騎士と魔女の輪舞曲
中澤織部
序章 騎士と魔女
第1話 酒場にて
「はぁ……。今、何と……?」
「だから、私が思うにですねぇ。ヴィネア様にはお淑やかさが足りないと思うのですよ」
季節は春の半ば、時刻も夕暮れに差し掛かろうという頃のこと。山間の盆地に在るシュタットヘルム王国のとある街道沿の、ぽつんと灯りを点した酒場【踊る金鶏亭】の中。
一夜の宿と憩いを求める旅人や行商人が席を埋め始めた片隅のテーブル席に座りながら、思わず呆けた返事を返してしまった私……ヴィネア・ウェルクスラインの目の前でにやけた面で言葉を放ったのは、やたらとつばの広い黒のとんがり帽子を目深に被った、年若い少女だった。
彼女はエール(麦酒)の注がれたマグを両手で包むように持ち、帽子の下、手入れを怠ったボサボサの髪の合間からは隈のできた目が覗いている。
顔は髪の他にも頬のあたりまでが薄い色素の体毛に覆われていて、只人の鼻筋よりも少しばかり盛り上がった口吻マズルは、獣人種が持つ種族的な特徴だ。
「……何を言い出すかと思えば、急にどうしましたか?」
思わず呆れた目を向けてしまった私は、手元に置かれたマグを手に取った。中には目の前の獣人が頼んだようなエールの類ではなく、度数が弱く飲みやすいシードル(林檎酒)が注がれている。
「だからですねぇ、今のヴィネア様に必要なのは、淑女然としたお淑やかさだと、私はそう思うんですよね」
「……私にお淑やかさなど不要です。むしろ、貴女は何故に必要だと?」
シードルで喉を潤わせながら、私は目の前のつば広帽子の獣人……フィオネにそう問いかけた。
自慢するようなことではないが、自分がお淑やさとか無縁であることはよく知っているつもりだ。遥か北にある雪国由来の生まれつき白い肌に切れ長の薄青い瞳。銀灰色の髪だけは日頃の手入れを欠かしたことこそない。自慢ではないが、かなり顔立ちが整っている方だと自覚している。だが公の場以外で服飾などにこだわる必要性を感じたことはない。
現に、今の自分は人払いも兼ねて膝下までを覆う外套をフードから被っていて、如何にも「話しかけてくれるな」と受け取られるような見た目にしている。
けれどそんな私の言外の主張を知ってか知らずか、この常に何処か人を馬鹿にしているような笑みを浮かべた獣人は世間話のつもりなのだろう。言葉を続けた。
「想っている意中の人がいると考えれば、多少は必要だと思いますよ?」
「意中の人? まさか、貴女は私にそんな人がいるとでもお思いですか?」
否定する私に、フィオネはわざとらしく大袈裟に片方の手を頬に当てて、思い出しているような仕草で息を吐いてみせる。
「そりゃあ、わかりますよ。幾ら顔を平静に隠していても、ヴィネア様が殿下と接する時の、あの空気感と言ったら……。まぁ、私は別に趣味じゃないんですけど」
キシシ、と歯を鳴らすような不快感のある笑い方で最後に余計な一言を付け加えるをするフィオネ。
彼女の言う殿下とは、恐らくは私が仕えるお方……オットー・フォン・ルーシジェア殿下のことだろう。
「何を言い出すかと思えば……、オットー様は主君です。そして、私はそれに仕える騎士。色恋などあるわけがないでしょう」
「キシシ、でもヴィネア様。もし貴女が私のような獣人でしたら、きっと尻尾を振ってましたよ? そういう雰囲気でしたもの」
「……それは貴女の憶測でしょう。それに、オットー様に恋心など畏れ多いことを……」
まるで煽るように、もしくは嘲るように“にへら”とした表情と声色のフィオネに、私は少し苛立ちを滲ませた声で返す。
彼女の言っていることは出鱈目だ。そうでなければ、私は身分の違いはおろか、道徳的に疚しい思いを抱いた女になってしまう。
何故なら、オットー様の置かれている立場は……
「オイ店主、酒ェ持って来い! 直ぐにな!」
突如、私の思考を遮るように、乱暴に店の扉を蹴破る音とともに怒声が酒場の中に響き渡った。
「……と、話は此処までです。流石、情報の通りですね」
手にしていたマグをテーブルの上に置き、席を立つ。都合がいいというべきか、これで目の前の獣人の戯れ言に付き合うのにも区切りがついたことに、私は内心で声の主と、情報主に感謝をする。
「えぇー……、ヴィネア様は仕事熱心ですねぇ……」
うへぇ、とにやけ面のまま器用に落胆する振りをしたフィオネ。彼女はマグに残っていたエールをいそいそと飲み干した。
「……一応は仕事なのですが」
「知らないんですかヴィネア様。仕事中に飲めるお酒が一番美味しいんですよ?」
「……はぁ、そうですか……」
やはり、この魔女とは気が合わないようだ。
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