第7話 悪魔たち、スーパーで大暴走

 午前11時。

 ようやく目が覚めて、布団の中でダラダラしていた俺に、地獄のような声が降ってきた。


 


「今日のテーマは“人間界の食文化を学ぶ”ですっ!!」


 


 目を開けると、なぜかカーテンを全開にして朝日を浴びている悪魔、リリムの姿があった。

 両手を腰に当て、まるでキャンプに来た小学生のようなキラキラ顔でこっちを見ている。


「……まだ朝飯も食ってねえんだけど」


「だから学ぶんだよっ! 悠人、私と一緒に“食”の冒険に出かけよう!」


「お前なあ……昨日、コンビニで“プリン12連発”したやつがどの口で……」


「そのときはまだ、食文化の奥深さを知らなかったのっ!」


「知ったとしても、バカみたいにプリン食い続けた事実は変わらねぇんだよ……」


 


 その横では、いつの間にか自分用のクッションに腰を下ろして新聞を読んでいるもう一人の悪魔、カグラが顔も上げずに呟いた。


 


「じゃああなたが今日の晩ごはん、作ってくれるのかしら?」


「えっ!? いや、それはまだスキル未習得だから……」


「じゃあ口を開くな」


「ひどっ!? 悪魔同士でそんなこと言う!?」


 


 カグラは新聞のページをめくる手を止めず、涼しい顔で続ける。


「料理は“下界で生きる者の基本”。それを知らないあなたが“食文化”を語るなんて、虫が良すぎるわ」


「ぐっ……! 正論すぎて何も言えない……!」


 


 朝からこの調子である。

 目覚ましの代わりに騒がしい悪魔ふたりの口喧嘩を浴びるのは、もう日常だ。


 俺はぼさぼさの頭をかきながら、ソファに沈み込んだ。


「はあ……。ていうかさ、“食文化を学ぶ”って何する気だよ。どうせまたコンビニスイーツ買い漁るだけだろ?」


 


 リリムは、胸を張って人差し指を立てると、得意げに宣言した。


 


「ノンノン、それは昨日までのリリムちゃん! 今日は真面目に“スーパー”という文明の利器を体験しに行きます!」


「文明じゃなくて、庶民の味方だぞ、あれは」


「えっ、そうなの!? あたし、“食の迷宮を征く王の聖域”だと思ってた……」


「中二ワードで誤魔化すな。普通に主婦の城だ、あそこは」


 


 それでも、リリムの目は真剣だった。

 本人なりに成長しようとしてるのかもしれない。……たぶん。

 まあ、やらせてみないと何かを理解するタイプじゃないのは、今さら言うまでもない。


 


 すると、カグラが新聞を畳みながら立ち上がった。


「じゃあ私も行くわ。今の人間界で何が“食の頂点”に君臨しているのか、確認しておきたいもの」


「……お前もかよ」


「情報収集は重要。あと、あなたの財布から出るなら、なおさら価値があるわ」


「うわ、こいつ計算高い……!」


 


 結局、俺はこの騒がしい悪魔2人に付き合って、今日も休日を潰す羽目になった。

 財布と精神の負担が天秤にかけられて、いつも負けるのは俺のほうだ。


「……いいよ。行こう、スーパー」


「やったーっ! 人間界の味覚、待ってろよーっ!」


「ふふ……“食”こそが、人間の心を掴む鍵。そう簡単に見逃すわけにはいかないわ」


「お前ら、本当に悪魔なのか……?」


 


 そして俺たちは、今この瞬間も知らずに平和を満喫しているスーパーフジタへと、出撃したのだった。



◆ ◆ ◆


 


