5-3 ゼッポリーニ

「よう、嬢ちゃん。進んでるかい」

 トラットリア・アカネに懐かしい声。ジョルジョさんが様子を見に来てくれた。

「全く進んでませんね……」

 正直に答えて、アカネはうなだれた。

 半年でメニューをそろえてオープンするはずが、まだフォッカッチャが改良されただけで、他には何にもできていない。

 毎日ピザ生地を用意しては、失敗作を作って、窯を解体する日々。夢にまで見たピザが、遠く、遠く感じる。

「やっぱり私、まだ独立には早かった気がするんです。ピザ窯ができない。あと3ヶ月しかないのに……」


 それを聞くと、ジョルジョさんは首をかしげる。

「なんだ、そのピザってえのは?」

 ああ。そういえば、ピザについては、師匠に説明してなかったな。

「ざっくり言うと、火で焼き上げる惣菜パンです。その火炎窯が、どうしても完成しなくて……」

「なんだそりゃ、難しいことやってるんだな。どうしてそこで行き詰まってるんだ? いったん前菜のメニューを見せてみろ」

 ジョルジョさんはどっかりと席に座る。訳がわからないという顔だ。

「前菜のメニュー? まだ、作ってませんけど」

「おいおい。手際が悪いな、嬢ちゃんらしくもない。今までの修行を思い出してみな。簡単なこと、確実にできることからやるんだ。まずは前菜から始めろ」

「簡単なこと……あ。思い出した」

 アカネは手を叩いて、すっくと立ちあがる。

 パスタざんまいで、忘れていたけど。

 この世界、揚げ物がないんだった。


 *


「この食材が、役に立つとはね」

 アカネは緑色の海藻を取り出す。昔、「たらこスパゲティ」を作ったときに、必要になるかもと思って取り寄せておいた食材だ。

 海苔。

 世界的に見れば、珍味である。特産地は、日本と韓国。特に日本は、おにぎりに巻き、粉ものにふりかけ、佃煮も作る。やりたい放題。

 だが。もうひとつ、海苔を食べる地域がある。

 それがこの国、イタリアだ。ナポリの郷土料理「ゼッポリーニ」に使う。

 だが、その料理はまだ、この世界にはなかった。

 揚げ物だからだ。アカネはそれを復活させる。


 さて、レオの作った火炎式コンロが火を噴くときが来た。文字どおり。

 火炎式オーブンと組み合わせた代物で、火事の心配をしなくて済むように、オリハルコンで火元を固められている。


 鍋の中には、直火でかれたオリーブオイルが、静かに煮え立っていた。レオの自慢の温度計は、「魔法オーブンの限界」を指している。170℃だ。

「これ、本当に熱いの?」

 レオが眉をひそめて言う。水の沸騰しか見たことがないこの世界の人々には、油がぷくぷくと沸き立つのが、イメージと合わないらしい。

「絶対に手を入れたらダメだよ。火傷じゃすまないよ」

「本当だ。すごく温かい」

 レオが鍋に手をかざしたそのとき、鍋の中で泡がはじけて、少量の油がはねた。レオは飛び上がって手を振る。

「ぎゃっ。熱い。ひいい」

 大袈裟だ。170℃の油を経験したことのない彼には、全く未知の火傷である。

 アカネは苦笑して、海苔を練り込んだピザ生地の団子を、油の中に放り込んだ。


 *


「お待たせしました。ゼッポリーニです」

 アカネが差し出した皿には、一口サイズの丸い揚げパンが、ころころと山盛りになっている。

 揚げパンとはいうが、日本人が想像するドーナツみたいな揚げパンとは、だいぶ違う。強力粉で作った、もちもちのピザ生地を揚げたもの。外がカリカリ、中はモチモチの、独特の食感になるのだ。

「本来ならこの、青海苔の入ったやつを、ゼッポリーニというのですが……今回は、色々な味のゼッポリーニの盛り合わせを作ってみました」

 ゴマがけ、チーズ入り、トマトソース味。多種多様な創作ゼッポリーニの盛り合わせだった。

 岩塩をつけて召し上がれ。

「知恵と空想」。アカネはようやく、その教えの真意が掴めてきた気がする。

 

 他にもいくつか料理を出した。

 今日の主役は、海鮮天ぷら盛りフリット・ミスト・ディ・マーレ


 ルイージさんがカポナータにがっつきながら驚く。

「ぎゃああ。これがアカネの言ってた『本物のカポナータ』か。ナスが新食感。美味えよ。悔しいぜっ!」

「うん。美味いね。死ぬ前に揚げ物が食えてよかったよ、嬢ちゃん」

 ジョルジョさんがローマ風チーズコロッケスップリを頬張りながら、珍しくニコニコ微笑んでいた。


 *


 レオはオリーブの肉詰め揚げオリーヴェ・アスコラーナをアテにしてワインを飲んでいる。

 今日はずいぶん酒量が多い。ずっと炎に向き合って、さすがのレオもストレスが溜まっていたのだろうか。


 ジョルジョさんが久しぶりに会った息子を見て、心配そうに声をかけた。

「レオ、飲み過ぎるなよ」

「わかってらあよ、パパぁ。今日だけだよ、今日だけ」

「もう……。しかし、お前らはいいタッグだよ。何度も言うが、料理人に必要なのは、知恵と空想だ。アカネが新しい料理を思いつき、レオの力で現実にする。そうやってオリジナルの料理を作っていけばいいさ」


「ありがとうございます、ジョルジョさん。……あ」

 師匠から久しぶりに聞いた。

「知恵と空想」。それを聞いて、アカネが顔を綻ばせる。

「もうひとつ、思いついた。今度はドルチェ!」

 それを聞いて、ドルチェが専門のルイージさんが、ひょうきんな顔で驚いた。

「ドルチェ!? 揚げるのか? 揚げパンナコッタか?」

 いやいや、パンナコッタは揚げない。

 確かに揚げ物のスイーツって珍しいけど……。あるんだな、面白いのが。

 

 ジョルジョさんがカラカラと笑って、腕組みをした。

「ほーら、俺が認めたシェフは、ちゃんと空想をしてるみたいだぜ。レオお前、酔っぱらってねえで、さっさと手伝ってやりな。頭しか能がねえんだからよ」

「ええ? 僕はもう立てないよう、フラフラだぁ」

 レオはさっきからうんうん唸って、火炎窯の最適な構造について考えている。


 ともかく、ピザ地獄を抜け出した。まずは別の炎料理に力を入れよう。

 アカネはそう決心すると、久しぶりにニヤリと笑みを漏らした。

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