第48話:クリスマスパーリィは違和感がある件について

 思えば、僕が十六夜家を訪問するのはこれが初めてのことだった。


 原作をプレイしていれば頻繁に出てくる(主人公が帰る家なんだから当たり前か)ので、勝手に訪問したような気になっていたが、よくよく考えれば一度も行っていなかったのである。


 何度か唯ちゃんから遠回しに家に来ないか誘われていたが、少しでも行く素振りを見せると璃奈が超絶不機嫌になるので、結局実現することはなかった。


 原作ファンとしては、ガチの聖地巡礼にあたるのでいつか行きたいと思いながらも縁がなかった十六夜家ではあるが――まさかクリスマスに、それも反転した鏡の世界の中で訪問することになるとは夢にも思わなかった。


「へぇ、ここがアイツらの家か」


 一緒にやって来た霧島先輩が感心したような声を上げる。


 彼女も僕と同じく十六夜家は初見らしく、二階建ての一軒家を興味深げに眺めている。

 ちなみに、僕の世界の方では十六夜家の二人とはあまり関わりがないというか、関係値が薄そうな霧島先輩ではあるが、この世界ではどんな感じなんだろうか?

 これであまり仲良くなかったら大変申し訳ないのだが――まぁ、この世界の霧島先輩のコミュ力なら誰が相手でも仲良くやってくれるだろう。

(別に元の世界の霧島先輩のコミュ力が低いと言っているわけではないので悪しからず。霧島先輩はクールキャラなだけで、普通にコミュ力ある方だと思う)


