第10話

朝の光が差し込む中、カイルは一人、街を歩いていた。


最近は、依頼と依頼の合間に、少しずつこの町にも慣れてきた。

市場の活気、鍛冶屋の金属音、行き交う人々のざわめき。

最初は圧倒されるばかりだった景色も、今は心地よく感じられる。


 


ふと目に留まったのは、小さな店だった。

古びた木製の看板に、『魔道具とスクロールの店 フォルタ』とある。


 


(魔道具……)


カイルは、自然と足が向いていた。


 


店内には、不思議な道具がぎっしりと並んでいた。

光を放つ石、無限に水を出す小瓶、風を起こす羽根の扇。


魔法の香りが、空気にほのかに漂っている。


 


「おう、坊主。珍しいな、こんな若いのが」


カウンターの奥から、白髪まじりの初老の店主が顔を出した。


「見ていってもいいですか?」


「好きにしな。壊さなければな」


店主の軽口に、カイルは小さく笑った。


 


棚に並ぶ魔道具を、カイルは一つずつ手に取った。

そして、無意識に――いや、意図して、観察スキルを発動させた。


 


(観察)


 


普通の剣や盾とは違う。

魔道具には、内側に「魔力の流れ」のようなものが見えた。


光の石には、中心に淡い光が脈打っている。

水瓶には、底の部分に渦を巻くような力が感じ取れた。


 


(すごい……)


カイルは息をのんだ。


形を観察するだけではない。

内に秘められた力の”性質”まで、少しずつ感じ取れる。


 


だが、同時に気づいた。


 


(……まだ、完全には読み切れない)


 


魔道具は、普通の物よりも複雑だった。

カイルの観察スキルでも、奥深くまでは届かない。


きっと、もっと成長すれば――

もっと見えるものが増える。


 


そんな確信が、静かに芽生えた。


 


ふと、棚の一角に並ぶ巻物が目に入った。

魔法のスクロールだ。


火球を放つもの、治癒の光を生むもの――さまざまな魔法が込められた巻物。


カイルは試しに一本、そっと手に取った。


 


(観察)


 


しかし、スクロールは、まるで霧に包まれたように視界が曇った。


ほんのわずかに「火の力」のようなものを感じたが、それ以上は分からない。


 


(……今の僕じゃ、スクロールの中身までは観察できない)


 


それでも、カイルはがっかりしなかった。

この感覚は覚えている。


今は見えない。

けれど、きっと、努力を続ければ――


 


(いつか、魔法すら観察して、理解できるようになるかもしれない)


 


棚にスクロールをそっと戻し、カイルは小さく息を吐いた。


目の前に広がる世界は、思った以上に広かった。

そして、それがたまらなくうれしかった。


 


「いい目をしてるな、坊主」


いつの間にか、店主が隣に立っていた。


「魔道具やスクロールは、そう簡単に手の内に入れられるもんじゃねぇ。だが、諦めずに見続ける奴だけが、たどり着ける世界がある」


 


カイルは、素直にうなずいた。


「また、来ます」

「おう、待ってるぜ」


店を出たカイルは、空を見上げた。


雲一つない青空が、どこまでも続いている。


(僕も、見続けよう)


まだ知らないもの。

まだ届かない世界。

それを手に入れるために。


カイルは、静かに歩き出した。

新しい冒険の、すぐ手前で。


カイルは、ギルドで小さな依頼を受けた。


【森の簡易見回り】

森の入り口付近を巡回し、異変がないかを確認するという簡単な仕事だ。


 


(たまにはこういう依頼も悪くない)


カイルは、そう思いながら装備を整えた。


短剣と軽い盾、そして背中にはいつもの錆びた剣。

今はまだ力を発揮していないそれも、カイルにとっては大事な旅の仲間だった。


 


森へ向かう途中、町の喧騒は次第に遠ざかり、代わりに木々のざわめきが耳に満ちていく。


馴染みのある道だった。


あの日、セラと出会った、あの森。


 


(また、会えるのかな)


ふと、そんな想いが胸をよぎる。


理由もない。確証もない。

けれど、カイルの足取りは、自然と森の奥へと向かっていた。


 


森の中は静かだった。


木漏れ日が揺れ、鳥のさえずりが響く。


一見すれば、何の異変もない。


けれど――


 


(……何かが、違う)


 


カイルは立ち止まった。


肌を撫でる空気の重さ。

木々の間を漂う、かすかな緊張感。


誰かが、何かが、呼んでいる。


そんな感覚。


 


(行かなきゃ)


 


盾を構え、カイルは森の奥へと歩みを進めた。


 


かつて、ただの少年だった自分が、無謀にも飛び込んだ場所。

けれど今は違う。


短剣を握る手に、迷いはなかった。


 


どれくらい歩いただろう。


木々が途切れた小さな開けた場所。

その中央に、誰かが立っていた。


 


銀色の髪。


小さな背中。


 


(セラ――!)


