衛いばぐんべえの嫡男として生まれた。心形刀流しんぎょうとうりゅうという、実戦的な剣術を受け継ぐ家の跡取り。周囲からは、当然のように、将来は父を継ぎ、江戸一番の剣士になることを期待されていた。




しかし、幼い頃の八郎は、その期待とは裏腹に、剣術よりも書物を読むことを好む、どちらかといえば内向的な少年だった。道場の厳しい稽古よりも、部屋に籠って漢籍や和歌に親しむ方が、彼にとっては楽しかったのだ。




「八郎! また書物ばかり読んで! 少しは稽古に出んか!」


父・軍兵衛に、何度叱られたことか分からない。父は、典型的な武骨者の剣術家であり、学問よりも剣の道を重んじる人だった。そんな父の目には、本ばかり読んでいる息子は、頼りなく、情けなく映ったのかもしれない。




「父上、剣術だけが武士の道ではありますまい。これからは、学問も修めねば、世の中には立てませぬ」


生意気にも、そんな口答えをしたこともあった。実際、幕末の動乱期にあって、剣術だけでは通用しない時代の変化を、少年ながらに感じていたのかもしれない。




周囲からは、「伊庭の跡取りは、出来損ないだ」「親父とは大違いだ」などと陰口を叩かれた。その度に、悔しい思いをしたが、それでも剣術への情熱は、なかなか湧いてこなかった。




転機が訪れたのは、彼が十五、六歳になった頃だった。ある日、道場破りのような浪人者が練武館に現れ、門弟たちを次々と打ち負かしていった。父・軍兵衛は不在で、道場には師範代クラスの者しかおらず、誰もその浪人に歯が立たない。道場の名誉が地に堕ちるかと思われたその時、見かねた八郎が、竹刀を手に、その浪人の前に立ったのだ。




それまで、まともに稽古をしてこなかった八郎が勝てるはずがない、と誰もが思った。しかし、結果は意外なものだった。八郎は、それまで読んできた兵法書や、父の動きを盗み見ていた記憶を頼りに、驚くほど冷静に相手の動きを見切り、心形刀流の型にはまらない、変幻自在な動きで浪人を翻弄した。そして、最後には、見事な胴打ちを決めて、勝利を収めたのだ。




「……八郎、お前、いつの間にこれほどの腕を……」


駆けつけた父・軍兵衛は、驚きと喜びの入り混じった表情で、息子を見つめた。




この一件で、八郎の中に眠っていた剣への才能と、闘争本能が、一気に開花した。彼は、それまでの遅れを取り戻すかのように、猛烈な勢いで剣術の稽古に打ち込み始めた。持ち前の頭脳明晰さと、恵まれた身体能力、そして何よりも、勝負勘の良さ。それらが組み合わさり、彼の剣技は、驚くべき速さで上達していった。




数年のうちに、彼は練武館の中でも指折りの使い手となり、若くして免許皆伝を得る。その天才的な剣技と、貴公子然とした端正な容姿から、いつしか「伊庭の小天狗こてんぐ」と呼ばれるようになっていた。




文久三年(1863年)、二十歳の時、その才能を認められ、将軍・徳川家茂の警護を務める「奥詰おくづめ」に抜擢される。これは、旗本の子弟の中でも、特に優秀な者だけが選ばれる、名誉ある役職だった。剣術よりも学問を好んでいた少年が、ついに江戸城に仕えるエリート武士となったのだ。父・軍兵衛の喜びようは、大変なものだった。




奥詰での日々は、刺激に満ちていた。将軍の身辺警護という重責。同僚たちとの切磋琢磨。そして、時代の中心で繰り広げられる政治の動き。伊庭は、この時期に、多くのことを学び、人脈を広げた。




