禍煙神奇譚
蟹谷梅次
LAUGH TOGETHER
第1話 たき・はちろう
緩やかな坂道をのぼり、田んぼの中を自転車で抜けるとそこには家があった。
◆
「師匠〜。言われた通りに肉と野菜買ってきましたよ。はやくおっぱじめましょうよ鍋パ〜ティ〜〜〜」
1989年。昭和64年にして平成元年。
この年、俺は高校2年生だった。
つい先月、友人どもと真夏の15時間ぶっ通し誕生日パーティーを終えて最悪の17歳を迎えたばかりの俺・
「やあやあ、来たねぇ。私はねぇ、なんと、酒を飲んでいたんだよ。どうだいハチ〜。君も酒の味を知らないか! うまいぞう、暑い日にキンキンに冷えた麦酒を呷るのはたまんねぇよな。そんな生活を12年続けてたらこんな腑抜けた体になっちまった。オィ……お前は酒を飲んじゃいけねぇぞ」
「多重人格なんスか? そんなんいいんで、テーブルの上片付けてくださいよ。つーか電話で『片付けといて』って言ったじゃないすか。だらしないなぁ、もう」
師匠の家は、酷いところは本当に酷いもので、寝室なんかは足の踏み場もないくらいにゴミが散乱している。
この男は清潔感とかいう概念を理解していないのかする気がないのか、あるいは特殊清掃員に恨みでもあり将来的な復讐を視野に入れているのかのか、片付けなんてのをしてくれない男だった。
「ハチ、私は師匠なんだから間違っても『だらしない』なんて不敬な言葉を使ってはいけないよ」
「うるさいっスわ。うわうわうわ、鼻血のティッシュじゃないっスか! ねぇもうホント無理。あんたもさっさと動け! せめて鍋を出せ! 鍋を!」
「しょうがないなあ、うちの弟子はこれだから困る。師匠っていうのは、座して弟子の事を見守る存在なんだよ」
この男はこういう訳の分からない怠け癖を発揮する。
そんな戯言に対して眉間にシワを寄せながらテーブルの上から「民俗学」だとか「妖怪」だとか、そういう本やら印刷物をかき集めて、本来の住処であろう棚の空きスペースに適当に積み上げる。
「君との真夏鍋もこれで2回目になるねぇ」
「嫌なことを言わないでください」
「来年はつみれなんてどうだい」
「来年まであんたが生きてたらやりましょう」
冷房も何も無い暑くるしいゴミ屋敷で、去年もこうして鍋をつついた。
「最近お仕事の調子はどうなんです?」
「本を複数出版させていただいたよ。『怪奇! 20センチキャット』と『恐怖! UFO大渋滞』の2冊」
「世間からの評判はどうなんです」
「編集からは『あんなん二度と書くな』と言われたよ」
「またですか」
師匠は本業で小説を執筆している。タイトルからお察しいただける通り、ホラー小説である。
ひとつ読んだだけで寝食を忘れ人間としての体裁を保てなくなる程面白い小説なのだが、どうやら世間一般の感覚でいくと、この人の書く小説は「資源の無駄遣い」にあたるらしい。センスがない。
「褒めてくれるのは君だけだよ、ハチ」
「師匠は小説の才能だけはあるんですからやめないでくださいね」
シナシナになった葉野菜を食いながら言う。師匠は「そういうのも君だけだ」と笑った。
この人は俺の師匠である。
俺は別に小説を書いているわけではなく、ましてや夏鍋嗜好の知見に目を光らせている訳ではない。
ではなにか? 簡単に言ってしまえば、少し怪しくなるが「オカルト」である。
俺は昔から人ならざるものの姿を見ることができた。妖怪、幽霊……総じて怪異と呼称されるそれは、いつも俺の生活を脅かす。
彼と出会ったのはいつだったか。どんな事件だったか。思い出す事は容易ではないが……要するに、彼は俺に怪異への対抗手段を伝えてくれる。
「シメは米にするか饂飩にするか……迷うなァ……」
「饂飩行ったあと米行きましょうよ」
「留まることを知らない食欲、いいね!」
師匠と鍋を堪能したあと、俺は満腹になった腹を押してもう一度街の方に出る。岩手県水沢市。水沢駅前の商店街は比較的人が多いが、それ以外のところだと、あまり人は見かけない「過疎」の2文字が見え隠れする街。
母の稼業が喫茶なので、この街の活気が命。
「母さんいる〜?」
「あっ、ハチ〜! ちょうどよかった、このバカみたいに重い荷物をお持ちになって〜」
「いいけど、それはナニ〜?」
「大量の本! 今度、本棚の入れ替えをするんだ〜」
母から渡された段ボール箱を2つ積み重ねて持ち上げる。片手間でズボンのベルトを直して、それを外に停めてある車の後ろに詰める。
どうも師匠に鍛えてもらううちに身体能力が向上しているらしく、こうして通常ならば片腕では到底持ち上げられないような物まで軽々と支えられるようになった。