 駅前のスーパー「スーパーフジタ」は、地元ではそこそこ人気の激安チェーンだ。

 昼前にはすでに多くの主婦や老人たちでごった返し、カートと買い物カゴが店内を縦横無尽に行き交う。


 自動ドアが開いた瞬間、リリムが両手を広げて叫んだ。


「うおおおっ!? すごい活気……! これが“生活戦争の最前線”ってやつねっ!!」


「違う。戦争じゃない。日常だ。主婦の日常だ」


「でもほら見てっ! あそこの“もやし1袋19円”に集まる主婦たちの気迫! あれはもう、戦場のそれだよっ!」


「……まあ、確かに“もやしセール”は地元じゃ争奪戦だけどさ」


 


 そんな悠人の冷静なツッコミも聞こえていないのか、リリムはテンション最高潮で店内へ突撃。

 最初に向かったのは惣菜コーナーだった。


「わっ、すごい……! この“鶏のからあげ”って、揚げただけでこんな香りするの? え、ずるくない? 食べ物が誘惑してくるなんて、こっちの世界の罠すごくない!?」


「それ、俺が昨日言った“食欲という名の誘惑”の話、全然覚えてなかっただろ」


 


 そして冷凍食品コーナー。


「見て見てっ、ここに“小宇宙”が詰まってる! “たこ焼き40個入り”って書いてあるよ!?」


「それ宇宙じゃなくて大家族の希望だ。あとカートに入れすぎだ、冷凍庫のキャパ考えろ」


「うっ……人間界にも“容量制限”っていう魔法があったとは……」


 


 そして極めつけは、野菜売り場での発言。


「この白菜……波動が穏やか。しかもこの“しなり具合”、完全に育ちきってるわ……。いい……育ち方してる……」


「野菜に感情移入すんな。料理する側が情移したら手が止まるだろ」


 


 一方、カグラはというと、肉売り場の冷ケース前で腕を組んだまま立ち尽くしていた。


「この“鶏むね肉”って部位……妙に魔力が籠っているように見える」


「いや、ただのタンパク源だよ。それ以上でも以下でもない」


「でも見て。表面の繊維構造、これは“生命の核”に近い形状……もしかして、“加熱”っていうのが、魔界でいう“転化”に近い作用なのでは?」


「今やってるの、物理の講義か? 理系悪魔怖ぇよ……」


 


 さらにその後、カグラは真顔で“砂肝”と“レバー”の違いについて真剣に悩み、店員に聞こうとして俺に止められ、リリムはパンコーナーで“くるみパン”と“チョココロネ”のどちらに“より人間の欲望が詰まっているか”で10分悩んでいた。


「決めたっ! どっちも買う!」


「結局それかよ!」


 


 そんなこんなで、あっという間にカートは満杯になった。

 俺の財布が薄くなっていく音が、遠くで鳴った気がする。


 


◆ ◆ ◆


 


 レジに到着すると、リリムが急に俺の腕を引っ張ってきた。


「悠人、財布っ!」


「俺かよ!? ていうか、お前らの食文化の勉強なのに、なんで俺が出す前提なんだよ!」


「だって私たち、お金っていう“実体を持たない欲望の数値”の扱い、よく分かってないし……」


「“欲望の数値”とか哲学的に語るな。普通に通貨だよ」


「私は最初、“お賽銭で払えばいけるかな”って思ったんだけど」


「神社に返せっ! てか、なんで今さら神様のふりしてんだ!」


 


 レジの店員が冷静に「合計3,478円になります」と伝える中、後ろには主婦の列。

 その全員の目が、こちらをジロリと向けてくる。


「……はい、カードで……」


「ありがと、悠人っ♡ 今度プリン増し増しで買ってきてあげるね!」


「もうそのプリン、俺の天敵だからな……」


 


 無事(?)に会計を終えた俺たちは、山のような買い物袋を抱えながらスーパーを出た。


 


「ふう……人間界、やっぱり学びが多いね!」


「私は逆に“物質の限界”を思い知ったわ。特に財布の」


「それは俺の限界だ……!」


 


 こうして、激闘のスーパーフジタ編は幕を下ろした――

 が、地獄のキッチン編は、まだ始まってすらいなかった。


(つづく)


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