第二節:かつての僕は

第4話 かつての日常、そして出会った



 思い出す、などと少し大げさにしたものの、蓋を開ければ至極普通の、どこにでもあるような話である。



 僕が当時働いていたのは、王城内の執行執務室という場所。

 国のあらゆる雑務の監督及び、国王案件以外のすべての最終決定を行う部署だった。


 簡単に言えば、国王陛下をお支えする宰相様を頂点とした部署であり、まだ三十代の僕みたいな人間は、長たる宰相様の職務をお支えするためのあらゆる事務や雑務が仕事になる。


「アルバンさん、こちらの書類のチェックをお願いしてもいいでしょうか」

「あぁ、もちろん。見せて」

「アルバンさん、こっちもお願いします」

「順番で見るからちょっと待ってくれる?」


 その日も僕はそう言いながら、先に声をかけてくれた後輩の書類を受け取っていた。


 執務室の扉がノックされ、開いた扉の先に見知った顔が見えた。

 他部署からの要承認書類を持ってきたくれたようで、いつものように束で持ってきてドンと置いていってくれる。


「……うん、こっちは問題なし。この書類のこの数字は、もう一度各部署の実績報告書類から数字を拾ってみて。たしか違う数字だった筈」

「分かりました」

「次、ちょうだい」


 仕事は常に、列を成している。

 しかしこの程度、それ程でもない。

 

 むしろ今は、書類の山が一つしか待機していないのだ。

 今日は少ないくらいだ、なんて思いながら、得意の速読に記憶力を照らし合わせて脳内で素早く間違い探しをする。


「うん、全部問題なし。ファイリングしといて」

「ありがとうございます」


 二人目の書類ももどしながら、時計に目をやり――。


「あ。そろそろ時間だから、報告会議に出てくるね」

「分かりました、行ってらっしゃい!」


 言いながら席を立てば、部下たちは快く頷いてくれた。

 僕は部屋を出ようと歩き出し――。


「おっと、忘れてた」


 立ち止まる。


 最後に机上で冷たくなったコーヒーを、一息に煽り、カップを置く。

 中身を空にしてから今度こそ、僕は部屋を後にした。





「おい、アルバン」


 会議が終わり、ついでだからと執務室の外でするべき雑用を済ませてちょうど部屋に戻ろうと思っていた時。

 背中越しに声を掛けられて、僕は振り返り声の主を見止めた。


「やぁジェイリ、君も何かの帰り?」

「当たり前だろう。お前みたいに休憩がてらその辺をほっつき歩いていられるような暇は、俺にはない」


 同じ執行執務室の同僚・ジェイリがフンと鼻を鳴らしながら言う。



 伯爵家の次男ではあるが比較的放任でのびのびと育てられた僕とは違い、侯爵家の英才教育を受けたジェイリは、上級貴族に相応しく、仕事もできるがプライドも高い。


 プライドとは、あればいいというものではないものの、なければいいという訳でもない。


 上に立つ者の素質として、ゆるぎない芯や誇れる自身を持っている事は大切だ。

 その点彼は、僕よりもずっと統率力が発揮できる人材だ。

 言葉こそたまに強い事があったり、野心が前面に出ている人だけど、少なくとも彼は僕の目には、同世代の筆頭出世株である。


 そんな僕の見立てを証明するように、彼は宰相様の覚えもめでたい。

 そんな人が同じ部署の同僚だというのは、これ程心強いものもない。



 とはいえ僕が幾らそう思っていても、それを言葉にしていても、どう受け取るかは相手次第だ。


「効率的に仕事が回せているという事だよね。やっぱりすごいなぁ、ジェイリは」

「俺と唯一張り合っている次期宰相筆頭候補として、もう少し威厳を見せろよお前は。じゃなけりゃあ、こんな奴と張り合っている俺の評判まで一緒に下がる」


 僕がいつものように手放しで褒めると、彼もいつものように何故か嫌そうな顔になる。


「それで? 君が僕に話しかけてくる時は、大抵用事がある時だ」


 どの仕事の話だろうかと思いつつ、僕は彼にそう尋ねた。

 すると彼は、「あぁそうだった」と思い出したように聞いてくる。

 