しかし、時代は穏やかではなかった。幕府の権威は失墜し、尊攘派の活動は激化。そんな中で、奥詰は、より実戦的な部隊へと改編されることになる。慶応二年(1866年)、奥詰の中から精鋭を選抜し、フランス式の歩兵戦術を取り入れた、将軍直属の親衛歩兵隊「遊撃隊ゆうげきたい」が発足したのだ。伊庭は、その中核メンバーの一人に選ばれた。




遊撃隊の訓練は、これまでの剣術中心のものとは全く異なっていた。銃の扱い、集団での行軍、散兵戦術。最初は戸惑いもあったが、伊庭は持ち前の柔軟さで、新しい戦い方を吸収していった。剣と銃、その両方を使いこなすことが、これからの武士に必要なことだと、彼は直感的に理解していた。




遊撃隊は、将軍警護だけでなく、江戸市中の治安維持や、反幕府勢力の鎮圧など、様々な任務に従事した。その中で、伊庭は、多くの出会いと別れを経験した。




特に印象に残っているのは、林忠崇はやしただたかという、一風変わった若き大名との出会いだ。忠崇は、上総国請西藩じょうざいはん一万石の藩主でありながら、幕府の瓦解後も新政府への恭順を拒否し、藩兵を率いて遊撃隊と共に戦った、いわゆる「脱藩大名」である。




「伊庭殿、我らは最後まで徳川への忠義を貫きましょうぞ! たとえ、それが茨の道であろうとも!」


忠崇は、まだ二十歳そこそこの若さでありながら、強い信念と、どこか破滅的な情熱を秘めた人物だった。伊庭は、彼の純粋さと潔さに、共感を覚えた。彼らは、短い期間ではあったが、戦友として苦楽を共にした。


(林様は、今頃どうしておられるだろうか……。捕らえられたと聞いたが……)




そして、運命の日、慶応四年(1868年)五月。戊辰戦争の戦火は、箱根にまで及んでいた。伊庭率いる遊撃隊は、新政府軍の東海道進軍を阻止するため、箱根山中の要衝、山崎に布陣した。




敵は、小田原藩兵を中心とする部隊。数ではこちらが劣っていたが、遊撃隊の士気は高かった。しかし、戦いは予想以上に激しいものとなった。




伊庭は、自ら先頭に立って指揮を執り、銃を撃ち、時には刀を抜いて敵兵と斬り結んだ。その時だった。湯本の三枚橋付近で、敵の銃弾が、伊庭の右足の太腿を貫いた。




「ぐっ……!」


激痛と共に、その場に崩れ落ちる伊庭。しかし、敵は容赦しなかった。背後から、一人の小田原藩士が、刀を振りかざして襲いかかってきたのだ。小田原藩士・高橋藤五郎。鏡心一刀流の使い手だったという。




伊庭は、咄嗟とっさに左腕で防御しようとした。しかし、高橋の刃は、伊庭の左手首を、皮一枚を残して断ち切った。




(やられた……!)




激痛と、大量の出血。意識が遠のきかける。しかし、伊庭の闘争本能は、死を許さなかった。彼は、振り向きざま、残った右腕で刀を構え、高橋の首を心形刀流の奥義で下から一突きで貫いた。高橋は、目を見開いたまま、絶命した。




「八郎様! しっかり!」


従者の阪本鎌吉さかもとかまきちが、駆け寄ってきた。伊庭は、もはや自分で立つこともできなかった。阪本に担がれ、味方の陣地である早雲寺へと後退した。




左腕は、手首から先が、ぶらりと垂れ下がっているだけだった。夥おびただしい出血。このままでは、命が危ない。


「……鎌吉、悪いが、ここから先を、切り落としてくれ……」


伊庭は、朦朧もうろうとする意識の中で、そう頼んだ。




阪本は、涙ながらに、伊庭の左腕を手首の少し上から切断した。激痛が伊庭を襲う。しかし、彼は歯を食いしばって耐えた。




切断面からは、二寸(約6センチ)ほどの骨が、白く飛び出していた。それを見た伊庭は、常人では考えられない行動に出た。懐から小刀を取り出すと、こともなげに言ったのだ。


