秋編

19章:秋と柊

第85話:柊燈子

「というわけで、今日からウチで働くことになった柊燈子ひいらぎとうこさんです~」


 週明け、月曜日。


 朝礼を仕切る白石しらいし局長の隣で、見知った人物が控えめな笑みを浮かべている。


「本日からこちらで事務員としてお世話になります、柊燈子ですっ。皆様にはご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんが、一生懸命頑張るのでご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願いします♪」


 きゅるん、とでも効果音が聞こえてきそうなほどのアイドルチックな笑顔に、早くも何人かの男性社員は心をつかまれているようだ。藤木ふじきさんなんてわかりやすく鼻の下を伸ばしている。


 確かに柊は、そこらのアイドルなんて余裕で蹴散らせるくらいのビジュアルの持ち主だ。


 ツーサイドアップの艶やかな黒髪に、ぱっちりとした瞳、艶感のある桃色の唇。街中ですれ違えば、男なら誰もが振り返る美しさである。


「知ってる人もいるかもしれないけど、柊さんは数年前までウチで新卒の正社員として働いていました。確か、種村たねむらくん……君の同期だったよね?」

「え、はい」


 今朝の面談でした話をもう一度全体で振ってくるのは、周知が目的だろう。実際、現在の社員の多くが入社1、2年の若手だ。柊と顔見知りなのは、長年勤めている役職者と、同期入社の俺くらい。


「ウチの勝手はそれなりに理解してると思うので安心してください。あ、でも柊さんが困ってたら積極的に助けてあげてね~」




 俺が柊の着任を知らされたのは、つい30分ほど前のこと。出社と同時に、白石局長に会議室に呼び出されたのだ。


「派遣社員……ですか」

「うん。この頃、事務局全体で残業が増えすぎてるしね。来年度入社の子にアルバイトで来てもらうにしても、さすがに急すぎるから~」


 こっちも急に言われても困るんだけど。


 俺の心中を見透かしたように、白石局長は眉尻を下げて「ごめんね~」と謝ってくる。


「それといきなりで申し訳ないけど、派遣さんの面倒見てもらっていいかな?」

「え、俺がですか?」

「僕とか係長は、10月の講演会のあれこれで外出も多いし。それに種村くんの業務を分散するのが一番効率いいと思うんだよね~」


 要約すると、雑務はさっさと派遣さんに任せて、俺は白石局長たちの講演会準備を手伝えということか。


 とはいえ、そう簡単に引き継げるのなら苦労はしない。ただでさえ使っているパソコンやソフトは古いうえに、我が社は独自ルールが多すぎるのだ。簡単な事務作業だけ振るにしても、1週間や2週間では戦力にならないだろう。むしろ作成物のチェックや手直しの時間を含めると、しばらくは負担増となる。


「大丈夫大丈夫。その辺は僕も理解してるつもりだよ」


 ナチュラルに心を読んできた白石局長は、派遣会社から提供されたと思しき、派遣社員のプロフィール用紙を突き出してくる。


 その名前には見覚えがあった。


「柊燈子……って、まさか、あの柊ですか?」

「そ、柊さん。キミの同期で、とりわけ優秀だった子。覚えてる?」


 覚えてるもなにも、3日前に都会のど真ん中でバッタリ再会している。


 そういや新宿には、いろんな派遣会社の事務所があったはずだ。あの再会も、奇跡的な確率に多少上乗せがされていたのだろう。


「彼女ならすぐに馴染めると思うんだよね。キミとも仲良かったしさ」

「……そう見えました?」

「少なくとも僕にはね。阿吽の呼吸っていうか、唯一無二の相棒っていうか」


 さすがに盛りすぎだと思う。俺と柊はただの同期だし、彼女が入社1年ほどで会社を辞めてから今日にいたるまで、連絡のひとつも取っていない。


「というわけで、もう数分もしたら来ると思うから色々よろしくね。席はキミの右隣だから~」


 そう言って白石局長は先に会議室を出ていった。この人が自分から話を切り上げた以上、もう何を言っても状況は変わらない。ならば俺に与えられた選択肢は、全力で順応するだけだ。


 頭の中でいくつものレバーやスイッチを操作し、社会人としての自分をカスタマイズする。「同期入社の異性と数年ぶりの再会。当時は対等な立場だったけど、今回は派遣社員とメンターという明確な上下関係。ある程度の線引きはしながらも、彼女が周囲と馴染めるよう程よくフランクに……」よし、インストール完了。



 

 こうして、俺は柊と改めて再会を果たしたのである。


「藤木さん、麦茶どうぞ~」

「おっ、柊さんありがと! ゆっくり味わわせてもらうよ!」


 グラスを受け取ると、藤木さんは莞爾かんじとして笑う。


「いえいえ、おかわりが必要になったら遠慮なく言ってくださいね?」


 春ファンの藤木さんが柊派に乗り換えるのは時間の問題か。


 我が社には事務員がお茶くみをするという、古き慣習が残っている。これはれっきとした業務であり、俺のルーチンワークのひとつでもある。


 ウチの業務は数年ぶりだというのに、柊は当時とまったく変わらぬ所作で麦茶を配り歩いていた。


芹沢せりざわさんも、麦茶です♪」

「あ、ど、どうも……」


 柊が差し出したグラスを、春はおずおずと受け取る。


「あ、あの……」

「はいっ、どうかしましたか? 芹沢さん」

「……やっぱり何でもないです」


 曇りなき柊の笑顔に、春がたじろぐ。アイツ、意外と人見知りなところあるよな。


 トレイを片付けた柊が、こちらに戻ってくる。


「種村さん、お茶くみ終わりました♪」

「うん、ありがとう。じゃあ次は、セミナー資料の準備の仕方を教えるね」


 俺がパソコンでファイルを開くと、柊が身を寄せてくる。袖口が触れてくすぐったい。


 フリル付きのブラウス、オフィスカジュアルとしてはやや短めのスカート、ローヒールのパンプスと、柊は相変わらず可愛い系の格好を好むようだ。おまけに、どことなく甘いにおいも漂ってくる。香水だろうか。


「種村さん? どうしました?」

「……何でもないよ。じゃあ今日のセミナーはファイルのAを開いて……」




 営業デスクの方面から突き刺さってくる視線に若干の気まずさを感じながら、俺は新人の指導に勤しんだ。

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