ジャンボン・フロマージュ

 年内は働きづめだった。


 年が変わり、職場の同僚である御手洗と要から誘われて新年会を行うこととなった。捜査員エージェントつながりで白鹿と鳥居にも声をかけ、池袋の東側にある馴染の飲み屋で閉店まで酒を飲んだ。この店はとろろ昆布がのった大根のおでんが名物だが、それ以外の料理も総じて美味しい。

 

 上司にあたる者は一人もいないので、皆好き勝手に話をした。よく飲み、よく食べ、よく笑った。

 白鹿と鳥居は吸血鬼に転化した新生者ニューボーンだが、酒も料理も堪能している。吸血鬼は血を飲まなければ生きていけないが、人間と同じ食事ができないわけではない。食事では栄養が取れないというだけだ。

 吸血鬼が飲み物や食べ物を楽しむのは、純粋な娯楽である。


 皆が気になっていた御手洗と要の関係が、思っていたよりも進んでいたことがわかり、榊と白鹿、鳥居が大層盛り上がったところで閉店時間となり散会となった。

 日が変わるまで営業している店なので、終電は過ぎている。御手洗と要、白鹿と鳥居が各々一緒にタクシーで帰宅した。


 榊は独り家までぶらぶらと歩くことにした。冬空の下、池袋から西に向かって歩いていく。池袋界隈は深夜でも人が多い。池袋から帰る人だけでなく、池袋に向かう人もいる。


 ところで、お酒を飲んだ後は、なぜこんなにもラーメンを食べたいと思うのだろうか。個店からチェーン店まで道中にある店の看板の灯りが眩しい。


 強く意思を保ち、なんとか家に帰り着く。ドアを開けると、「おかえり」とあの人の声が聞こえた。


 「ただいま帰りました」

 あの人は部屋着にしている作務衣を着て、リビングで本を読んでいた。机にはジンの瓶とグラス、そして食べかけのチーズやナッツが置かれている。

「皆、楽しんでいたか」

「はい。白鹿さんと鳥居さんも来てくれました」

「それは良かった」

 あの人は本から視線を上げ微笑をうかべた。皆が言うほどこの人に感情がないわけではないのだ。だが、仕事の姿しか見ていなければ仕方ないかとも思う。

 コートを玄関先にかけ、自分の部屋に向かおうとすると、背中から声が届いた。

「足りたか」

「ええ。まあ……」

 あの人は私の反応にニヤリと笑みを返してきた。

「風呂に行ってきなさい。何か作ろう」

 深夜に食べる後ろめたさがあるが、折角作ってもらえるのなら是非食べたい。部屋でスーツを脱ぎ、バスルームに向かった。


 身体と髪を洗い、ゆっくりと湯船につかる。末端まで熱が伝わっていく。体質的に酒に酔いにくいが、今日は心地よい酩酊感がある。やはり仲間と卓を囲むのは良いものだ。


 髪を乾かしてリビングに戻ると、あの人から声がかかった。

「もう少し飲むか」

「いただきます」

 あの人は二つのグラスにジンを注ぎ、私の前に一つ置いた。一口飲む。十分に冷やされたジンはトロリとした感触を残し喉を滑り落ちていく。腹に落ちた後、身体の熱でアルコールが溶け出し、身体にじっくりと染み入っていくのが感じれられた。


「余り物ですまないが、こういうのも良いだろう」

 あの人はサンドイッチの皿を私の前に置いてくれた。

「ジャンボン・フロマージュ。ハムとチーズ、そしてバターだ。チーズはコンテ。たまたま見かけて買ってきた。ほとんど食べてしまったがな」

「いただきます」

 一口齧るとバゲットの食感と香り、追ってナッツのようなコンテの香りが鼻孔をくすぐる。ハムの塩味が鋭く感じられた後、バゲットに塗ったのではなく、薄切りで挟まれているバターのどっしりとした風味が舌に立ち上ってきた。

 私は無言で食べ続ける。


 あの人は向かいの席でジンを飲んでいる。シトラスとボタニカルの香り。宅上に置かれた爽やかなブルーボトル。


 ゆっくりとしていて、私が最も好きな時間。サンドイッチを頬張りながら、頬が緩むのを抑えられない。

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