 ちなみに、今の時間は11時30分だ。

 十六夜家のクリスマスパーティーが何時から開催されるのか分からなかったため、携帯で連絡して尋ねようと思ったのだが――この世界では僕の携帯が使えなかった。

 起動することすらできなかったのだ。

 充電が切れたのかと思い、霧島先輩の家で電力をお借りしたが、いくら充電しても画面が表示されることはなかった。

 恐らく、世界を渡ったことによる弊害だろう。でなければ、僕の携帯が壊れているということになるが――今から携帯ショップに行って時間を浪費するわけにもいかない。

 霧島先輩から唯ちゃんにも確認してもらおうと思ったが、彼女は十六夜兄妹と連絡先を交換していなかった。


 こうなってしまうと、残された手段は一つだけだ。

 アポなし突撃訪問である。


 まあ、唯ちゃんからも「ぜひ来てほしい」と言われていたのだし、猛反対されるということはないだろう。

 最悪、話だけ聞ければいいので、霧島先輩と話を終えた後、少し寄り道をしてから僕たちは十六夜家を訪れた。


「さて、歓迎してくれることを祈りますか」


 僕は若干緊張しながら、玄関口にあるインターホンを押した。

 家の中で音が響き、すぐに聞き覚えのある声が聞こえてくる。


『はーい。どちら様ですか?』

「地藤優斗と、霧島レイ先輩です。十六夜唯さんはいますか?」


 可愛らしい声からして、応対してくれているのが唯ちゃんなのは明らかだったが、礼儀として尋ねてみる。

 すると――


『えっ、先輩⁉ ちょ、ちょっと待ってください! お兄ちゃん――』


 ドタバタと騒がしい音を残しながら、インターホンの音声は途切れた。


「……これは、暫く待ちの時間になりそうですね」

「だな」


 案の定、インターホンを鳴らしてからしばらく経っても唯ちゃんは現れなかった。

 暇だったので、霧島先輩と一緒に指相撲をしながら待っていると、ちょうど五分ほど経過したタイミングで家の扉が開かれた。


「ご、ごめんなさい! 大変長らくお待たせいたしました――」


 肩で息をしながらぺこぺこと頭を下げる唯ちゃん。

 相変わらず、違和感しかない姿を見ながら僕は手を振った。


「いやいや、こちらこそ急に押しかけてごめんね? 飛び入りでも良ければ、霧島先輩と一緒にクリスマスパーティーに参加させてもらいたいんだけど、いいかな?」

「もちろんです! さぁ、どうぞお入りください」

「お邪魔します」

「お邪魔しまーす!」


 元気いっぱいな霧島先輩と二人で十六夜家に上がる。

 十六夜家は豪邸といって差し支えない天羽邸とは異なり、ごく一般的な一軒家だ。

 失礼な話だが、特に見るべきものはないように思えるが――僕は現在、感動の渦の中にいた。


 いや、だって画面の向こうでしか見たことがなかった主人公の家に来ているんだよ? 何度もお世話になったあのセーフティーハウスに。

 これで興奮できなければファンじゃない。

 あそこの階段も、そこの居間も、奥のキッチンも、全部知っている。

 いやぁ――


「懐かしいな……」

「えっ、先輩ってうちに来たことありましたっけ?」

「あっ、ごめん。間違えた。なんというか……うちの実家を思い出しただけ」

「あぁ、そういうことでしたか。であれば――」


 家の中を先導していた唯ちゃんは振り返り、ニコリと笑った。


「自分の家だと思ってゆっくりしていってくださいね。ようこそ十六夜家へ!」


 そうして、僕たちは居間へと通された。

 クリスマスパーティーはまだ開催されていなかったのか、飾り付けこそされているものの、料理などは特に並んでいない。

 さすがに到着が早すぎたか――と思ったが、キッチンからいい匂いが漂ってきており、もう少しで始まる気配もある。


「さすがは先輩! ちょうどいいところで来ていただけました! 実は、今から始めるところだったんです!」

「おぉ、それは良かった。アポなしの突撃隣のクリパだったから、迷惑だったらどうしようかと思っていたんだよ」

「迷惑だなんてとんでもない! 先輩を誘ったのは私ですし、来ていただけて嬉しいです!」

 

 唯ちゃんは輝く笑顔でソファーに案内してくれた。


「さぁ、おかけください。もう少ししたら料理が出来上がるので!」

「あぁ、ありがとう。――あっ、そうだ。ごめん、先に渡すべきだった。これ、口に合えばいいんだけど……」


 僕は忙しそうな唯ちゃんに持参したものを手渡した。

 少しお高そうな紙袋。

 中身は途中で寄ったデパートで購入したお菓子だ。


「えっ、い、いいんですか? こんなにお高そうなものいただいてしまって……」

「もちろんだよ。せっかく人の家のクリスマスパーティーにお邪魔するのだし、これくらいはしないとね」

「お気遣いいただきありがとうございます! せっかくなので、パーティーの中でお出しさせていただきますね!」

「うん。ぜひ」


 ちなみに、結構お値段は張った。

 璃奈へのプレゼントも買った分、貯金はだいぶ危うい。

 けれど、問題はない。

 元の世界に帰ったら、きっちり回収するからね。

 

 ――あのメフィラとかいうクソ悪魔からなァ!


 フハハハハハ! 覚えていろよあの野郎!

 僕にブラックカードの存在をチラつかせたことを後悔させてやらァ!

 身包み全部剝いで、これまでのマイナス分を現金で補ってやる!

 資本主義の奴隷、舐めんなよ……!


「せ、先輩? どうかされましたか……? ものすごく怖い顔をされていましたが……」

「何でもないよ。資本主義の素晴らしさについて考えていただけだから」


 べ、別にお金をぶんどってやろうとか、そういうことを考えていたわけじゃないんだからね! 勘違いしないでよね⁉


「そ、それならいいのですが……あっ、そうだ。兄さんも呼んできますね!」


 手渡した紙袋を大事そうにキッチンへ運んでから、唯ちゃんはパタパタとスリッパの音を立てながら二階へ上がっていった。


「兄さん、か」


 元の世界の十六夜蓮だったら、間違いなく率先して唯ちゃんを手伝っていると思うのだが、この世界の蓮はいったいどうなっているのやら……。

 原作では主人公である十六夜蓮の反転存在は出てこなかったので、どういうふうになっているのかまったく想像がつかない。


 元が英雄そのものみたいな性格をしている分、無気力なニートみたいな人になってるのかなぁ?

 家でゲームをしているとも言っていたし、かなりインドアな出不精になっているのかもしれない。

 そんな十六夜蓮は見たくないような――でも、ちょっと興味があるような……何とも言えない感じだ。


 まぁ、仮に無気力な引きこもりになっていたとしても、元が十六夜蓮である以上、少なからず頼れる存在ではあるはずだ。

 この世界に来てまで原作主人公頼みというのも格好がつかない話だが、やはりファンとしては、彼にはどんな世界でも人々を照らす光であってほしいと願ってしまう。


 ……ん? っていうか、あれだな。わざわざこうして一人で想像を膨らませる必要なんてなかったな。


「先輩」

「んー?」


 実家にでもいるかのようにリラックスした姿勢でソファーに腰かけ、テレビを見ながらポニーテールを弄っていた霧島先輩に声を掛ける。


「この世界の十六夜蓮ってどんな人なんですか?」

「どんな人、どんな人かぁ……難しいこと聞くなぁ」


 霧島先輩は腕を組んで困ったように「うーん」と唸り始めた。

 自分で聞いておいてなんだが、そんなに難しいことを聞いただろうか?