「力持ちが居て助かるわ〜」
「わはは、任せなよ」
これでよかった、と思う。俺が身につけるすべての力は誰かの為に使いたい。そう思う。
優れた力には正しい使い方が必要で、俺はその正しい使い方を見極めなければならない。
師匠が俺に教えてくれるのは力だけでなく、使い方もだ。こればっかりは頭が上がらない。
「や! ハチくん!」
額の汗を赤い手ぬぐいで拭き取っていると、近くで珈琲を呷っていた
「三河さん」
俺は髪を後ろに分けながら、三河さんに小さく頭をさげた。この人は随分気さくな人で、少し周りと違う自分にも当たり前に接してくれる。
「今日も来てたんスね」
「此処の珈琲が好きなんだ」
その言葉が嬉しくて、むふんと笑う。
「そうでしょ、そうでしょ。そりゃそうだよ! だって俺の母さんが淹れたんだもの! へへっ、うまいでしょ」
「元気だね」
そうしていると、ふと店の前に狸の姿を見る。誰もその事に気がついていない。……妖怪か。
俺は硝子のドアを開けて、狸に入ってくるようにアイコンタクトで促して、母さんに「何かちょうだい!」とねだる。ケーキとオレンジジュースが出てきた。
膝の上に妖怪狸を乗せて、好き勝手に食べさせる。
「ね、ハチくん。学校は順調?」
「学校スか? いま夏休みっす」
「あっ、そっかぁ……」
「でもダチとかいっぱい居るんでサイコーに楽しいっス」
両手でVサイン。
膝の上で妖怪狸が「おいし、おいし」とケーキを頬張っている。見えていないのを良いことにして随分かわいらしい顔をしている。
やっぱり力の弱い妖怪は笑顔がいちばんだ。幸せになって心安らかに浄化していけば良いんだけれど。師匠いわくこいつのような小さい見た目をした力の弱い妖怪というのは、たいてい周囲の怨念に感化されて悪い妖怪になってしまうらしい。マジで可哀想だ。
「それに師匠もいる。俺、あの人のだらしない所は嫌いだけど、じつはとても誠実な所とか、好きなんです。責任感が強いんです。真面目でとっても……」
師匠は典型的な「怪しいやつ」の見た目をしている。いつ も──夏であろうと黒いトレンチコートを着ていて、目にはサングラス。
母にも最初は疑われていたけれど、その気さくな性格から今では「多少怪しいけど害はない人」にまで昇格している。弟が山で遭難したときは「
俺は彼の事をそんなフウに思っていた。
しかし……1990年。平成2年。1月24日。
師匠──
その際に、その家にいた双子の
あの人が人を殺すような人間には思えなかった。
しかし、書店からあの人の本が消えているのを確認する度に、「そんな人間だったのかもしれない」と思うようになっていき、自分の薄情さが悍ましく思った。
「もし、刑事さん。……あの人に関して何かわかったことがあったら、俺に教えてくれませんか」
「どうして?」
県警の
「あの人、妻子を昔に亡くしてるんです。……あの人をおかしくするとしたらそこら辺の事なんです。俺はそれを知ってるんです。俺は父親がいないから、あの人を父親の代わりに思っていたんです。俺の弟だってそうです。あの人も俺を息子のように思っていたのかもしれません。だから、せめて俺は信じられるところまではあの人を信じてあげたいんです」
自分でも要領を得ない事を言っているというのは分かっていたが、やっぱり混乱しているのだと思う。伊達さんは「わかった」と頷いてくれた。きっとしてはいけないことなのだろうと思うけれど、俺の気持ちを汲んでくれた。
俺はよくあの人が書いた小説を読んだ。
「怪奇! 20センチキャット」
「恐怖! UFO大渋滞」
「怪人! ウナギ男」
「人食いゴールテープを追え!」
などなど……それらを読み返していると、ふと気がついた。それは主人公の設定だった。
もともと会社員。昔はおかしな物が見えるから「おかしい奴」といじめられていた。母親からも父親からも愛情を受けられなかった。偶然海辺で出会った女性と恋に落ち、家庭を持つ。しかし、通り魔に襲われて一度にふたりを失う。責任能力の無さを問われ、犯人はまるで反省する暇もなく世に放たれた。この国を恨んでいる……。
彼が書いた小説は13冊ほどあったのだが、そのすべてに「日本滅ぶべし」という言葉がいれてあった。
「…………」
これが彼の本音なのだと理解するにはそれほど時間は要らなかった。なんだか悔しくなって、「怪奇! 20センチキャット」を壁に投げつけた。
「だったらなんで、俺に力の使い方なんて教えたんだ! 物部天獄……!! 物部、天獄……!!」
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