第6話 周縁化されていた人々

 スーツを買ってからこの場に座るまで、一瞬だったような気がする。

 魔族法廷がどこの国の法廷を真似て作られたんだったかは忘れたけど、まあそんなに変わらないと思う。

 強いて言うなら、裁判官の前で紙とペンが浮遊してたって誰も気にしないくらいか。


 証言台に立った刑事は、らんじゃなくて俺の方を見ていた。

 まあそうだよな、この話、らんはほぼ無関係だし。

「……まず前提として、えにしさんは義務教育を一度も受けていません。当該禁忌魔術の詳細な術式は、本来であれば、義務教育課程を修了しなければ知り得ない情報です」

 ほら、最初から俺の話だ。

 あまねも関わってるからか、美甘みかもさん呼びですらない。


  咄嗟にしんを吸ったあの魔術は、使うだけで罪になるタイプの禁忌だった。

 俺は学校に入れて貰えてないから知らないんだけど。

 そもそも魔術の名称も、それが禁忌だってことも知らなかったし、八年前の事件で見た魔術を思い出して咄嗟に使ったってだけ。


 学校に行ってもいないのにそんな魔術を知ってたのは、八年前の事件で目撃したから。

 本来、禁忌を目撃した場合は魔族警察が記憶処理で消してるらしい。

 ……あまねの中に居た俺には、上手くかかってなかったけど。


 俺の魔族戸籍を確認して、俺の話とそれらの資料を照らし合わせて経緯を把握した時、担当の刑事さんは両手で顔を覆って机に突っ伏していた。

 だってこんなの事故だもんな、しかも原因が警察にあるやつ。

 俺の使用理由、完全に緊急避難だし。


 禁忌の使用は、殺人罪に並ぶくらい重たい。

 不起訴や無罪になった前例がないから、人間ひとまの社会の殺人罪以上かもしれない。

 今回、らんが在宅起訴になったのは、魔族検察のお偉いさんが相当話し合った結果らしい。

 法律の中に、起訴しなきゃいけないって書いてあるから。


「八年前に、えにしさんは――当時は美甘周みかもあまねさんの副人格として存在していましたが、事件の被害者として当該禁忌魔術を目撃しています」

 刑事は、一度視線を落として書類を見直す。


「事件後、あまねさんには記憶処理魔術が行われました。しかし、えにしさんには、この記憶処理魔術が実行されておりません。当時の担当者があまねさんへの聞き取りを怠り、えにしさんの人格について把握しておりませんでした」

 あまねから、どうしてそうなったのかは聞けた。

 ――記憶を消そうとした男が、父親と同じ銘柄を吸ってた。

 コーチの件もあって、あの頃は特に大人の男がダメだった。


えにしさんへの記憶定着後にえにしさんの存在を当局が把握したため、この担当者は当時、戒告処分を受けております」

 ミスやどうしようもなさの積み重ねだったんだと思う。

 誰も美甘周みかもあまねっていう子どもをまともに見なかったせいで、俺は外に出たし、俺が出た後の穴にしんが入った。


 あまねの親が車の中を三秒覗いていれば。

 あまねの父親にあまねと向き合う気持ちが少しでもあったら。

 加配の先生が、あの一日くらい来てくれていたら。

 夏でも長袖を着てたあまねに、誰かが声をかけていたら。

 顧問が話を聞こうとしてたら。

 どれかひとつだけでも違っていれば、何かが変わったかもしれないのに。


 ――これだけの穴があったって、コーチがあまねを狙ってなければ。


 やり取りがしばらく続いた後、促されて立ち上がった。

 視線が、一斉に俺へ集まる。

 大丈夫、配信してる時よりも頭数はずっと少ないんだから。


「参考人として、申し上げます」

 今日の俺は、ただ原稿を読むだけ。

 結局俺も美甘周みかもあまねだっただけあって、誰かとの会話は得意じゃない。


「私は、今回の禁忌魔術行使において私が起訴されるべきであると同時に、早急な現行法の改正が必要であると考えます」

 傍聴席から、どよめきが聞こえた。

 参考人として一から十まで間違ってるのは、俺だって分かってる。


「私は胎児期に他方の胎児に取り込まれたバニシングツインです。それが人格として後天的に分離した事例は私以外に現認されていません。魔族戸籍は魔力核で年齢を測定するため、分離した時点から起算した三歳として処理されています」