「もう決めたのかよ。どのスキルを取るか」

「あぁ、その話か。この前のスキル講習会に出たからね。幾つかには絞ったけど、ジェイリは?」

「トロいお前と一緒にするな。俺はもう既に決めている」

「へぇ」


 流石はジェイリ。

 そう内心で感心していると、僕の沈黙にしびれを切らした彼がクワッと口を開く。


「聞いてこいよ! 何にするのかって!」

「いやぁ、だって度のスキルを取るかって結構個人的な情報だろ? あまり他人の事情をズケズケと聞くのもなと思って」

「たしかに赤の他人に対して、初対面で取得スキルについて詳しく聞こうとするのはマナーに反するが、そんなの同じ職場なんだから、どうせスキルを取得したら互いに分かる事だろうが! むしろ、どこに黙っておく理由があるんだよ!!」


 一般的なマナーを守っただけのつもりだったのだが、どうやら彼の勘に障ったらしい。


「そう言われれば、たしかにそうか」


 そんなふうに思いながら、「じゃあ」と彼の方を見る。


「ジェイリは何のスキルを取得するんだ?」

「俺は、『正誤認知』だ」




「僕のスキル、かぁ……」


 仕事の一環で部下と共に城から王都に降りてきた僕は、先程のジェイリからの問いについて少し考えていた。


 

 スキル『正誤認知』とは、見たものや聞いた事の正誤を知覚する事ができるスキル。

 より正確に言うのなら、言ったり書いたりした本人がわざと偽ったという事実を知る事ができるスキルである。


 主に不正や誤魔化しを論破する事ができるもので、残念ながら悪い奴が甘い蜜を吸うために偽造する報告や書類に目を通す機会が多く、それを信用するか否かを最終的に判断するための機関に所属する身としては、非常に有用なスキルである。


 それに。

 

「ジェイリはあれで、正義感が強いからなぁ」


 そもそも彼は、仕事ができる。

 本人は比較的書類仕事を苦手に思っているようだけど、それでも周りよりは秀でているのだ。


 そんな彼が、苦手を埋めるためのスキル選択ではなく、自分が持ち得ない超常的な、心眼とも言えるスキルを選んだのは、実にいい判断だと思う。



 ――じゃあ、僕は。

 どのスキルを取るべきか、考える。


 講習会では、たしか「まずは取得スキルの方向性を考えるべきだ」と言っていた。


 自分の、長所を伸ばすか、短所を補うか。

 それとも新たに何かを得るか。


 所属部署とも相談し、最も自分に合い、仕事内容の役に立つものを選ぶ事こそが、国への貢献へと繋がる、と。



 僕の場合は、周りからよく褒められる書類仕事系のスキルを取得し長所を伸ばすか、それ以外の要素を伸ばし、短所を補うか。


「とはいっても、飛び抜けて苦手な事も、特にはないんだよなぁ」

「何ですか? もしかしてスキル取得についてだったりします?」


 考え込んでいたところに、ヒョコッと同行していた部下が顔を覗き込んできた。


 同行者がいるのに考え込むのは、あまりいい事ではなかったな。

 内心でそう反省しつつ、僕は「そうなんだよ」と小さく笑う。


「この前、今年のスキル講習会があったばかりですもんね。アルバンさんは、あと一月でしたっけ」

「よく覚えてたな。そうなんだけど」


 言いながら、小さく笑う。


「ジェイリはもう決めてるって聞いて」


 なのに僕はまだ決まってないから。

 そういうと、彼は「あぁ、それで珍しく業務時間内に国に関する事以外で悩んでたんですね」なんて一人納得した。


「でもジェイリさんは、あと三日とかじゃあなかったです?」

「そうだね、僕より少し誕生日が早いから」


 スキルは三十五歳の誕生日以降に、教会で特殊な祈りの儀式をする事で得る事ができる。

 その日付まで、ジェイリはあと三日。

 そして僕は、あと一月。


「あと一か月猶予があるんですから、そんなに焦らなくてもギリギリまで悩んだらいいと思いますけど」

「そうなんだけど、何だか落ち着かないだろ? 期日のある提出書類の処理がずっと残っているみたいでさ」

「どこまでも仕事脳ですねぇ」


 言われている間にも、頭の端の方で何となく考えていた。



 講習会では、「なりたい自分に近づくための手段としてスキル取得を考えるといい」とも言っていた。

 でも、僕のなりたい自分とは何だろう。


 現状に不満は、特にない。

 求める事があるとすれば、現状維持くらいだろうか。


 ジェイリがこんな話を聞いたら、間違いなく「野心も向上心もない、つまらない奴」とか言われるんだろうな。

 そう思いながら、苦笑して――。



 細めていた目を、ゆっくりと見開いた。


 見つけてしまった。

 出会ってしまった。

 そんな予感が、どこからともなくやってきた。


「アルバンさん?」


 立ち止まった僕に、部下が声をかける。

 それでも尚目が離せないくらいに、目が釘付けになっていた。


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