 明るいとか、暗いとか、それくらいの大雑把な性格の括りについて教えてほしかっただけなのだが……。


「十六夜蓮はなぁ……普通に、変な奴だな」

「変な奴?」


 思いがけない言葉に、自然と首を傾げる。

 “変な奴”とは、ずいぶんとざっくりした評価だ。

 誰にだって多少の癖はあるだろうが、それが真っ先に出てくるとは、よほど印象的だったらしい。


 とはいえ、原作の十六夜蓮も、客観的に見れば確かに“変”な人物だったかもしれない。

 善人という言葉では収まりきらないほどの献身性。

 諦めることを知らない黄金の精神。


 正直、こんな人間が身近にいたら、劣等感で捻じ曲がるか、自己嫌悪で潰れるか――どちらにせよ、まともではいられない。

 “普通”の枠から外れた存在は、得てして“変”と呼ばれる。

 この世界の十六夜蓮も、きっとその類なのだろう。

 それも当然だ。

 英雄とは、少なからず頭のネジが飛んでいるものだ。

 というか、そうでなければ、英雄にはなれない。


 ただ、もし霧島先輩が十六夜蓮の“英雄性”を指して「変」と評したのだとしたら、少し違和感が残る。

 なぜなら、元の世界からの“反転”や“屈折”が起きていないことになるからだ。

 いくら十六夜蓮でも、覚醒していない今の段階で、この世界の法則に抗えるとは思えない。

 何かしらの変化が起きているはずだ。


 霧島先輩は、彼のどこを見て「変」と言ったのか。

 そんなことを考えていると、階段を下りてくる足音が二つ、静かに響いた。

 どうやら、いよいよご対面の時間がやってきたらしい。


 期待と不安が複雑に絡み合う中、僕の目の前で――ゆっくりと、リビングの扉が開いた。





「よぉ、優斗ォ! 久しぶりィ! 元気してっか? してんのか⁉ クリスマスパーリィしちゃったんのかよ! えぇ?」

「……」

「なんだよォ、元気ねーじゃないのよっ! 元気出していこうぜ! ウェイ! クリスマスパーリィして行こうぜ! ウェイ☆」


 そこに立っていたのは、星形のサングラスをかけ、茶髪をオールバックに撫でつけ、首元にはジャラジャラとネックレスをぶら下げた――どう見ても、家の中でその格好はないだろうという“とても変な奴”だった。


 僕は思わず、彼の姿を爪先から頭の先まで舐めるように眺めた。

 そして、腕を組み、目を閉じる。

 脳内処理開始。


 ふむ。

 ふむふむ。

 ふむふむふむ。


 ..................


 ............


 ......


 脳内処理完了。


 僕は目をカッと見開き、叫んだ。


「いや、なんでやねん――⁉」


 渾身のツッコミが十六夜家のリビングに響き渡った。



♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰



 これまで数々の出来事に出くわしてきた僕だが、これはさすがに衝撃的だった。

 言葉が出ない。

 固まったまま、何もできない。


 確かに霧島先輩は十六夜蓮のことを「変な奴」と言っていた。

 でも、まさかこんな……チャラいを通り越してゲテモノ枠のキャラが飛び出してくるとは思わなかった。


 なんだよ、その格好。

 なんだよ、クリスマス“パーリィ”って。

 戦国BASARAの伊〇政宗かよ。


 ツッコミたいところは山ほどある。

 でも、まずは冷静になろう。

 落ち着いて、状況を整理するんだ。

 ――なんでこうなった?


 十六夜蓮は、清く正しく堅実で、自己犠牲精神を持った本物の英雄だったはずだ。

 その人物が、どう反転して屈折したらこんなキャラになる?

 正しさが屈折した?

 堅実さが反転した?

