6-4 ピッツァ・アッラ・マリナーラ
トマトソースと、申し訳程度のニンニク。
丸いピザ生地の中心に塗りたくると、さながら日の丸のようだった。ここはイタリアだけど。
「具材をたくさん乗せるって言ってなかった?」
「いや、今はまだ乗せない。それでもちゃんと美味しいから。もしこれが美味しくならなかったら、ピザ窯は作り直しだ」
アカネは答える。既に集中モードに入っている。
ピザを載せる大きなスコップみたいなものを、イタリア語ではパーラーという。
レオに自作してもらったオリハルコンのどでかいパーラーに、ピザを乗せて1分待つ。
窯の実力次第だが、1分でピザが1枚焼ければ、店としては合格だろう。
15秒。30秒。
……1分。
……焼けてる。
アカネはパーラーを窯から抜いた。
もう一度、日の丸を見る。
それは500℃の調理だった。耳は不規則にぷっくりと膨らみ、ところどころが黒く焦げ、トマトソースは甘く濃く。
焼けていたのだ。
夢にまで見た、アカネの自作ピッツァ。
この世界の最初のピッツァは、やはりイタリアで作られた。日本人によって。
*
「お待たせしました。これが、ピッツァです」
最も基本的なピッツァ。真っ赤なトマトソースだけが乗った、ピッツァ・アッラ・マリナーラだ。
アカネは試作品をナイフで6等分して、レオとビアンカに提供した。
「ところどころ黒くなってるけど。食べていいの?」
ビアンカがピザ耳を指さして言う。窯焼きだから、少しだけ焦げているのだ。
「いや、むしろそれで正解。むしろちょっとは焼けてたほうが、香ばしくて美味しいんだよ」
緊張して、誰も手を出さない。ビアンカとアカネが同時に、どうぞ、と手振りをした。
世界で最初のピザを食べるのは、レオだ。
「ピザの耳の部分。……そう、そこをつまんで」
レオが両端で折り畳みながら持ち上げると、ピザの三角形の先端部分が、重力ででろんと垂れる。
アカネは思わず泣きそうになった。
トマトソースがずるずると皿に落ちて、レオが慌ててしまう。数年ぶりに見た光景。
子供の頃、食べ方が汚くて苦労した。誰だってその道を通る。これがピッツァだ。
「ああ、懐かしい……。ほら、具材が落ち切らないうちに、そのまま先端から食べて」
「もう食べてもいい? じゃ、味見するよ」
レオはいつも通り、アカネの試作品をパクっと口に入れた。
「……」
レオは目をぱちぱちと瞬く。
「ん?」
何にも言わない。
右手からペロンと垂れ下がったピザを、そのまま口にぽんと放り込んだ。
「……」
まだモグモグしている。
妙だ。アカネが試作品を出すと、いつものレオはとりあえず誉める。
「あれ? 美味しくない? 焼き加減の問題かな?」
レオは世界最初のピザを、無表情に咀嚼した後、ごくんと飲み込んだ。
「どん」
と、椅子から立ち上がる。
無言で両手を投げ出し、窓に向かって駆け出していく。
「わ。怖い怖い、久しぶりにリアクションが怖い!」
驚くアカネを無視して、彼はオペラ歌手のように叫んだ。
「アカネ。この料理には、言葉を失ってしかるべきだ。今、僕は窓から叫ぶよ、ローマに。ブラヴォー、ブラヴォー!」
*
レオはしばらく経っても拍手を続けている。ブラヴォーがBGMになってきた。
「レオがこんなに誉めるの、初めてじゃない?」
「すごいね、アカネ。あたしも食べるね」
ビアンカがくすくすと笑って、1枚とって食べる。
「わ。わわ。感じたことのない味。薄くて、固くて、柔らかくて……小麦の香りなのに、薪の焼ける香りで、トマトの香りだね」
口が小さいので、食べるのに苦労する様子。トマトがずり落ちるのを防ごうとして、左右にピザを持ち替えながら、ずっとあわあわしている。
「ナイフとフォークで食べてもいいんだよ。その方がきれいに食べられるかもしれない」
アカネが食べ方を指南する。優しくフォークで畳み、ナイフで切り取って食べるのだ。
と、ちょっと見ないうちに隙をつかれた。
レオが勝手に、残り4切れのうち、3切れを平らげたのだ。
「神よ、私の強欲ぶりをお許しください! ええ、きっとお許しくださるでしょうとも……だってこれは、ピイィッツァッ!」
「あっ、ちょっとレオ、食べすぎ! 私の味見する分を残して!」
「アッ、ハイ、スミマセン……」
*
最後の一切れ。アカネも1枚とって、自分で試食する。
待ってましたとばかりに、数年ぶりのピザが、喉を通り過ぎていく。
「んー! 初回でこれはすごい。我ながら天才の火加減!」
「アカネは本当に、イタリア料理の神に愛されてるね」
レオはいつも通り、演劇じみたことを言った。
「また、レオはすぐ古代の詩みたいなことを……」
アカネは苦笑しようとして、ふと真顔に戻る。
(あれ? そう言えば、ここに私を転生させたダヴィデって、イタリア料理の神だったな)
そうか、気づいてしまった。自分は――転生者は実際の、イタリア料理の神に愛されている。間違いなく。
私 が ピ ッ ツ ァ の 発 明 者 だ。
イタリア人になるなら、今だ。
さっきレオがやったみたいに、両手を投げ出して、オペラ歌手のように言ってみた。
「そう、私はピッツァと相思相愛なんだ! ブラヴォー、ブラヴォー!」
ああ神様。感情が豊かであって、何が悪いのだろうか。
アカネはピッツァと愛し合ってしまった。その熱愛はまもなく、ローマじゅうに報道されるだろう。
レオはどこか不満げな顔をした。ビアンカがきゃっきゃと笑って、ピザの耳をナイフで半分に切った。
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