世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件
赤坂緑語
第一章
第1話:前世の記憶を思い出したら推しと別れることになった件
いつものお昼休み。
僕は彼女と一緒に屋上のベンチに座って、秋風を浴びながら彼女特製のお弁当を食べていた。
「美味しい?」と聞かれれば、嘘偽りなく心の底から「美味しい」と伝える。すると、彼女は世界で一番幸せみたいな笑顔を浮かべてくれる。
風で艶やかな黒髪がさらりと靡いて、笑顔で細められる瞳は角度によって僅かに色合いを変える紫色で、神秘的な輝きを放っている。
微笑む唇の形は綺麗で、神が丹精込めて作ったと思われる顔立ちは人形のように整っていて――整い過ぎているが故に真顔の状態だとある種の恐ろしさもあるが、彼女の持つ柔らかな雰囲気が親しみやすさを与えてくれていた。
街中を歩けば10人が10人とも振り返る美貌の彼女が自分の彼女だなんて未だに信じられない。これは夢なのかと何度も思ったが、現実だった。
好きだった。
幸せだった。
いつまでもこの夢のような現実が続けばいいと思っていた。
ましてや、自分から終わらせるつもりなんて全く、これっぽっちもなかった。
この夢が終わる時は、彼女が僕の現実を――僕が矮小で、下らない人間であるという現実に気が付いた時だと思っていたから。
だが、昨夜僕は気が付いてしまった。
この世界の正体に。
彼女に待ち受けている“正しい”運命に。
「……天羽。言いたいことがあるんだ」
信じたくはなかった。
ただの夢だと笑い飛ばしたかった。
だけど、軽い気持ちで試してみた検証結果は僕の夢が現実だと告げていて――
「どうしたの? 改まって」
心配そうに見つめる彼女の瞳を見つめながら、僕は暫く言葉を紡げずにいた。
あんな“未来”なんて訪れないかもしれない。
全部、僕の妄想かもしれない。
これからも、上手くやっていけるに違いない。
決意した筈なのに、彼女の眼を見ると自分が揺らぐ。
「……」
「優斗君?」
優しい声で彼女が僕の名前を呼んでくれる。
そういえば、結局恥ずかしくて彼女の下の名前を呼ぶことは出来なかったな――
そんなことを頭の片隅で考えながら、僕は口を開いた。
「ごめん……別れて欲しい」
その言葉を捻り出すのにどれだけの時間を要したか。
無限にも思える沈黙を我慢強く待ってくれた彼女に対して申し訳なさが募る。
僕は世界で一番幸福で、贅沢な人間だったろうに、自分じゃどうしようもないと諦めて、その権利を自分から放棄したのだ。
きっと、このことを知った人は僕のことを心底馬鹿にすると思う。軽蔑すると思う。理解できないと思う。
だが、それでも僕が自分なりに考え抜いた末に導き出した結論だ。
その結果、彼女がどれだけ傷つこうと。
「えっ―――」
ポロっと箸が手から転がり落ちる。
いつも優しく微笑んでいた彼女の顔が凍り付いていた。
「わ……別れ、る……?」
そして、その言葉の意味を知らない幼子のような口調で呟く。
あまりに痛々しい姿に胸が締め付けられる。今すぐに自分の言葉を否定したくなる。だが、そんなことは許されない。彼女自身の為に。何より、世界の為に。
「うん。僕と、別れて欲しいんだ」
あやふやで終わらせないために、もう一度言葉にする。
傷つく資格なんかないくせに、心が痛い。
彼女――天羽璃奈は迷子のようにキョロキョロと視線を彷徨わせている。
「わ、私、何かしちゃった……? 私、なにか――」
「いや、違うんだ。天羽は何も悪くない。悪いのは僕なんだ」
その言葉に嘘はない。悪いのは100%僕だ。
僕が臆病で意気地なしだから。
力がないモブだから、今から彼女を傷つけることになる。
「……前から思っていたことなんだ。僕は君の恋人に相応しくないって」
僕は事前に準備してきた通り、天羽璃奈がどれほど素晴らしい女性であるかを力説し、それに対して自分が如何に情けない男であるかを懇々と説明した。
用意してきた言葉がスラスラと流れる。
それはきっと、言葉の内容が嘘偽りではなく、僕の本音だから。
「天羽は本当に魅力的で、素敵な人だけれど、それに対して僕は本当にダメな奴で――」
「そんなことないよッ!!」
僕の言葉を否定する彼女の口調は未だかつてないほどに強かった。凄まじい迫力に押され、思わず言葉が止まる。
