19話 闘う理由

 

 ※


 八月十五日、午後二十三時三十分――渋谷駅スクランブル交差点付近。


 黒瀬誠は、そんな現在日本の中心とも言える場所に立っていた。少し先では、ハチ公がいまだに主人の帰りを待っている。

 普段なら、この時間でも人で溢れているのだが、今日に限っては一般人はいなかった。表向きには、十五日〜十六日にかけて渋谷駅周辺にて、大規模な爆破テロの予告があったと説明し、一般警察官の協力のもと、近隣住民には避難してもらっている。こういう時、国家権力というのは便利だ。

 加えて、誠はよく分かっていないが、人払いの結界なるものも張られているらしく、間違って誰か入ってくる心配はしなくてもいいらしい。

 なので、この場にいるのは、誠と同じく対魔課に属する者たちだけ。近隣署の人間は勿論、今日のために全国から精鋭たちが集っており、渋谷駅周辺に配置されている。


「ふぁあ、眠いなぁ」


 誠は大きな欠伸と一緒に、両手を広げて伸びをする。いつもなら、ここで黒髪剣士の先輩から叱責が飛んでくるところだが、残念ながら今日に限っては、彼女は別行動だ。

 そんなわけで、今の誠はリードが繋がっていない犬同然だった。周囲がいつ何があっても対処できるように神経を研ぎ澄ましている中、一人のんきにストレッチをして眠気を覚ましていると、


「黒瀬さん!」


 誰かから話しかけられた。


「あ、竪山さんじゃないですか」


 その人物は、ちょうど二ヶ月前に、新宿の大型百貨店の伊高屋で一緒に焱獄鳥と闘った竪山だった。


「お久しぶりです!」


 生真面目な性格は相変わらずのようで、年齢も経歴も役職も竪山の方が若干上なのにもも関わらず、とてもきっちりした敬礼をしてくる。


「その節はお世話になりました!」

「いえいえ、こちらこそ。怪我はもう大丈夫なんですか?」

「はい! お陰様でバッチリ!」


 肩をぶん回して、竪山は健康体であることをアピールする。


「――あ、そう言えばあの時は蹴っちゃってすいませんでした」


 謝罪するのを忘れていたと、誠は今更ながらに頭を下げる。綾音がいたら、「コイツ、謝れたのか」と瞳を全開にしていたことだろう。


「とんでもない! こっちこそ、逆上して無礼を働いてしまって申し訳ありませんでした。あの時、黒瀬さんが無理やりにでも止めてくれなければ、自分はあのクソ鳥に殺されていました。そうなれば、先輩方の教えも何もかも、本当に消えてしまうところでした……」


 視線を落とし、目に見えない何かを握りしめる竪山。通常なら彼の心中を察して、一緒にしんみりする場面なのだろうが、誠にそういったものは分からない。なので、無遠慮に会話を続ける。


「人員が一気に減って、新宿署は大丈夫なんですか?」

「……今は、他署の人たちに助けてもらいながらなんとかやっています。……本当は人員を補充した方がいいんでしょうけど、欲しいからってすぐに人が集まる部署でもありませんから」

「まぁ、それはそうですね」


 素質ある者を探して、育て上げるのにも時間が掛かる。外部から連れてくるにしたって、警察の環境に慣れるまで時間がかかるだろう。誠はあくまで例外なのである。


「せめて、今日は犠牲が出ないといいんですけど」

 祈るように竪山が呟いた。





 二十三時四十五分。

 未だ、『百鬼連盟』サイドに動きはない。

 暇つぶしがてら竪山と雑談を続けていたら、


「全く、騒がしいのがいると思ったら、貴方でしたか」


 筋の通った芯のある声が降ってきた。


「あれ? キララさん?」


 見上げると、渋谷の闇を優しく照らす街灯の一つに金髪ドリルツインテール娘の鳳蔵院キララが立っていた。

 誠の声に反応するように、キララは街灯から飛び降りる。


「何してるんですか?」

「決まっていますわ。私も今回の『百鬼連盟』掃討メンバーに選ばれたんですの」

「ん? でも、キララさんは民間の人じゃないですか?」

「聞いていませんの? 今回に限っては過去の遺恨は一旦忘れて、公安も民間も関係なく協力してことに当たる決定が下されましたわ」

「そう言えば、橋渡さんが言っていたような言っていなかったような……」


 この事案は色々と覚えることが多すぎて、その辺の説明はかなり聞き流していたので記憶にない。ただ、隣で竪山が「ウソだろ」って顔で見てくるので、きっと大事なことなのだろうし、忘れているだけで橋渡も説明してくれているのだろう。


