第2話「力」

「あまりに感激して、涙ぐんじゃった?」

「は?」

郁登いくとくんも、私と似たようなこと想ってくれてたんだね」


 反論するために機嫌の悪そうな声を出してみるものの、ちゃんと反論しきれていない自分に笑いすら込み上げてきそうだった。

 自分はアニメ・ゲームソング業界への未練を捨てきれていないんだなって。

 彩星あやせの言葉一つに、こんなに動揺させられることになるなんて誰が思っていたか。


「……いつかは、自力でチャンスを掴んで再会したい」

「郁登くんなら、できるよ」

「適当に喋りすぎ」


 夢を叶えていく人がいる一方で、夢を叶えられない人たちがいる。

 それは何も、俺に限った話ではない。

 どんな業界を目指していたとしても、夢を叶えようとしている人たちは大抵が壁というものにぶち当たる。

 そして夢を叶える道を選ぶか、夢を諦める道を選んでいく。


「私の芝居には価値がなくても、郁登くんの音楽には価値がありすぎるからね。実際に演じさせてもらえたら、恐れ多いくらいだよ」


 彩星は、なんでこんなにも人が喜ぶ言葉を素直に伝えることができるのか。

 人を喜ばせる天才は案外、身近なところにいたと気づかされる。


「今度こそ、涙ぐんじゃった?」

「人間、そんな簡単に泣かない」


 そうは言うものの、自分の軸みたいなものがぶれていっている。


「私のために、曲を書いて」


 彩星は相変わらず、しっかりと目線を合わせてくる。


「なんか、物凄く恥ずかしいことを言っているってこと気づいてるか……」

「私、専属の作曲家さんになってくれてもいいのになー」

「卒業が決まる前は、散々、彩星のために曲を書いてきたんですけど!」


 こんな、何もスペシャルなことが起きない日常に。

 こんな、特別感が何も生まれない普通の毎日に。

 彩星は色鮮やかで豊かな色を俺に魅せてくれる。


「私、郁登くんが書いた曲、大好きだから」

「っぅ、だーかーらー」


 彩星っていうボーカリストと出会う前は、あまりにも地味すぎる日々が続いた。

 俺が積み重ねてきた努力ってやつは、誰の目に留まることなく終わってしまったと思い込んでいた。

 けれど、そうじゃなかった。

 彩星の声が与えてくれる力の強さに、誰にも聞かれることなく終わると思っていた音楽は変化を遂げた。


「その恥ずかしすぎる言葉の連呼、やめてくれ!」


 俺の隣には、いつだって彩星がいてくれたんだなってことを気づかされる。

 いつも俺の傍にいてくれて、俺に必要な言葉を与えてくれる。

 そんな彩星のためにできることが、もう俺にはないんだなってことが単純に悔しいって思う。


「私、まだ、声優部に対して本気じゃないって……郁登くん見てて、気づかされた」

「まだ入部して数日しか経ってないんだから、焦んなくても……」

「だって私たち、高三だよ? もたもたしてたら、もうすぐ卒業だから」


 やってやりたい。

 やってみせたい。

 声優部に入部することに絶望を感じていた彩星の表情が変わっていく。


「私、声優部に尽くす時間が足りていなかったなって……」


 嘆いている暇があったら、やれることをやらないといけない。

 屈している暇があったら、やれることをやらないといけない。

 彩星が強くなっていく瞬間に立ち会うことができて、上手く言えないけど幸せを感じているような気がする。


「目標に対して本気で取り組んでいるんだったら、こんな風に嘆いたり屈したりしている暇はないなって」


 やれることをやったからって、成功の未来が約束されるわけじゃない。

 努力した分だけ、幸せが約束される世界じゃない。

 そんな現実を知っていて、尚も努力を続ける俺たちは馬鹿なのかもしれない。


「多くの人たちに必要としてもらえる声の芝居を提供できる自信なんて微塵もないけど……」

「微塵もなくはないんじゃないかな? 仮にも声優志望……」

「私に話をさせて、郁登くん」


 でも、そんな馬鹿な自分を嫌いになることもできない。

 だって俺たちは、俺たちを支えてくれる人たちのためになる活動がしたい。

 明日かもしれない。

 明後日かもしれない。

 一年後かもしれない。

 そんな、いつ咲くかも分からない笑顔の蕾を咲かせるために俺たちは頑張ることを決めた。


「私、誰かに必要としてもらえるような声の芝居がしたい」

「……俺も、誰かに必要としてもらえる曲を書く」


 たくさん笑ってほしい。

 毎日が楽しいって思ってもらえるような人生が送れるように、俺にできることがあったらやらせてもらいたい。

 俺を支えてくれている人たちの笑顔のために、俺は頑張ってみたい。


「もう、彩星に置いていかれないように」


 彩星ほど綺麗な声じゃないけど、しっかりと声を出すことで自分の気持ちが伝わったらいいなと思う。


「やれることがあるなら、やる。それが、俺たちだったよな」


 今までの会話の流れは、彩星が望んでいたものではないかもしれない。

 でも、彩星と言葉を交わし合うことで、交わし合うってだけで、それは大きな力になると彩星は教えてくれる。


「よし! 私は、そろそろ収録だから抜けるね」

「いってこい」


 プロの声優でもなんでもないのに、そろそろ収録だからってセリフが面白くもあり、かっこよくもあると思う。


(結局、何しに来たんだか……)


 収録だなんて、かっこよく言えるのは偉い大人の人たちが頑張ってくれたから。

 行政のことを認めるわけではない。

 税金を使って、声優部を地域振興に利用しようとしているところだけは絶対に認めたくはない。

 でも、俺の大切な人たちが夢を叶えるために、頑張る環境を提供してくれたことだけは感謝してしまう。


(でも、彩星が頑張れるなら、それでいっか)


 彩星は部活で使うであろう台本を持って、教室を出て行く。

 去りゆく彩星の背中は決して頼りがいがあるとは言い切れないが、彩星は彩星で頑張ってくるという意思を感じさせる。


(彩星は彩星で頑張るんだから、こっちも本気で取り組まないといけな……)


 せっかく使用許可をもらったパソコンに手をつけようとした、そのときだった。


「大変だぞ!」


 一人きりになった教室に、さっと登場したのは人気ライトノベル作家叶十かなととして活躍中の同級生。

 まるで彩星が去るタイミングを図っていたのではないか思うようなタイミングで、叶十先生の片割れである谷田川やたがわは息を切らすフリをする。


「大変なんだって、郁登」


 いやー、これはこれで見事な棒読みだなと思った。

 感情の起伏がない喋り方をするのは藤瀬の方で、矢田川はここまで露骨な棒読みはしない。

 更に言えば、大変だと俺を煽ってくるわりに、矢田川からはこれっぽっちも焦りのようなものを感じない。

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