第8章 選択
第1話 再起の風
神殿を後にしたツバサは、一歩ごとに足が重くなるのを感じていた。
持ち前の明るさも、芯の強さも影を潜め、風に吹かれながら歩くその瞳は、どこか虚ろだった。
シルフが光となって消えていく光景が、何度も何度も脳裏に蘇る。
「……シルフ、もういないんだ……」
その呟きは風にさらわれ、宙に溶けるように消えていった。
胸の奥に広がっているのは、消えない喪失感と、後悔だった。
――この先、また竜の力を使えば、他の竜たちも同じように消えていくのかもしれない。
その現実が、ツバサの心を重く押し潰していく。
「ノーム……本当にこのまま進んでいいの……?」
彼女は足を止め、うつむいたまま呟いた。
その声には、迷いと、静かな怯えが滲んでいた。
シン、レイナ、ソウマも、ツバサの様子に気づいて立ち止まる。
「ツバサ、あんた……」
レイナがそっと声をかけるが、ツバサはただ静かに首を横に振った。
「私は……ノームや、他の竜たちを救うって約束したの……。それなのに、彼らを犠牲にして世界を救おうとしてる……それに、意味なんてあるのかな」
彼女の肩が小さく震えていた。
竜を守りたいという純粋な願いと、“巫女”という使命との間で、心が引き裂かれそうになっていた。
沈黙の中、シンがそっと彼女の隣に腰を下ろした。
「ツバサ。……お前の気持ち、痛いほどわかる」
そう言うと、彼は一瞬だけ視線を伏せ、そして意を決したように口を開いた。
「……俺も、ずっと、自分の使命なんて呪いだと思ってた」
シンの低く落ち着いた声が、空気を震わせるように響く。
拳を握り、何かを思い返すように語り始めた。
「俺には戦いしかなかった。剣を握って、ただ命じられるまま戦って……それが生きる意味だと思い込もうとしてた。
でも、本当は――ずっと怖かったんだ」
その言葉に、ツバサは驚いたように彼を見つめた。
いつも無口で無表情だったシンが、自分の過去と感情を語っていることに。
「戦いに疲れても、逃げることなんて許されなかった。
でも、お前と旅をするうちに……俺にも、守りたいものができた」
彼はそっとツバサの肩に手を置き、まっすぐな眼差しを向けた。
「悩んでもいい。逃げたくなる日があってもいい。
でも、忘れるな。お前は一人じゃない。俺たちが――一緒にいる」
その言葉が、ツバサの胸の中で、じんわりと温かく広がっていった。
レイナがシンの横に並び、膝をついてツバサの頭をなでる。
「そうよ、ツバサ。あんた一人で全部を背負う必要なんてないの。こんなにもか弱い女の子に『お前は巫女だ、世界を救え』なんてさ、そんな重たいプレッシャー、誰が押しつけていいって言ったのよ」
レイナは肩をすくめて見せると、ふっと目を細め、遠くを見つめた。
「……私だって、自分と向き合えなかったことがある。
エルフと人間の血が混じった私には、どこにも居場所なんてなかった。
何もかも投げ出したくなった時もあったわ」
そして、そっとツバサの頭を撫でて微笑んだ。
「でも今は、こうしてあんたたちと旅をしてる。
やっと、自分を受け入れられるようになった気がするの。
竜たちの運命なんて、私にはわからない。
でも、あんたが助けたいって思うなら、一緒に探しましょ。きっと、どこかに答えがあるわ」
そして――ソウマがにやりと笑って口を開いた。
「そうそう。悩み疲れたなら、いっそ俺と逃避行でもしようぜ? 海でも見にさ」
その軽口に、ツバサは思わず口元を緩めた。
けれど、ソウマの表情がふと陰り、声の調子が静かに変わる。
「……俺もさ、ずっと“半端者”扱いされてきた。
石を投げられたり、獣扱いされたり……それが悔しくないわけじゃなかったけど――」
彼は地面に目を落とし、ぽつりと続けた。
「本当に許せなかったのは、自分自身だった。
そんな自分を、どこかで“仕方ない”って諦めてた俺自身が、一番許せなかったんだよ」
吹き抜ける風に耳が鳴る。
「……でも、お前らと出会って、思ったんだ。
もしかして俺でも、何かを守れるかもしれないって」
ゆっくりと拳を握り、それをツバサの前に差し出す。
「だから、ツバサ。自分を信じられなくてもいい。
そのときは、お前を信じてる俺たちを、信じてみろよ」
ツバサは三人の言葉を、ひとつずつ心に染みこませるように受け止めた。
みんな、自分と同じように痛みや迷いを抱えていた。けれど、それでも前を向こうとしている。
「……ありがとう」
ツバサは静かに立ち上がり、仲間たちの手を握る。
その頬に、どこか優しい風がそっと触れた。
――風が吹いた。
彼女の背中を、未来へと押すように。
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