 魔族が魔力核を目視した場合、三歳児に見えるのは、そう。


「しかし、私は魔族戸籍における生後二日目に生前同様の労働を病院内で再開し、魔族政府から二十六歳として就労ビザを発行されています。私に成人としての責任能力を認めるべきではないでしょうか」

 生前同様の労働ってフレーズ、俺以外誰も使わないだろうな。


「私が魔術を使用できたのは、先程お話があった通り、八年前の記憶が残っていたためです。このことからも、私が少なくとも八歳以上の存在であることは明白です」

 原稿用紙の一枚目が終わった。

 二枚目を読み上げたらきっと、どよめきはさらに大きくなる。

 そこまで分かっていて、話を続けた。


「仮に私を三歳児として扱うのであれば――その三歳児に酒も煙草も運転も認め、二十六歳としての就労ビザを発行したうえで人間ひとまの社会に送り出した、という解釈になります。これは制度の内部矛盾にとどまらず、人間ひとま政府との外交的な信用を損なう重大な事案ではないでしょうか。以上です」

 俺にでも分かるくらい、裁判長が動揺していた。

 

 らんの弁護士が、言葉を添えた。

「参考人の発言は、被告の監督責任の不存在を裏付けるものであります。制度が適切に機能していれば、本件のような起訴はあり得なかったはずです」


 二百年以上前、魔族の子どもに寮長が禁忌魔術を使わせて、人間ひとま側に死者が出た事件があったらしい。

 完全に責任能力のない年齢の子どもだったから、その子は裁けなかった。

 けど、人間ひとまの政府は当然ブチ切れた。

「子どもは裁けないのは分かるが、指示した大人を裁けないのはあり得ない」ってさ。


 で、魔族側は今の法律を作って、人間ひとま政府とのあいだで「禁忌魔術使用罪は必ず起訴、無罪にはしない」って協定を結んだ。

 その条文がずっとそのまま残って、今じゃ化石みたいになってる。


 つまり今回、らんが無罪になることは有り得ない。

 ……いや、何がどう罪になるんだよ。

 俺ならまだしも、らんなんかその場で倒れてただけなのに。


 傍聴席が面白いくらいどよめく中、裁判長が口を開いた。

「参考人のご意見は重く受け止めます。本件において裁判所が判断すべきは、残念ながら現行法の適用範囲であることもまた事実です」

 あ、残念ながらって言ったな。


 傍聴席で、一斉にペンが動かされた。

 裁判所が「残念ながら現行法の適用範囲で判断すべき」なんて言うのは、もう失言に入れていいだろ。


 続いて証言台に立ったらんは、ジャケットのポケットを探っている。

 小さく息を吐いて、俺を一瞬だけ見た。

 たぶん探してるのは、今朝握ってたはずのメモ。


「カンペ、どっか落としたっぽいな……」

 俺以外には聞こえてなさそうな、小さな声だった。

 笑ってるのか、諦めてるのか。

 ……たぶん、どっちもだ。


「被告人、あなたは監督責任者として、えにしさんをどのように監督していましたか?」

「……すみません、ちょっと聞き取りきれなくて。もう一度お願いできますか」

 繰り返された問いを聞いて、ゆっくりと俺を見た。

 ただ、俺がここにいるのを確認するみたいに。

 助けを求めてるわけじゃない……と、思いたい。


「……むしろ、僕が監督されてる気がします」

 傍聴席が揺れた。

 裁判官が軽く咳払いをしたけど、何人かはもう肩を震わせてる。

 俺だって、ここが裁判所じゃなかったら手のひとつくらいは叩いてた。


「このスーツは先週、えにしさんと二人で買いに行きました。僕は財布を忘れたので、えにしさんに買って貰いました」

 たしかに、すべて事実だ。

 カンペを記憶ごと全部失くしたのはよく分かった。

 それは言っちゃダメだって、俺言わなかったっけ。

 

「あなたとえにしさんは、日常的に生活を共にしていますか?」

「いえ、別の家に住んでます。ただの友人なので。家には遊びに行けますけど、住所は言えません。あ、でもえにしさんは僕の郵便物を管理してくれてるので、えにしさんは言えると思います」

 俺は無言で頷いた。

 八年も郵便物の管理を手伝っていれば、住所くらい覚える。


「公共料金とかも、えにしさんが管理してくれてて。スマホ渡して、QRコードで払ってもらってます。僕、十八歳まではそういうのが無い時代に居たので、まだちょっと……」

「……以上で、参考人並びに被告人の供述を終えます」

 淡々とした声が、若干疲れて聞こえた。


 それからしばらく、儀式みたいなやり取りと議論が続いた。

 もう、内容のほとんどが美甘周みかもあまねの家の話なんだけど。

 なんでこの期に及んで、美甘周みかもあまねの過去の話をこんな場所で大真面目に議論してるんだ?