「優斗君は全然ダメなんかじゃないよ! 本当に優しくて、温かくて、心の声に耳を傾けられる素敵な人だよ!」
「そんなお世辞――」
「お世辞なんかじゃない! だって、私は君に救われたんだから!」
「えっ」
救われた。そんなはずはない。
僕は彼女のことを救ってなんかいない。
救えてなんかいない。
救えるはずがない。
だって、彼女を救うのはこの世界の主人公の役割で――
「本当だよ」
僕の心の声を聞いたように彼女がその言葉を再度紡ぐ。
「……優斗君だけなの私のことを本当の意味で理解してくれたのは」
「天羽……」
「だから別れるなんて言わないで! 私も優斗君のことを理解したいの! ダメなところがあるなら直すから! 私の全てを君に捧げるから! だから――」
大きな瞳の淵でキラリと光る透明な雫。
天羽は涙を流しながら、懇願している。
咄嗟に駆け寄って謝りたくなる衝動を無理やり自分の中で抑えつけた。
ここで揺らいでいては意味がない。
それに、彼女が言った「理解してくれた」という言葉は僕の罪悪感を抉り、余計に別れるという僕の決心を固くさせた。
何故なら僕は知っていたから。彼女のことを。彼女の過去を。
前世の記憶を完璧に思い出したのは昨日のことだ。だが、それ以前から僕は天羽璃奈のことを知っていた。
完璧に覚えていたわけではなく、無意識レベルとはいえ、前世の記憶というカンニング行為によって彼女のことを知っており、それを利用して彼女の懐に潜り込んで今に至るわけで……つくづく、自分の汚さに嫌気が差す。
僕は彼女から目を逸らし、冷たい口調を意識して告げる。
「……もうわかったでしょ? 僕は天羽に相応しくない。天羽にはもっと相応しい人がいるよ。もっと優しくて、誠実で、強い人が」
それは投げやりな予感ではなく、確信だった。
この世界には“彼”がいる。
誰よりも彼女に相応しい男がいる。
であれば、僕のような脇役は舞台の幕が上がるその前に身を引くべきだろう。
本来いるべき場所へ帰るべきだろう。
「そんなことない! そんなことないよ! 私には優斗君がいる! 優斗君じゃなきゃ、私……」
「あ、天羽……」
縋り付くように抱き着いてくる天羽璃奈。
正直、彼女がここまで僕のことを好いてくれているとは思わなかった。
こう言っては失礼だが、この関係の始まり方からして吊り橋効果のような効果が働いているんだと考えていたから。
だけどやっぱり、こうやってすぐに卑屈になって彼女を疑うあたり、やはり僕は彼女の彼氏に相応しくない。
そっと抱き着いてきている彼女を引き離す。
離れていく体温を名残惜しく思いながら、しかしそれを表情に出すことはしない。
「……ごめん。今まで本当に楽しかった。夢のような時間だったよ」
「優斗君ッ!」
追いすがるように伸ばされる彼女の手。
僕は彼女に背を向けていつも握り返すその手から逃げた。
空を切る白魚のように美しい手。
「待って!」
待たなかった。これ以上彼女と話していたら決意が揺らぎそうだったから。
「待ってよ……!」
何か小さなものが屋上に転がる音が聞こえた。
「まって……」
それは、僕の誕生日の為に彼女がわざわざ用意してくれたサプライズプレゼントであったことを知るのは、まだ先のことだった。
「……」
僕は彼女を身勝手に傷つけ、涙を流す彼女を背にして屋上を後にした。
これが最良の選択だと信じて。
それが最悪の選択であったことに気が付くのは、もう少し先の話。
♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰
「
それは、僕こと地藤悠斗が前世で熱中していた18禁ゲームのタイトルの名前であり、そして今は僕にとっての現実だ。
ゲームの種類はノベルゲーム。ジャンルは、形容するならば「現代ダークファンタジー」ものだろうか。
電子機器が発展した現代の裏側では、架空の存在であるはずの悪魔たちが日夜暗躍しており、同時にそんな悪魔を滅するため、神に選ばれたエクソシストたちが人々を守るため血生臭い戦いに身を投じているという世界観だ。
基本的には神や天使、そして彼らに選ばれたエクソシストVS悪魔というシンプルな構図なのだが、ここに科学を信奉する人間、各陣営の裏切りや駆け引きなど様々な要素が加わり、派生作品も合わせるともはや何が何だかというカオスに陥っていくのだが……話が長くなるのでここでは説明しないでおく。
