創作論6:給料格差をなくそう

 翌日。

 ゆり子は主人公の佐倉井美園が勤める会社の設定を考えてきた。

 株式会社三ツ矢食品。

 創業50年になる老舗の食品会社。

 主に菓子類の卸売りをしている。年商5億ほど。

 従業員12人の中小企業。規制の都合で、社員は全員女性。

 役員は社長、常務、専務、部長、課長の5人。残り7人が平社員で、主人公の立場はここ。

 昨年、取引先のトラブルで業績が急激に悪化しており、社長以下役員の報酬を返還して対処に当たっているが、改善の余地は見えておらず、会社運営は行き詰まっている。

 そこを佐倉井美園が、知恵と機転で改善させていくというストーリー。

「一応、クリオリにチェックしてもらおっと。」

 ゆり子はパソコンを立ち上げ、クリオリを起動させた。

『こんにちは、田中ゆり子さん。』

「こんにちは。主人公の会社の設定とおおまか流れを書いたんだけど、チェックしてもらえる?」

『はい、お任せ下さい。』

 ゆり子はテキストデータを、クリオリのアプリに放り込んだ。

 待つこと、3秒。

『残念ながら、この設定では公表は出来ません。』

 いつもながら、ケチがついた。

「え~?実際にある企業をいくつか調べて、事業内容とか従業員の人数と業績の規模感とか、ちゃんと無理がないようにしたはずなんだけど。」

『この設定だと、役員とそれ以外の社員の間で、給与格差が生じています。これは規制対象となります。』

「給与格差?」

 思っていたのと、違うところに指摘が入った。

『はい。このテキストには“社長以下役員の報酬を返還して対処に当たっているが”とありますが、これは普段は役員とそれ以外の社員の間で、給与格差があること暗示しています。』

「そりゃ、役員だからね。平社員と給料が一緒ってことはないでしょ?」

『現実世界では依然としてそうですが、現在、創作物ではこの描写は許されていません。社長以下、全員給与額は同じにすることを推奨します。』

「はぁ?何それ??」

 ゆり子にはクリオリが言っている意味がわからない。

 確かにゆり子はまだ14歳の子供(18禁)で、社会の構造に関しては疎いところもあるが、社長や役員と平社員の給料が同じはおかしい、くらいの常識は持ち合わせている。

『この規制は比較的新しいもので、2058年に出版業界とテレビ業界の自主規制という形で制定されたものです。』

「最近かぁ……それで聞いたことなかったのかぁ。どんな規制なの?」

『そもそも日本では、1990年代からジニ係数が高くなっており、所得格差が発生し始めたと言われています。政府は格差是正に向けて、様々な政策を行いましたが、格差は進む一方で、ついに2057年に通称格差是正法を施行。会社における社員全員の給料を一律にすることを推奨するようになりました。』

「いや、ムリでしょ。」

『実際、この法律には抜け穴が多いと指摘されています。名目上、全社員の給与が一律になっていても、経費の形で役員報酬が用意されたりしているケースもあります。また、法的な拘束力が弱い為、そもそも従わない会社も多いとされており、今後の法改正が期待されています。』

「それ、誰か期待してんの?」

 完全に、お題目が先行してしまったパターンに見える。

『そもそも、この法律では会社間の格差是正には言及していない為、例えばA社の従業員は全員月100万円の給与があっても、子会社のB社は従業員全員月50万円、更にその下請けのC社は従業員全員月20万円しかない……という現象も発生しており、格差是正には繋がっていないとする有識者もいます。』

「アホくさ……それで、その法律が自主規制に繋がってるの?」

『はい。格差是正法が施行された翌年、機運醸成の為、創作物では率先して全社員同給与に表現することが、出版業界やテレビ業界の業界団体の間で決定されました。それにより、この2年間に発表されたフィクション作品は、役員もそれ以外の社員も、給料が全て同じという表現で統一されています。』

「ウソでしょ……」

 ゆり子は頭を抱えた。

 ここまで、現実が伴っていないタイプの規制は初めてだ。

『これに関しては、そもそも明治以降の経済の近代化の過程において、総合職と一般職の扱いに差をつけたことが、その後の経済発展や、個々人のキャリア形成に悪影響を及ぼす原因になったとされています。』