 それっぽい理屈は並べられる。

 でも、どれも決定打にはならない。


 納得できない。

 理解が追いつかない。

 記憶と現実が噛み合わない。


 もしかすると、僕の知る十六夜蓮はすべて幻想だったのかもしれない。

 画面の向こう側にいたのは確かに十六夜蓮だったが、プレイしているのは僕自身だ。

 無意識のうちに、画面の向こうにいる彼に僕の理想を押し付けてしまっていたのかもしれない。  

 この世界に来てからも、僕は彼に自分の理想を押し付けていただけで――本当の十六夜蓮は、こんな感じの人だったのかもしれない。


 というか――十六夜蓮に関わらず、全てが僕のだったのかもしれない。

 天羽璃奈と付き合えることになったことも。

 如月メフィラと契約を交わしたことも。

 十六夜唯と仲良くなったことも。

 霧島レイの眷属になったことも。


 僕がこれまで積み上げてきた全ては、ただの妄想だったのかもしれない。

 夢から醒めれば全てなくなってしまうような、ただの妄想。

 


 ――なんて、悶々と考えに耽っていた僕だが、生憎それらはすべて意味のない思考であった。




「なーんてな、だよ、冗談。ビックリしたか?」


 ケラケラと笑いながらサングラスを取る十六夜蓮。

 先ほどまで「ウェイ☆」なんて言っていた彼の目は極めて理性的で、口元に浮かぶ笑みは元の世界の彼とそっくりだった。


「……ん?」


 再び思考回路が止まる。

 今、なんて言った?


「えっ、冗談?」


 ゆっくりと、脳みそが再起動を始める。

 ギシギシと音を立てながら、思考が回り出す。

 まるで凍りついた歯車が、少しずつ溶けて動き出すように。

 ――そうして、僕はようやくそれが悪戯であることに気が付いた。


「お、驚かさないでよ……」


 深く、深く息を吐く。

 良かった……本当に良かった。

 さっきまでの思考時間は全部無駄になったけど、この際目を瞑ろう。

 彼が無事であったことが――あの十六夜蓮がゲテモノキャラに成り下がっていなかったことが何よりの収穫だ。


「もうっ、兄さんったら……ごめんなさい、先輩。変な空気になるだけだから止めた方がいいって言ったんですが……」

「おいおい、折角訪ねてくれた友人をもてなさない方がダメだろう」

「もてなし方がアウトなのっ!」


 むーっ、と可愛らしく頬を膨らます唯ちゃん。

 心なしか、頬が赤い。

 きっと、身内の滑り芸を衆目に晒すことになってしまい、恥ずかしくて仕方がないのだろう。可愛い。


「けど、思ったよりうけなかったなぁ……ウェイ☆」


 懲りた様子もなく、ピースを翳しながらウインクをする十六夜蓮。

 イケメンなので、その動作すらも絵になるが……元の彼を知っている分、違和感が尋常ではない。


「えーと……」


 反応に困りながら苦笑いをしていると、ポーズを決めたまま固まっている十六夜蓮の服を控えめに引っ張る手があった。唯ちゃんである。


「ほら兄さん、早くしまって! 私、もう恥ずかしいよぉ……」

「んあ? ちぇ、せっかく準備したのになぁ。ま、しゃーねーか」


 残念そうに呟きながらもカラッとした笑みを浮かべた十六夜蓮は、星形のサングラスをソファーの前にあるテーブルの上に置いて、こちらへ向き直った。


「んじゃまぁ、改めてようこそ。ま、適当に楽しもうや。レッツパーリィ~~~~~~!」

「兄さんッ!」

「ハ、ハハハハ……」


 こうして、十六夜家でのクリスマスパーティが幕を開けたのだった。



♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰



 さすがはクリスマスパーティというべきか、唯ちゃんの気合の入りようは相当だった。


 リビングには赤と緑を基調とした飾り付けが施され、壁には手作りのガーランドが揺れている。

 テーブルの上には、色とりどりの料理が所狭しと並べられ、部屋全体が温かく華やかな空気に包まれていた。


「いっぱい作ったので、たくさん食べてくださいね~」


 定番ともいえるローストチキンに、じっくり煮込まれたビーフシチュー、濃厚なカルボナーラに焼きたてのパン、そして大盛のサラダと、まさに“なんでもござれ”の豪華ラインナップだ。