主人公の十六夜蓮は最初、何も知らないただの高校生だったが、ある日の夜、悪魔に襲われ死に掛けた時に力が覚醒。
残酷な世界の裏側を知り、悪魔から大切な人たちを守るため、エクソシストとしての道を歩み始める――というのが主なストーリーだ。
これだけ聞くと王道の物語のように思えるだろう。実際、展開自体は少年漫画のように熱い展開が多かったし、18禁シーンもストーリーの流れに忠実で違和感がなく、その面でも良ゲーと評判を受けている。
だが、このゲームにはもう一つの顔がある。
それは、度を越えた鬱ゲームとしての一面だ。
主人公たちに襲い掛かる苛烈な試練の数々。
目を覆いたくなるほど惨たらしい無数のバッドエンド。
そして、人間の倫理を試すような悪趣味な選択項目。
カルト的な人気こそあったものの、一部のユーザーからは流石にやりすぎだと言われていたくらいには過激なゲームだった。
さらにこの世界の厄介なところは、主人公たちが悪魔に敗北した場合、人類全体が永久に奴隷にさせられてしまう点にある。
悪魔たちの目的は彼らが暮らす魔界と人間界を直接つなぎ、人類が築き上げた文明をそのまま奪い取り、そして人類を永久奴隷にしてその上に君臨することだ。
悪辣極まりないが、彼らの執念と力は本物。
ルート次第ではいとも簡単に人類は滅びる、ないしは悪魔の奴隷として死んだ方がマシな生き地獄に放り込まれることになる。
ここまでで分かった通り、主人公である十六夜蓮には何としても、何が何でも人類の為に勝利してもらう必要がある。
そして、彼が最も簡単に、ほぼ確実に悪魔に勝利することが出来る数少ないルートが「天羽璃奈メインヒロインルート」なのである。
……想像するだけで頭が沸騰するほどの嫉妬に駆られるが、もう僕にそんな感情を抱く資格はないので淡々と説明だけ進めると、原作では主に4大ヒロインの誰かとくっつくことでエンディングに進むルートがある。
簡潔に表記すると、
①初心者も安心。最高のヒロインと恋をして、美しい感動のエンディングを迎える「超王道ルート」
②愛する人だけいればいい。超絶嫉妬深いヒロインと文字通り世界が滅ぶ真ん中でキスする「君だけいればいいルート」
③人間と悪魔の間で揺れ動くヒロインとくっついたり、離れたり……かと思えば主人公のエグイ秘密が明らかになったり、ラスボスが味方になったりと、物語としては一番面白いかもしれないが、取り敢えず人類の半分が消し飛ぶことが確定している「凸凹ルート」
④人類なんか滅びて当然なんだぜヒャッハー‼ 悪魔万歳ッ! 小悪魔系(本物の悪魔)ヒロインに堕落させられ、人類に牙を剥く「皆殺しルート」
以上の4つのルートがある。
前世の記憶を思い出した僕は目が覚めたその瞬間に吐いた。
この世界の破滅の結末を幾つも見て来たからこそ、主人公には何としても①のルート、即ち「天羽璃奈メインヒロイン」ルートを歩んでもらう必要があると気が付いたからだ。
でなければ、比喩表現抜きでこの世界は滅ぶ。
仮に世界が助かっても①以外だと僕と僕の周りの人たちは皆死ぬ。
大袈裟な、と思うかもしれないが、それだけ十六夜蓮が持つ力は絶大だ。
一個人が持つには強力すぎるその力のせいで、世界は幾つもの分岐の中で滅んでいる。
そして、十六夜蓮がその能力を十全に使いこなすためにはどうしても潤沢な霊力と“聖痕”を持つ女性が必要不可欠であり、そしてこの世界でそれに該当するのは4人しかいない。
もっと踏み込んだ話をすると、主人公が真の意味で覚醒するには18禁のゲームらしく選ばれたヒロインと主人公がそういう行為をする必要があるのだが……これ以上想像するとまたストレスで吐きかねないので止めておく。
閑話休題
そんなわけで、僕は身勝手にも天羽璃奈との縁を切った。
「天羽、ごめん。でもどうか、幸せに……」
もちろん、この道を選んだからには天羽璃奈と十六夜蓮が順当にルートを歩むための道筋は全力でサポートするつもりだ。
それがせめて、彼女を傷つけて涙を流させた僕に許される唯一のことだと思うから。
『……優斗君…………優斗君……なんで……?』
そんな思い上がった考えがそもそもの大きな間違いであり、なんならこの世界の滅びを加速させることになっていると愚かな僕が知るのは、やっぱりまだ少し先のこと――。
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