 あまねがまだ入院中で良かった。

 ネットへの制限もかかってて、何にも知らないはずだから。

 俺が今ここで、あまねから吸い取った記憶からネグレクトについてなんか話したら、跡形もないくらい炎上するんだろうな。

 魔族と人間ひとまの間で亀裂が入りそうだし、言わないけど。


 話がやっとらんのことになったと思ったら、今度は

「無期懲役から社会へ復帰する時には社会に馴染むための支援があるのに、二百年間の神隠しに遭っていたらんに支援が無かったのはおかしい」

って話で揉めてる。


 らんの責任能力が現代人としては微妙ではって話から、そもそも俺もらんも魔族の現在の義務教育を受けてないって話に変わって、らんの復活直後に俺が面倒を見てた話になって、今がらんに支援が無かった話。


 たしかに、トラックに並走しようとしたりバランを食ったりするようなやつに支援が無かったの、どうなんだよとは思ったけど。

 でも当時俺が散々電話しても、該当する制度が無いからって誰も何もしなかったじゃん。


 この裁判、何?

 町内会でももうちょっと議題に沿った話しない?

 魔族って人口が少ないから裁判の数も少ないんだろうし、だから人間ひとまのそれと桁違いに緩いんだろうけど、俺たち周辺の行政絡みの問題、まとめてぶち上げようとしてる?


 なんか義務教育を受けてない話が俺にも影響しそうなんだけど、俺来年からさんすうのドリルとか渡されるんだろうか。

 ……この話の流れ、渡されるっぽいな。

 美甘周みかもあまねの人格として、大学出てるのに。

 

 裁判官が席かららんを見る。

「被告人、最後に何か言いたいことは?」

 らんは小さく瞬きをしてから、口を開いた。

「罰金は、すぐにでもお支払いできます」

 らんが当たり前みたいな顔で取り出したのは、豚の形をした貯金箱だった。

 傍聴席から吹き出した音が聞こえたのは、もう絶対に気のせいじゃない。

 茶封筒について教えておくべきだった。


 また長ったらしい儀式が始まったけど、もう茶番にしか見えなかった。

 荘厳な衣装を着た裁判長が何かを言ってる、その目の前に豚の貯金箱を抱えたらんが居るんだもん。

 何なんだよ、この絵面。


「……被告を一万円の罰金刑とする。本件の事実経過に鑑みれば、被告人に刑事責任を負わせることは著しく不当である。

 しかしながら、現行法及び協定の規定に従う限り、無罪の言渡しは許されない。

 よって本裁判所としては、可能な限り軽微な処断を行うにとどめるものである。

 なお、本件のような事態に適切に対処し得る法制度の整備は、立法府において早急に検討されるべきであると、付言する」


 最低額だから、形だけ有罪にするけどほぼ無罪みたいなもん。

 らんに責任なんかない。

 法律と外交上の取り決めがあるせいで、形式的に起訴して有罪にするしかない。

 裁判所の自由裁量じゃどうにもならんから、可能な限り軽い罰金で済ませる。

 こんな馬鹿みたいなことが二度と起きないように、政治家が法律を変えろ。


 これ、ほぼ魔族裁判所から魔族政府へのクレームだな。


 らんは、金額は聞こえたみたいで、一万円と言われた時にほんの少し笑った。

 こんなに仰々しいことやっといて、最低額だもんな。

 スーツ代の方が高くついたくらい。

 あ、らんはスーツ代が魔調局から支給されてて、財布忘れて俺が奢ったままだから、実質収支はプラスか。

 スーツ、ネクタイ、たこ焼き、その日の夜に二人で食ったパック寿司、ついでに買い出ししたスーパーでの会計八千円まで全部俺の奢りだったから。


 たこ焼き一舟八百円、パック寿司が千三百円、スーパーでの八千円は全部らんの買い物。

 スーツ代を返して貰ったとしても、これって。

 なんか、この裁判、結論だけは笑い話の気がしてきた。

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