第15話 この世界を歩いていく

夜が明けると、森の中には霧が立ちこめていた。

その白い薄膜を、鳥のさえずりと木々のざわめきが静かに破っていく。


焚き火の火がぱちぱちと音を立てる中、アイリスは毛布に包まったルークの寝顔を見つめていた。


人の姿に戻ったルーク――彼の顔には、竜だった頃と同じ、優しさと無邪気さが残っている。

けれどその奥に、彼は確かに「人」としての痛みや決意を抱えていた。


「よく眠ってるわね。ふふ……本当に、そっくり」


ルークの寝息を感じながら、アイリスはそっと彼の髪を撫でる。

かつての世界で失った弟。あの時は、何もしてあげられなかった。手も、声も、届かなかった。


でも今は――違う。


焚き火のぬくもりと、差し込む陽の光。

それは、確かにこの世界の“朝”であり、二人の“始まり”だった。


やがて、毛布の中からルークが小さく身じろぎし、まぶたを開けた。


「……姉ちゃん」


「おはよう、ルーク」


にっこりと微笑んで返すと、ルークも照れくさそうに笑った。


「……夢じゃ、ないんだね」


「うん。ちゃんと目を覚ましたのは、あなたの方よ」


ルークは少しだけ目を伏せて、ぽつりと呟いた。


「人に戻ったのは……嬉しい。でも、不安でもある。人として生きるのって、怖いこともあるんだなって……」


「そうね」


アイリスは、彼の手を取った。


「でもね、ルーク。怖くなったら、私がいる。わからないことがあったら、一緒に考えよう。泣きたい時は、泣いていいのよ」


「姉ちゃん……」


「あなたは、もう一人じゃない。私が……“お姉ちゃん”が、ついてるもの」


ルークはその言葉に、ぐっと目を潤ませた。

でも涙はこぼさず、頷いた。


「うん。僕……この世界で、生きてみたい。姉ちゃんと一緒に、いろんな場所を見て、いろんな人に会って……やっと取り戻せた命だもん、ちゃんと、使いたい」


「ええ。じゃあ、旅の準備をしましょう。新しい地図も、ルークに描いてもらわなくちゃね」


「まかせて!僕、絵はちょっと得意なんだよ!」


ルークは照れながらも胸を張った。

その姿に、アイリスは思わず笑ってしまう。


「……そういえば、昔もそんなこと言ってたわね。大きくなったら、世界を旅して絵を描くんだって」


「うわ、それ覚えてたんだ……」


「もちろん。だって、私の自慢の弟だもの」


顔を赤らめて俯くルークに、アイリスはそっとリュックを渡した。


「さあ、出発よ」


ルークはうなずき、立ち上がる。

まだ幼い身体だけれど、その背中には確かな意志があった。


二人は焚き火の跡を丁寧に消し、荷物を背負って森の小道へと歩き出した。

並んで歩くその足取りは、少しずつ、確かに未来へと進んでいく。


「ねえ姉ちゃん、最初に行くなら……やっぱり、海が見たいな」


「いいわね。青くて、広くて、どこまでも続いてる場所……ぴったりじゃない、私たちのこれからに」


「うんっ!」


白い霧が少しずつ晴れていく中、

二人の姿は、朝陽に照らされながら、小さな旅路を歩き出した。


手と手をつないで。

二度と離さぬように。

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