 テーブルの中央にはキャンドルが灯され、ほのかな光が料理を柔らかく照らしている。


「唯ちゃん、これ蓮と二人で食べきるつもりだったの……?」


 思わず引き気味に尋ねると、唯ちゃんは顔を赤くしながらブンブンと首を横に振った。


「い、いえいえ! 違います! 夜からお友達が来る予定なので、その分を先に作っておいたんです! 作れるだけ作って、洗い物も済ませておいて、夜はいっぱい楽しもうと思いまして……」

「なるほど、さすがは唯ちゃん。要領がいいね。いいお嫁さんになれるよ」

「おっ――⁉」


 “お嫁さん”という言葉に反応して、唯ちゃんは消え入りそうな声を漏らしながら、チラチラと僕に視線を向けてくる。


「先輩、そういうことばっかり言っていると、いつか女の子に刺されちゃいますよ……?」

「ハハハハハ! 僕が刺される? そんなことはありえないね!」


 天地がひっくり返ってもあり得ないと断言できる。

 ――元の世界の璃奈を除いては。


 あと、刺されても死なない――

 死ぬことができない身体なのでご心配なく。


「うおー、美味い! これ美味いぞ!」


 僕たちの会話をよそに、霧島先輩がガツガツと料理にかぶりついていた。

 豪快に噛みついたローストチキンをキラキラした目で見つめながら、感嘆の声を上げる。


「ありがとうございます。前日から仕込んでいたので、結構味には自信があるんですよ」


 唯ちゃんは「エッヘン」と胸を張った。可愛い。


「おい、見ろよ優斗」

「ん?」

「ニンジン眼鏡!」


 横を向くと、十六夜蓮が綺麗な星形にカットされたにんじんを二つ持ち、目の部分に翳していた。


「えっと……」


 相変わらず、この世界の十六夜蓮は隙あらばちょけてくる。

 これが十六夜蓮以外であれば、上手く対処できる自信はあるのだが、よりにもよって顔が“主人公様”のせいで、どうにも対応に困る。

 思わず固まっていると、再び唯ちゃんの怒声が響いた。


「兄さん! 食べ物で遊ばない!」

「ガハハハッ! そう怒んなよ。優斗に引かれるぞぉ~~」

「ッ! せ、先輩は引いたりしないですよね……?」

「うん。引かないよ。絶対、蓮が悪い」

「ほらっ! 兄さん! いい加減に客人の前で適当なことするのはやめて! 私、本当に怒るからね⁉」

「おい優斗! 俺の味方じゃないのかよ⁉」

「いいからニンジン下ろしなさいッ!」


 クリスマスパーティーの最中に喧嘩を始める二人を、僕はぼんやりと眺めていた。

 元の世界ではまずあり得ない光景だ。


 僕の知る十六夜兄妹は、お互いを深く思いやっていて、それが態度にも如実に表れていた。

 こうして怒るのだって、どちらかと言えば蓮の役割だったし、血が繋がっていない分、思いやりでそれを補っているような節があった。


 ――さらに踏み込んだことを言うのであれば、一歩間違えればさらに先の関係に進んでしまいそうな、危うい湿度すら漂っていた。


 だが、この世界の二人には、そんな空気は微塵もない。

 この二人は、どこにでもいるごく「普通」の兄妹だ。

 ふざけて、茶化して、身内の恥ずかしいところを見られたくなくて怒って、反撃して、また怒って――わいわいと騒ぎながらも、根底ではお互いを嫌っていないことが伝わってくる。


