治療室

治療室の劈く匂いは嫌なものを往々に思い出させた。

現に、鮮やかな布には不穏な色が滲んでいる。


「腕も治さなきゃだが…マズイのは足かな。腫れている」

「何せセンジをもうすぐ仕留められそうだったからな」

「仕留める、じゃなくて―…」

真っ白い布団に軽快な会話を乗せられて、和らぎを手繰り寄せようとした。

…死んだわけじゃない。そんな訳じゃないのに、私は眉を顰めるばかりだった。

大した事じゃないのかもしれない。それでも困惑が脳を占めてパニックになりそうな感じもした。

大丈夫。そうして乗り切ってきたこの世界だ、ちゃんと今だってその地に立ててる。

もう一度床を踏み直し、はじめに戻り始めた不安を治める。

「これからはどうするんでしょうか」

「一度療養してもらうつもり。だけど、今話したいのはそこじゃなくて……リンナは、今後ここでどうする?」


…確かに、サンさんが療養するようなら私は一人で生活するようになる。

多分態々わざわざ聞いてきたってことは今の宿泊室で横になって休むだけって訳でもないんだろう。

今更大きく不安があるわけじゃないけど…、それなら別に此処で暮らさなくてそもそも良い。


ここに一人で生活するか、もう帰ってしまうか、さて。


「ここにいますよ。サンさん心配ですし」


軽く結論を導く…理由は上記の通り。

何も出来るわけないにしろ一応付き添ってはおきたい。家族みたいなものだし。

「そこまで大した怪我じゃない」

「いやいや、大した怪我だよ。というか掠り傷も多いし」

「治すのに時間がかかるんですか?」

ずっと厳しく気にかけているユイダさんが苦渋の音を漏らす。反対にサンさんは…

「別にここで泊まり込むような大した物ではない、と言っているんだ。宿泊室で休むだけで平気だと思う」

「…そう。僕が見た姿があまりに仰々しく痛んでいただけかい?」

私だってあの赤を思い出す度恐怖が蘇るんだから、確かに心配はわかる。

そうだな、斬られた腕の傷と足の腫れ…私が医者だったら実は完全な療養までは勧めないかも。確実に休んではほしいんだけど。

と思いもするが、蓄積した傷もあったのだろうか。

医療が進んでいなければもしかしたら傷に対して価値観も違うかもしれないし、二人の今までの経験によっても傷の重さの考えが違うかもしれないし、二人の信頼関係の結果かもしれないし…まあユイダさんが重く考えた理由と思われる原因は様々という。

「まだ疑問もあるんですが。」

「今嫁の話をするつもりはないんだけど」

「ちがくてですね」

さてはこう見えてずっと奥さんの事でも考えていたのか。末恐ろしい。この顔で実情冷酷ってのもまあ似合ってしまうが。

「でも無くて…例えば、回復魔法…魔術?は使わないんですか?」

「そう、それもある…腕の傷は治してもらうつもりだけどもうちょっとエネルギーを溜めてかららしい」

…数が少ないのか?一人ぐらいエネルギー満タンじゃないのか?なんて愚痴紛いを喉に引っ込める。

「そうですね、あとは…センジ様との戦いについてはどうだったんですか?」

回答を貰う前に。ところで、センジの呼び方は右往左往してしまう。

呼び方は大体その時の気分に任せてしまう女なので今更だが。よし、話を戻そう。


「センジは戦い方が珍しいわけではなく、ただ段違いの手練れだから勝ちにくかった。恐らく他の経験者と違うのは最初から成長の速度が速かったんだろう。しかし、何はともあれ勝てそうだ」