「まぁ、そんなことはどうでもいいですわ。――それより、我がライバルはどこですか?」

「水蓮寺さんですか? 今日は別行動です」

「……そう、ですの。分かりましたわ。……貴方が一緒なら問題ないと思ったのですけど」

「? どういう意味っスか?」

「別に……。ただ、あの子は一人になると無茶をしがちだから、傍に誰かストッパーの役目を果たせる人間がいれば、と思っただけですわ」

「ほうほう、つまり水蓮寺さんが心配だったと。いや〜、やっぱり仲いいですねー」


 誠が感心したとばかりに頷くと、


「そ、そんなんじゃありませんわ! 私はライバルとして、――そう! ライバルとして勝手に野垂れ死なれたら寝覚めが悪いと思っただけですわ!」


 顔を真っ赤にしながら、ここにきてまさかのツンデレ属性が追加された乙女が強く言う。しかも、内容をよく聞けば、結局心配しているだけという徹底ぶりだ。


「おい、そこの三人! さっきからうるさいぞ! いつ敵が来てもおかしくないんだ! もっと緊張感を持て!」


 そんなやり取りを繰り広げていたら、近くの同僚に怒鳴られてしまった。

 同僚の注意は真っ当なもので、気が付けば時刻は午後二十三時五十二分になっていた。ぬらりひょんが指定した日時まであと十分もない。


「本当に『百鬼連盟』は攻めてくるのでしょうか?」


 今更になって、竪山が不安そうに口にした。誰に言ったわけでもなかったのだろうが、キララが応じる。


「そればっかりは誰にも分かりませんわ。貴方は、えっと」

「あ、申し遅れました竪山といいます」

「そっ。竪山さん。貴方は『百鬼連盟』に来てほしくなさそうですわね」

「ええ、まぁ。……来ないならそれに越したことはないでしょう」

「何故? 『百鬼連盟』は人類に害なす組織です。いずれは壊滅させなければならない相手。今回ようなことは、遅かれ早かれ起き得ていましたわ。……それとも奴らが怖いんですの?」

「……逆に聞きますが、怖くないんですか?」


 問われて、キララは僅かに逡巡したのちに唇を動かした。


「怖い、ですわ。ええ、怖いですとも」

「え? そうなんですか? なんか意外ッスね」


 誠はてっきり「恐怖? そんなものとっくの昔に克服しましたわ」とか言うと勝手に決めつけていたので、目を丸くする。


「怖いに決まっているでしょう。無論、一般人に比べれば妖魔に慣れてはいますから、存在自体を畏れることはありません。……ただ、妖魔というのは例外なく、人を誑かし、騙し、傷つけ、殺す技と力を持っていますわ。それを、怖くないなどとどうして言えるでしょうか」


 何もおかしな話ではない。妖魔に限らず、己の命を脅かせる存在を畏れるなと言う方が無理があるのだ。

「はい! 俺は怖くありません!」

異常者イレギュラーは黙っていてくださいまし! 話が拗れるではありませんか!」

「あたっ」


 思いっきり尻を蹴られてしまった。このドリルツインテール、綾音よりも厳しい。


「ともかく、怖いものは怖い。これは仕方がないことです」

「だったら……、なぜ貴女は闘うんですか?」

「そんなもの決まっていますわ」


 竪山からの問いに、キララは力強く答えた。


「闘える私が逃げ出したせいで、闘えない人たちが殺されれば、きっと後悔しますわ。そして、私は私で無くなってしまうでしょう。……それは、死なんかよりよっぽど怖いものですわ。だから私は怖がる心に鞭打って、心を奮い立たせますの。――自分が自分であるために」


 キララは自信たっぷりに胸に手を当てて断言した。


「自分が……、自分であるため」


 彼女の言葉を、心の奥に染み込ませるように竪山は反芻する。

 そして、しばらく考え込んだのち、パン! と自分の両頬を叩いた。

 唐突なことに、キララは面食らった様子だったが、


「ありがとうございます! お陰で気合い入りました! これで闘えます!」


 頬を赤く腫らしながら、しかし瞳にだけは一切濁りなく前を見据える竪山を見て、「そう。良かったですわ」と、安心したように頬を緩ませた。


「みんな立派っスねー」


 二人の重い覚悟に反して、浮いてしまうんじゃないかってくらい軽い口調で誠が言う。


「……ちなみに、どうして貴方は闘っていますの?」

「ん? 俺ですか? そうですねぇ。昔、婆ちゃんに人のために力を使いなさいって言われたんですよ。まぁ、婆ちゃんの言ってることだし聞いておこうかなって」


 誠の言葉はそこで終わった。


「そ、それだけですの? 他人に言われたからというだけで、命を懸けて闘っていますの貴方は?」

「はい! ……あれ、なんか変ですか?」

「い、いえ、そういうわけではありませんが……。やっぱり貴方、どこかズレてますわね」

「そうですか? よくある理由だと思うんですけど」


 実際、大切な人の言葉が、行動を起こす動機になるというのはままあることだ。それ自体をキララは否定しない。しかし、誠のは、どこか中身が伴っていないというか、プレゼントが入った箱そのものを大切にしてしまっている感じがしてならなかった。


「でも、もしかしたら、貴方のような人が案外『英雄』などと呼ばれるのかもしれませんわね」


 かつての偉人たちがそうであったように、価値観も感性も何もかもが他人とズレているからこそ、常人には不可能なことを成し遂げられる。


 黒瀬誠もその一人ではないのかと、キララは結論付けた。

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