アンレコード・サーガ 〜記されざる英雄譚〜
古城 文人
第一章 出会いの路地①
黄昏の光が、崩れかけた石畳を血のように染めていた。
王国の都は、かつての栄光を失い、今や廃墟同然の姿をさらしている。
誰もが顔を伏せ、足早に路地を通り過ぎる──今日を生き延びるために。
そんな中、少女はいた。
黒い傘を静かに掲げ、ひとり、沈黙の中を歩いていた。
その衣装は奇妙だった。
この荒れ果てた街にはあまりに不釣り合いな、黒と紫を基調とした華美なドレス。
小柄なその身には重すぎるような、幾重にも重ねられたレースとリボン。
だが、その瞳だけは、服装の軽やかさとは無縁だった。
――紫紺の瞳。
凍てつく夜空のように、深く、冷たい光。
シャルロット=クローデル。
記録者(アーカイヴァー)。
彼女は"記されるべき者"を探していた。
傘を傾けた少女は、ふと足を止める。
見上げた空には、もはや星も、月も、ない。
代わりに──
焦げた鉄臭い風と、絶え間ない悲鳴だけが、都を覆っていた。
そして、路地の先。
暗がりの中に、ひとつの影が沈んでいる。
少女は言葉なく、その影へと歩み寄った。
──名もなき傭兵。
彼こそが、シャルの筆が初めて触れるべき、“記されざる者”だった。
男は地に伏していた。
背中に負った深い傷から、赤黒い血がじわりと溢れ出している。
だが、その表情には苦悶も、絶望もなかった。
あるのは、ただ──諦めだけ。
シャルは静かに膝を折ると、傘を閉じ、
男の顔を覗き込む。
「……あなた、名は?」
少女の声は、驚くほど無感情だった。
だがその裏に、誰よりも鋭い“渇き”を宿している。
男は、目だけで少女を見た。
半ば閉じかけた瞼の奥に、かすかに光が宿る。
「名なんざ……とうに捨てた」
しゃがれた声。
それでも、わずかに笑っていた。
シャルは、そっと傘を開き直し、その黒い影を男に落とした。
「なら、私が与えましょう。あなたの名を……記録に。」
少女の手には、いつの間にか、古びた革装丁の書が握られていた。
それは、"虚空の書"。
記されざる者に、唯一の証を刻む、禁断の記録具。
男の唇が微かに震え、嗤う。
「……好きにしろよ、嬢ちゃん。」
その言葉を聞き、シャルは無言で書にペンを走らせる。
──カイル。
名もなき傭兵に、初めて“記される名”が与えられた瞬間だった。
(続く)
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