 これらの様子から推測するに、恐らくこの世界の十六夜蓮は、元の性格から『反転』と『屈折』を経て――『普通』で『適当』で『軽い』性格になったのだろう。


 元が異常な――英雄じみた性格だった分、反転の内容としてはそこまで違和感はない。

 どこにでもいるような(と言い切るには変人度が高い気もするが……)、お調子者で、妹と喧嘩もするような普通の少年。

 それが、この世界の十六夜蓮なのだ。


 霧島先輩が『変』と評したのも、この隙あらばふざける部分だけで、それ以外は極めて『普通』の少年だと思っていたのだろう。

 だからこそ、明確な性格を言葉にできず、表現に困っていたに違いない。

 『普通』の十六夜蓮に、『素直』な十六夜唯。

 そこら辺にいる、ただの兄妹。


 元の世界に帰りたいと強く願っている僕だけれど――

 この空気感は、これはこれで悪くないんじゃないかと思えてしまう。


 とはいえ、この世界に浸り続けているわけにはいかない。

 僕には、明確に帰るべき場所があるのだから――。


「ところでさ、唯ちゃん」


 僕は兄妹喧嘩がひと段落し、あれやこれやとこの世界が“反転世界”であることをひしひしと感じるような会話を交わしながら、食べるペースも少し落ち着いてきた頃――

 ふと、昨日から引っかかっていた疑問を唯ちゃんに切り出した。


「昨日、街で会った時にさ――『天羽先輩と過ごされるんですか?』って聞いてくれたよね? あれって、どういう意味だったのかな?」


 冷静になって頭の中を整理していた時、真っ先に浮かんだのがこの疑問だった。

 どうして唯ちゃんは、あの時そんなことを言ったのか。

 あの言い方だと、まるで璃奈が生きているかのような――


「あっ……ご、ごめんなさい……やっぱり、かなり無神経な言い方だったでしょうか……? 先輩のことなので、亡くなった天羽先輩の喪に服されるのかなって……でも、直接そう言うのも失礼かと思って……」


 唯ちゃんは申し訳なさそうに眉を下げ、言葉を選びながら答えてくれた。

 なるほど。

 あれは唯ちゃんなりに気を遣った結果の言葉だったのか。

 確かに、「喪に服す」なんて直接的な表現よりも、「一緒に過ごす」と言った方が、相手に寄り添っているように聞こえる。

 あの時の唯ちゃんは、少し悲しそうな顔をしていた。

 彼女なりに、僕の気持ちを思いやってくれていたのだろう。


 ――これで、少なくともこの世界の璃奈の死は、周囲に周知されていることがはっきりした。

 複雑な気持ちではあるけれど、今はとにかく元の世界に帰ることを第一に考えなければならない。


「いや、無神経だなんてとんでもない。気を遣ってくれて、こうしてクリスマスパーティーに誘ってくれたから、僕は今、こうして楽しい時間を過ごせているんだ。感謝してるよ、唯ちゃん」

「先輩……そう言っていただけると嬉しいです。実は、あの時の先輩は、本当にいつも通りで――敢えてそう振る舞っているのかもしれないって思って、どう接していいか分からなかったんです……」


