第32話 2人の過去

 翌日、学園にやって来た壮太は、気だるさを覚えていた。

「薬、効いてよかった……」

 机に突っ伏し、壮太はそう呟く。そんな壮太の傍に守がやって来た。

「お前、大丈夫かよ?」

 そっと頬に冷たいペットボトルを押し付けられ、壮太は顔を上げる。微熱で熱くなっていた頬が、守の持つペットボトルでひんやりと冷たくなっていく。

「気持ちいい……。ありがとう」

 壮太はそのペットボトルを抱き寄せ、枕代わりにして再び机に頭を伏せていた。

「そんなんで授業。受けられるのか?」

 そっと守が、壮太の髪を梳いてくれる。髪をなでられるのが気持ちよくて、壮太はそっと目を瞑っていた。

「もっとなでて、気持ちいい……」

 そういった途端、心地よい感触が頭から消える。守のことを見つめると、彼は壮太から慌てて片手を離しているところだった。

「なんで手、離しちゃうの?」

「お前、ちゃんと薬飲んだか?」

「それは……飲んだけど……」

 守から視線を逸らして、壮太は気まずそうな顔をする。医師から処方された抑制剤はきちんと飲んだはずだ。だが、壮太はαである守にもっと甘えたいという欲求に駆られていた。

「お前から、甘ったるい香りがしてるんだよ……。もう俺、自分の席に戻るから。お前は保健室にでも引き籠ってた方がいい……」

「そんな……」

 守の言葉に、壮太はショックを受けていた。

 悲しげな表情が壮太の顔に広がる。それを見て、守もまた悲しげに微笑んでいた。

「悪いけど、お前とは親友のままでいたいんだ。保健室に行くか、このまま帰るかにしてくれ」

 普段は突き放されるような言動をされても、へっちゃらなのに今日はそれが妙に悲しい。自分が無意識のうちにαの守に好かれたいと思っていることを自覚してしまう。

 壮太は苦笑しつつ、そっと席を立っていた。

「ごめん。怠いから、ちょっと保健室に行ってくる」

「うん。ありがとう」

 要の言葉に、少しばり悲しさを覚えてしまう。

 それでも壮太は、引き攣った笑みを要に向けその場から立ち去ろうとしていた。途端に、視界が激しく揺れて、体の力が入らなくなる。

 がくりと倒れそうになる自分を守が抱きしめてくれる。その瞬間、ぶわりと自分から甘い香りが立ち上ることに壮太は気がついていた。

 濃い花の香りを思わせるその匂いは、壮太から発せられるフェロモンの香りだ。

 大嫌いな男を惑わせる香り。この香りさえなければ、自分は普通の人間として過ごせるのにと壮太は考えてしまう。

 そして、我に返る。

「ごめん! もう帰る!」 

 壮太は咄嗟に、自分を抱きしめている守を引きはがした。

「おい! 落ち着け! 俺は大丈夫だから……」

 壮太を落ち着かせるためなのか、守が声を荒げる。

「それに、フェロモンもそんなに強くない」

 だが、彼は恥ずかしそうに頬を赤らめ、壮太から視線を逸らして来た。微弱なものとはいえ、壮太のフェロモンを嗅いで、何かを感じ取ったのだろう。

「ごめん。もう俺、行かなきゃ……」

 このままここにいては、αである守がフェロモンにやられて暴走しかねない。ふらつく足取りで、壮太は教室の後ろにあるロッカーへと向かっていた。

 熱が上がって来たのか、頭がぼうっとして、きちんとものを考えるのも億劫だ。発情期で辛い場合は、国の援助のお陰でタクシーを呼んで帰ることもできる。

 歩くのも辛いし、これはそうするしかない。そう、壮太が思った瞬間だった。

 どさりと、壮太の体は教室の床に倒れていた。

「ちょっと、大丈夫かよ!」

「おい! 中島!」

 クラスメイト達の慌てふためく声が聞こえる。

「αのヤツは、壮太に近づくな!」

 そう叫んで、守がこちらに駆けてくる。

「壮太! 大丈夫か! 壮太!」

 しゃがみ込んだ守が、自分の方を激しく揺するが壮太は何も言い返すことができない。頭がほうっとして、なにを言えばいいのかわからなかったのだ。

 壮太の意識は、そこで途絶えた。




 気がつくと、白い見なれた天井が自分の視界に広がっていた。

「おい! バカ! 気がついたか!」

 そして、最高に不機嫌そうな守が自分の顔を覗き込んでくる。

「守、ダメ、俺のフェロモン……」

「保険の先生が抑制剤の注射を打ってくれたから平気だよ。もうお前から、甘ったるい臭いもしない」

「でも、怠い……」

 全身の体が熱くて、壮太は呟いていた。

 抑制剤を打たれたはずなのに、壮太の体の熱は引かずだるさもとれない。そのせいで、守ときちんと話したくても、呂律が回らずきちんとした言葉が出てこない。

そんな壮太を見つめながら、守ははぁとため息をつく。

「ウチに電話したからな。運転手の酒井さんがお前のこと、ウチまで届けてくれるって」

「それって、お前のウチの車で帰るってこと……」

「ああ、酒井さんは女性のβだから、お前も変な気は起こさないと思うぞ」

「そう……。ごめん」

「そこは、ありがとうだろう?」

 深いため息とともに、守がそう告げる。

 そんな守に壮太はふにゃりと笑っていた。

「うん。ありがとう……」

「お前、本当にフェロモンにやられてるな」

「あいてっ」

 呆れた表情の守に額をデコピンをされる。額に軽い痛みが走り、壮太は我に返っていた。

「ああ……。その、頭ぼうっとしちゃって……」

「ぼうっとしてても、俺に甘えんなよ。お前らしくなくて気色悪い」

「それはそうだな……」

 守のキツイ言葉に壮太は苦笑する。そんな壮太を見て、ようやく守は安堵した様子で微笑んでくれた。

「なんだか、こうしてるとお前と仲良くなったときのこと思い出すな」

「俺がこの学園に入ったころのこと?」

「そう。お前のこと、点数稼ぎに利用してた頃のこと」

「中等部の頃の話か……」

 ぼうっとした頭で、壮太は昔のことを考える。

 そういえば、中等部の頃にも守にこうやって保健室に連れてきてもらったことがあった。それがきっかけで、壮太は守と親しくなったのだ。

「あのときみたいに、お前がヤバい状態にならなくてよかったよ」

 そっと守が壮太の額をなでる。

 守のひんやりとした手の感触が気持ちよくて、壮太はそっと目を瞑っていた。

 そんな壮太の額に、守はそっと自身の唇を落としたのだ。




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