 


カイルの胸が、強く脈打った。


あの日、森で別れた少女。


間違いない。


 


だが、彼女の様子はおかしかった。


体を震わせ、うずくまるように座り込んでいる。


そしてその周囲には、黒い影――魔物たちが、じりじりと囲みを狭めていた。


 


カイルは、迷わなかった。


 


一瞬で駆け出す。


盾を構え、短剣を抜き、森の空気を切り裂く。


 


(今度は――)


(絶対に、守る!)


 


再び、少年は森を駆けた。


それは、二度目の運命。


だが今度は、もう迷わない。


カイルは森の中を駆け抜けた。


盾を前に構え、魔物たちの間に割って入る。

セラの前に立ちはだかるように、短剣を構えた。


 


黒い魔物たちが牙を剥き、低く唸り声を上げる。

数は四体。

一体一体は小型だが、連携して襲いかかれば脅威になる。


 


「下がって!」


カイルは短く叫び、セラを庇う。


セラは、驚いたようにこちらを見たが、すぐにわずかにうなずいた。

その小さな手が、大剣の柄をぎゅっと握りしめるのが見えた。


 


一匹目が飛びかかってきた。


カイルは盾を強く突き出し、勢いを殺す。

すぐに短剣を横に薙ぎ、体勢を崩した魔物に追撃を加えた。


 


「っ、はあっ!」


 


一閃。

短剣の刃が魔物の首筋を裂く。


だが、すぐに二体目、三体目が左右から迫る。


カイルは素早くバックステップで距離を取った。


 


(囲まれる前に、数を減らす!)


 


体勢を立て直す間もなく、三体目が突進してくる。

カイルは盾を振るい、突進をいなすように弾き返した。


その瞬間だった。


 


「……ああっ!」


 


背後で、セラが小さく叫ぶ。


振り返ると、最後の一体がセラに向かって牙を剥いていた。


(まずい!)


 


反射的に、カイルは駆けた。


だが、その時。


 


セラが、自分の体を支えながらも、大剣を振り上げた。


小さな体には不釣り合いな武器。

だが、その一撃は、確かに魔物を弾き飛ばした。


 


(……すごい!)


 


倒れそうになりながらも、セラは自分の力で立っていた。


 


カイルは息を整え、残る二体の魔物に向き直った。


(今なら……いける!)


 


観察。

魔物たちの動き、呼吸、癖――すべてが、鮮明に見えた。


カイルは短剣を逆手に持ち替え、力を込める。


 


(具現)


 


手の中に、軽量の投槍が生まれた。


カイルは迷わず槍を投げ放つ。


一直線に走った槍は、一体の魔物の胸を貫いた。


最後の一体も、セラと連携して仕留める。


 


静寂。


 


戦いは終わった。


 


カイルは大きく息を吐き、盾を下ろした。


セラも、力なくその場に膝をついた。


 


カイルは彼女の前にしゃがみ込み、そっと声をかける。


「大丈夫?」


 


セラは、疲れ切った顔で、それでもかすかに笑った。


「……うん」


 


しばらくの沈黙のあと、セラが小さくつぶやく。


 


「……一緒に、行ってもいい?」


 


カイルは、驚いた。


けれど、すぐに笑った。


 


「もちろん」


 


迷いはなかった。


助けたからでもない。

哀れんだからでもない。


この銀髪の少女となら、どこへだって行ける。

そんな、確かな感覚があった。 


二人の旅が、ここから始まる。



少年と少女。

傷を抱えた二人が、今、共に歩き出す。



森の空気は、清々しく澄んでいた。


魔物を退け、無事に再会を果たしたカイルとセラは、森の中の小道を並んで歩いていた。


 


二人の間には、まだぎこちなさが残っていた。

けれど、それは不快なものではない。


少しずつ、歩幅を合わせるように、呼吸を合わせるように。

お互いの存在を、そっと受け入れ始めていた。


 


「これから、どうするの?」


セラが、ふいに問いかけた。

声は小さかったが、その奥に確かな意志が宿っている。


 


カイルは迷わず答えた。


「まずは、町に戻ろう。それから、一緒に依頼を受けていこう。」


「……うん。」


セラも小さくうなずく。


 


町へ戻る道すがら、二人はぽつぽつと会話を交わした。

好きな食べ物。得意な武器。旅に出る前にいた場所。


たわいない話。

でも、その一つ一つが、確かに二人の距離を縮めていく。


 


カイルは、セラの隠された強さを知っていた。

あの森で見せた、一瞬の剣撃。

そして、守られるだけではなく、共に戦おうとした意志。


一緒に歩むには、これ以上ない仲間だと思った。


 


町に戻った二人は、簡単な依頼から少しずつ挑戦していくことにした。


まだ小さな冒険。

けれど、確かに世界は広がり始めている。


 


夕暮れ、町の門を越えた時、カイルは空を見上げた。


西の空に、わずかに残る茜色。


その先に、どんな未来が待っているのかは分からない。

けれど、セラとなら、どこまでだって行ける。

そんな、根拠のない確信が胸に宿った。


 


「行こう、セラ。」


「……うん。」


 


二人は歩き出した。


まだ小さな冒険者たち。

けれど、その一歩一歩が、確かに世界を変えていく。


少年と少女の新たな旅路が、今、始まった。

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