「総合職と一般職?」

 流石にここまで細かいことは、ゆり子も調べていない。

『総合職とは、社長、常務、専務、部長、次長、課長、係長など、管理職に就く人間、もしくは将来的に管理職に就く為に雇用された社員のことを指します。一般職とは、それを補佐する役目で、与えられた一定の業務をこなすのが主となる社員のことを指します。明治以降の日本社会では、総合職の方が管理業務など責務の重い業務が多い為、給与が高いとされています。また、総合職は就業期間が長ければ、順次出世していき、給料も上がっていくのに対し、一般職は給料の上昇率は低く、出世もしにくいとされています。』

「海外はそうじゃないの?」

『国にもよりますが、海外では総合職とはあくまでマネジメント業務を行う部署であり、一般職は各分野のプロフェッショナルが勤める部署という考え方が主流となっています。その為、総合職と一般職で給料格差はなく、どちらもその職責の中で出世して、給料アップしていくという形になっています。これは適材適所と個々人の長所を活かせる点、ライフスタイルに合わせたキャリア形成が出来るという点で、非常に有効な考え方だとされています。』

「それで、日本も総合職と一般職の給料を一緒にしようってなったの?」

『はい。また、高度経済成長時代に主流となった年功序列型給料設定が、当時の日本には未だ残っており、それを一掃したかったという、政府の思惑もあったとされています。』

「それで、勤続年数も役職も全部関係なしで、同給与はちょっと乱暴すぎない?社会主義国家じゃないんだからさ。」

『以前は社会主義アレルギーという言葉も見られましたが、現在は個々人の給与格差に対する不満の方が遥かに大きく、法案はそれほど反対なく通っています。』

「働くことのモチベーションを、根こそぎ奪う社会だなぁ。」

 ゆり子は溜息をついた。

 同時に、将来会社勤めは絶対にやめておこうと思った。

「とにかく、給料は全員平等じゃないとダメなのね。じゃあ、会社の危機は役員だけでなく、社員全員の給料カットで臨むという形にするわ。」

『それならば、規制の対象とはなりません。』

 ゆり子はテキストを書き直した。

 どうにも納得はいかなかったが。

「そう言えば、別件の“仕事”のほうで、とある会社の新入社員に会うんだけど、新入りでも社長と同じ給料ってことになるの?」

 ふと、ゆり子は思い出したように尋ねた。

『はい。会社にもよりますが、現在の新入社員は20~30年前の新入社員の、何十倍もの給料をいきなりもらう形になっています。これは、子供という如何わしい存在の時期が終わる、お祝いも兼ねているとされています。』

「子供時代を如何わしいって言うな。あたしは現役未成年なんだから。」

『但し、その後どれだけ出世しても給料が上がることがないので、社員のモチベーションは低くなりがちと言われています。また、退職代行会社の多用という社会問題にも繋がっています。』

「退職代行会社?仕事辞める時に、本人の代わりに退職の手続きをやってくれる会社だっけ?」

『はい。2020年からのコロナ禍で出てきた業態で、登場して以来、右肩上がりで業績を伸ばし、今では使ったことがない社会人の方が少ないとされています。それまでは、高度経済成長時代に培われた終身雇用制度が残っていましたが、退職代行会社が出てきたことで、転職が当たり前となり、日本産業の人材的新陳代謝がスムーズになったと言われています。一方で、新入社員が入社1日目で辞めたりするなど、雇用における企業の負担が大きくなるなどの問題も長年の課題となっています。』

「新入社員がすぐに辞めたら、企業の負担になるの?」

 社会人経験がないゆり子には、イマイチピンとこない。

『はい。人員の雇用には、必ずある程度の経費がかかります。具体的には、募集をかける際の広告費、面接担当社員の人件費、新入社員の研修費など、多岐に渡ります。短期間で辞められてしまうと、これらの経費が無駄になり、再び同じだけの経費をかけて、人員を募集する必要が出てしまいます。』

「あ~、なるほど。」

『それを防ぐ為にも、新入社員の給料を高く設定する傾向が、退職代行会社が出てくると同時に現れ始めました。一方で会社の人件費全体を抑える為に、既存の社員、特に役員や総合職の給料を下げることが多くなりました。結果、現在名目上は、新入社員と社長他役員の給料が同等とされるのが主流となりました。』

「格差是正の結果がこれか……笑える。」

『それでも前述の通り、新入社員のモチベーションの低さは依然として問題になっており、退職代行会社の使用も減る気配はありません。格差を是正しつつ、社員のモチベーションを上げる方法が、現在模索中とされています。』

「そんなミラクルCがあるなら、是非とも拝みたいもんだね。」

 ゆり子はパソコンの電源を落とした。

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