「とんと痛かねえやい」


そして、その小刀で、飛び出た骨を、自ら削り落としたという。その凄まじい気迫に、周りにいた者は皆、息を呑んだ。




その後、伊庭は奇跡的に一命を取り留めた。しかし、代償は大きかった。利き腕である左腕を、永遠に失ったのだ。




(もう、剣は握れないのか……。俺の人生は、終わったのか……)




療養中、伊庭は深い絶望に襲われた。剣の道を歩み、ようやく一人前の武士として認められた矢先の出来事。あまりにも残酷な運命だった。毎日、失われた左腕の幻肢痛に苦しみ、生きる気力すら失いかけていた。




しかし、そんな彼を支えたのは、遊撃隊の仲間たちの存在だった。彼らは、口々に伊庭の復帰を願い、励ましの言葉をかけ続けた。


「八郎さん、俺たちは待ってますぜ!」


「八郎さんがいなけりゃ、遊撃隊は締まりません!」




そして、療養中に思い出されたのは生前の父・軍兵衛の厳しくも愛情深い姿であった。


「八郎、武士の道は一つではないぞ」「たとえ逆境にあっても、心まで折れてはならぬ」といった父の教えを思い出す。




(そうだ……。俺は、まだ死んだわけじゃない。右腕がある。仲間がいる。そして、俺を必要としてくれる人たちがいる……)




伊庭の中で、再び闘志の火が灯った。彼は、失われた左腕の代わりに、右腕一本で剣を振るうための、壮絶な鍛錬を開始した。バランスを取り直すことから始め、右腕の筋力と技を、徹底的に鍛え上げた。それは、想像を絶する苦痛と努力を伴うものだった。




そして、数ヶ月後。伊庭八郎は、見事に戦場へと復帰した。隻腕の剣士として。その姿は、以前にも増して精悍せいかんで、その剣技は、片腕とは思えぬほどの鋭さと巧みさを備えていた。彼の復帰は、敗色濃厚だった旧幕府軍の士気を、大いに高めた。




彼は、遊撃隊を率いて、榎本武揚の艦隊に合流し、この蝦夷地へとやって来た。新しい国を創るという、壮大な夢を追って。




(……ここまで来たんだ。もう、後戻りはできない)




伊庭は、銃を握り直し、眼下の戦場を睨んだ。砂浜では、新政府軍の兵士たちが、砲弾の雨の中、次々と上陸を果たし、内陸へと進撃を開始しようとしている。




「勝太郎、そろそろだな」


「はっ!」




伊庭は、合図を送った。函館山の麓に潜んでいた遊撃隊の別動隊が、一斉に銃撃を開始した。側面からの予期せぬ攻撃に、新政府軍の上陸部隊は混乱に陥った。




「よし、今だ! 全員、突撃!」


伊庭は、馬に飛び乗ると、自ら先頭に立って、斜面を駆け下りた。右手には、抜き放たれた愛刀が、春の陽光を浴びて鈍く光っている。




「うおおおおっ!」


遊撃隊士たちが、鬨ときの声を上げて続く。彼らは、伊庭の指揮の下、銃と剣を巧みに使い分け、混乱する新政府軍に襲いかかった。




伊庭は、馬上で巧みに銃を撃ち、敵兵を倒すと、接近してきた敵兵に対しては、瞬時に刀に持ち替え、斬り伏せていく。隻腕のハンディなど、微塵も感じさせない、神業のような戦いぶりだった。




(俺の剣は、まだ死んではいない! この右腕一本で、守るべきものを守ってみせる!)




失われた左腕。それは、彼から多くを奪った。しかし同時に、新しい強さと、新しい戦う意味を与えてくれたのかもしれない。




北の大地で繰り広げられる、最後の戦い。隻腕の剣士・伊庭八郎は、過去の栄光と挫折、そして仲間たちへの思いを胸に、明日を切り拓くための道を、自らの剣と銃で、切り開こうとしていた。




(閑話三 終わり)

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