 だから、唯ちゃんなりに考えて、いつも通りに接してくれていた――ということか。


「ありがとう、唯ちゃん。やっぱり君は、優しい子だね。でも、僕はもう大丈夫だから」


 僕は、どの世界でも変わらない彼女の根っこにある優しさに、笑顔で感謝を伝える。

 唯ちゃんは顔を赤くして俯いた。可愛い。


「……確かに、今でも璃奈のことを想い続けているけれど、今は彼女のためにも前を向きたいと思ってるんだ」


 それっぽいことを言ってみるけれど――

 もし、自分の璃奈が本当に死んでしまったら、こんなふうに言える自信なんて、きっとないだろうな。

 そんなことを、ぼんやりと思う。


「先輩……やっぱり、先輩は強い人ですね」

「そんなことはないよ」


 本当に、そんなことはない。

 僕は弱い人間だ。

 だって――


「霧島先輩がいなきゃ、こうして立ち直ることもできなかっただろうから……」

「んにゃ?」


 シリアスな話を尻目に肉にかぶりついていた霧島先輩は、突然自分の名前を呼ばれて目を白黒させている。可愛い。


「なんだ? 私の噂話かぁ?」

「はい。先輩がとても頼りになるという話をしていたんですよ」

「おぉ、いいこと言うなぁ、お前は!」

「ちょ、先輩……!」


 ぐしゃぐしゃと僕の頭を撫でる――というより、かき混ぜる霧島先輩。

 や、やめて! ローストチキンを掴んだ手でそんなことされたら頭が油まみれに……と思ったら、鳥を掴んでいない方の綺麗な手で撫でられていた。

 さすがっす。姉御。


「それにしても、優斗はなんでまた急にうちに来る気になったんだ?」


 ふと、唯ちゃんに叱られてから少し大人しくなっていたこの世界の蓮が口を開いた。

 今さらな質問ではあるが、こっちとしては渡りに船だ。

 ちょうどいいタイミングだし、そろそろ本題に入るとしよう。


「実は、ちょっと聞きたいことがあってね」

「なんでしょうか?」


 首を傾げる唯ちゃんに、僕は小細工抜きでストレートに言った。


「僕のことを教えて欲しいんだ」


 まるで、他人事のように。


「ここ最近の、地藤優斗について」


 自分について教えて欲しい、と。



♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰



「えっと……先輩自身のことを教えてほしいというのは、一体どういう意味でしょうか……?」


 当然のことながら、意味不明なお願いをされた唯ちゃんは困惑した表情を浮かべている。

 その気持ちはよく分かる。

 僕だって、目の前の人間に急にこんなことを言われたら、「頭、大丈夫ですか?」くらいは言ってしまうに違いない。


「おい、優斗。頭大丈夫か?」


 こんな感じで。


「ちょっと兄さん! 失礼にも程があるでしょ⁉ もうちょっと言い方ってものがあるじゃない!」


 注意するのは“言い方”だけで――頭がおかしくなったという意見には、概ね賛同しているようだね、唯ちゃん。

 まぁ、いいさ。

 こういう反応が返ってくることは予想していた。

 予想していたから、そこまでショックでもない。

 ……ちょろっと泣けてきたけど、見えないようにそっと拭ってから、僕は顔を上げた。


「頭は大丈夫だよ。……いや、大丈夫じゃないかもしれない」


 渋々言い直してから、僕は用意していた“とっておきの言い訳”を口にした。


「実は僕、になったんだ」

「な、なんだって――⁉」


 本当に「なんだって――⁉」である。

 こんなに雑で適当な設定は、なかなかない。

 だが、この世界での僕のことを“知らない”という意味では、記憶喪失と同義に取れなくもない。

 僕は嘘なんかついていない。いいね?


「あの、先輩……それって本当ですか? 冗談ではなくて……?」

「僕の目を見てくれ。この瞳が嘘をついているように見えるかい?」

「……み、見えないです」


 ろくに直視もできないまま、恥ずかしそうに目を逸らす唯ちゃん。 

 可愛い。


「まぁ、いきなりのことで驚いてると思うけど、僕も驚いてるんだよ……昨日までは普通に行動できていたみたいなんだけど、メフィラの奴が色々とやらかしたみたいでさ……」


 これも嘘ではない。

 アイツが全部悪いのだから、ここぞとばかりに罪を擦り付けておこう。


「メフィラさんがですか? ……

「えっ?」

「はい?」

「いや、な、なんでもない……」


 予想だにしていなかった反応に、思わず面食らってしまった。

 てっきり――「あぁ、あのフ○ッキンクソ悪魔の仕業ですか」とか、そういう反応が返ってくるとばかり思っていた。

 アイツは例外的な存在かと思っていたが、どうやらきっちり“反転”の対象っぽいな。

 くそ、原作外伝でどんな感じだったか、全然思い出せない……。


「まぁ、そんなわけで、今日の朝起きたらもう何が何だかさっぱりでさ……もちろん、唯ちゃんたちのことは覚えていたんだけど、ここ最近のことがあやふやでね。僕が何をしていたのか、知っていることを教えてほしいんだ。うまくいけば、記憶が戻るかもしれないし」


 強引で雑な設定だが、肝心なのは勢いだ。

 だいたい、悪魔とエクソシストが年中ヒャッハーしている世界観なのだから、記憶喪失の一つや二つ、笑って流してくれたっていいじゃないか。


 何でもありの世界なのだから、ありのままを受け入れるんだよォ!


 ……まぁ、本当は霧島先輩の時のように、この世界と僕が置かれている状況についてすべて説明してしまっても良かったのだが、彼女が異様に物分かりが良かっただけで、この二人も同じように受け止めてくれるとは限らない。


 余計な混乱を生まないためにも、今はこの雑な設定で納得してもらえるとありがたいのだが――


「そっか、大変だったな。いいぜ。最近の優斗の様子や行動について教えればいいんだよな?」


 最悪の場合には、事情をすべてぶちまけよう――そう覚悟していた僕だったが、十六夜蓮のあっさりとした返答によって、その必要はなくなった。

 彼はカラッとした笑みを浮かべている。

 元の世界と同じように、ただ前を向いて走り続ける、あの爽やかな笑顔で。


 ――やはり、反転世界であったとしても、根っこの部分は変わらないものらしい。


 僕は笑顔で頷いた。


「うん。そうしてもらえると助かる」

「OK。それじゃあ、話すとするか。えぇと、最近の優斗は、確か――」


 そして、十六夜蓮は語り始めた。

 この世界にいる、僕――地藤優斗について。

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