うーん…バトル漫画の方がわかりやすいな。

流石だな相手の得手不得手それぞれ分かりやすくされて面白い…漫画家様様だな。

いや、現実の人間を漫画に当てはめるのはド失礼。これは私も失敬した。

そして、疑問もないしいい加減治療室からも失礼しなければ。

「それじゃあ、本当に、本っ当にお大事になさってください」

「もちろん。…多様な言葉があるのだな、陽主には」

怯んだ思いは掛け合いのお陰で少しは消えた。

取り敢えず今後の筋を見つけられたようで良かった。

今は食事を食べ終わった昼…大体気分はおやつの時間。

そしてこの世界にはおやつの時間はないので宿泊室で引きこもることにしよう。


「あーあ。でも全部やる気なくなっちゃったかも」

誰に鉢会うこと無くぐったりと机に倒れ込む。

ミシンに目をやってもそんな呑気な奴がどこにいますかと非常事態の気分が止まない。 

最早こういう時は深く眠るのが良いのかもしれない。

眠気があるわけではないが、脳味噌をシャットダウンするという意味で寝てしまおうかな。

……いや。もう机でダラーっとするだけにしとこ。

窓から差し込む日差しに甘え、淡く目を閉じる。

もう少しくつろげるような…陽主には柔らかいクッションや幅広い娯楽があるんですよ。

しかしその類に毒されないだけマシなのかもしれない。

あ~でも…帰りたいな〜。これでも未だにそう思う。

切実さは無いけど、考えたくない域なんだけどそれでも前の世界を忘れる事はしない。

解像度を上げない程度に浮かばせながら、気持ちの良い姿勢をひっそり探す。


………。

うーん、これもいい加減飽きたかな。

そういう頃合いになってきて涼んだ瞼を上げる。

一旦部屋を出るかな。今日の私のことだから惰性に任せて部屋を出て、また惰性に任せて部屋に戻るだろう。

別に、近々満足に休めていた訳では無いしこんな日も有りだと言って欲しい。

まあ、満足に休めてなかっただけで毎日休んではいたけど。


外に華麗に伸びる戸から飛び出して、道を眺める。

今日はこんなだら~っとした日々を的な感じで言ったが昔っからそうだったような気がする。

この世界からもそうだし、前の世界からも。

流石に学生時代はある程度忙しかったけど、卒業してバイトなり就活なりはあったけどマイペースに過ごしてた。

こんな話をしていても普通に悲しいので振り払うように前を向く。

「あっ…」

階段から上がってきたのは、何時にも増して渋い顔をしたセンジ様。

…私にとって特に馳せる思いも悴む思いもなく遭遇としか思えなかった。

「………この度は、えっと……」

然し責任を負わない程クズでもないセンジさんは気まずそうな表情をする。

「いや、良いですよ。私が言う事じゃないですけど」

もう何日も顔を合わせる人を責め立てる気にはなれない。し、怪我をした本人も重大な顔を持ち合わせていないので必死になれないというか。 

居心地の悪さを片す咳払いをして、話を始めだす。

「…そうか。そうだ、サンは今日は治療室に籠もり、明日から宿泊室に行くらしい」

…ああ。恐らくサンさんの様子を見に行った後だったんだろう。

どんな空気になったのかは想像できないが…、治療室にいてくれるのは安心だ。足の腫れがある中派手に動けないからね。

「それと、エランの件だが。」

「エラン様?」

「縫い物の件だ。完成品と型紙ができたら、取り敢えず召使いに教えてみないか?」

その話か。これについては、取り敢えず型紙をいくつか描いてみて手本を作るって話だけはしていた。快く了承すると、センジさんが会話に埒を明かす。

鈍く高尚な拍手を二度してどっかの部屋に入っていった。




そんな、サンさんの腕に切り傷が出来てから二日目。

宿泊室に来ると言っていたあの二日目。


「具合が悪いらしい…」

宿泊室の開いた扉の横でそう言われる。

「えっと、風邪では無いんですよね?」

「うん。怪我も大きいのだけは治してもらったんだけど…ごめんね」

「あっいえいえ。全然、無理は絶対してほしくないですし」

まあ無理してしまった結果がこれだが。責める気は更々無いけど。

「もしよかったら覗きに来てもいいし」

「あっそうですね、有難うございます」


…最初の方の緊迫した様子もいくらかマシになっているが、というか私がこういう状況に不慣れなのだろうか。見てたら分かる通り、自分も身内も大事故に遭ったことが基本無い幸運な人生だった。

…いやある程度の怪我は経験したことありますが。もっと言えば怪我というより栄養不足で体調が崩れるんだが。

でも明らかに幸運だった、それは認める。

この転移も逆に幸運だったからかもしれない… いや転移は全く嬉しくないが!!けど魔法陣側から選ばれるのは運のある人物な気がするし…日々積み重ねた何でもない幸運が勝手に応えた、だったり。

うーん。そんなものに運を使うくらいなら面接に使いたかったな。これさえ運?

兎に角このそんなわけない話を考え出したのはどこからだっけ。



「ご飯の時間です」

ご飯…というのは朝ではなく昼のご飯となる。

さっきユイダさんが来たのは今日の朝食後。サンさんが食堂に来れなかったことを説明しに来てくれたのだ。因みに流石に米は切れている。

さて、ユイダさんが来てもいいと言ってくれたから食べ終わったら行ってみようかな、治療室。



気まずい訳でもなければ何とも言えない沈黙を抜け出して、一階に向かう。

ノック…ではなかった。音の出やすい拳で扉を叩き、…何回が良いんだっけ。

戸惑ってしまった空気を埋める為に治療室に入らせていただこう。


「ちょっと久々です。あっいやそんなでもないです、琳菜です」

「いや。あまり顔を見ていなかったような気がする」

会ってなかったのは一日かそれ未満かくらいだけど…同居してたもんね。

部屋には誰も居らず、昼食のお弁当が残されてる。

「体調大丈夫ですか?」

「熱は無いけど頭が痛いし…後足が痛いな」

「そうですか…」

布団の前に跪き、体をパッと見で窺う。

「………寂しいか?」

「…えっ!?さ、さびし、ちょっとそういうとこありますけど、あ、えっと大丈夫ですよ!」

赤っ恥をかくようなものじゃない、と身ぶり手ぶりを制止して胸を撫で下ろす。

「魔術師の話、覚えてるか?」

「ああ、まあ…」

あの時も妙な慌て方をした。きっとあの時は悪いモノが憑いてたんじゃないか…

「あれから少し思う事があったんだが…まだ話がぼんやりしていたし期待させる事になるから不確定に話すのは一旦止したんだ」

「えっと…そうなんですね…?」

「魔術になんとか頼めば、リンナはリンナの世界の人と会えるかもしれない」


「…え?」


な、なんだ。…考えててくれてたんだ。

期待してたのではないけどてっきり今後も無視していくんだと思ってたし、私は覚悟に手を出し始めていた…のに。

「まあどういう形になるかはわからないが」

そっか。…魔術でどうにか会えるかも、か。話せるかも…。それに心配させてしまってたんだ。

「…ありがとうございます。サンさんは優しいですね」

「俺様はあまり…、サンで良いぞ」

「あっそうですね。それと、そろそろ失礼します。お身体に気を遣って…じゃなかったっけ。合ってる?」

「何かわからないけど身体は大事にするよ」

真摯に畳んでた足を返して、心地良い気分を胸に納める。ニヤけ始めた口を手で正してから、治療室の扉を去った。




























































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