3-4 カッチャトーラ

「いいかい嬢ちゃん、よく覚えておけ。優れた一皿を作るために必要なのは、『知恵』、それと『空想』だ」

 それがジョルジョさんの口癖だった。

 

「ジョルジョさん、今日は猟師風煮込みカッチャトーラが日替わりメニューですよね。トマトは買わなくていいんですか」

 アカネが仕入れの食材リストを見て、そう言った日があった。トラットリア・ネッビアのとある常連が、カッチャトーラが大好物で、彼が訪れる日は裏メニューとして仕込んでおくのだそうだ。

「ああ、嬢ちゃん、鋭いな。うちのカッチャトーラは、トマトを使わねえんだ」

 確かに日本ではトマトを使うレシピが有名だが、ここは公国の都ローマ。トマトを使わず、香草と白ワインの味を活かしたシンプルな味付けをする。

 だが、ジョルジョさんはアカネの一言を聞いて、思いついたらしい。腕組みしたまま、突然にやりとした。

「じゃあ、今日は二種類仕込むか。トスカーナ風とローマ風――トマトありと、トマトなしだ。嬢ちゃん、トマトもありったけ買い込んでおいてくれ」

「了解です!」

 アカネはウキウキする。知恵と空想。ジョルジョさんが悪戯っぽくにやりと笑うときは、トラットリア・ネッビアに新しい料理ができるのだ。


 *

 

「わあ。トマト煮込みなんか久しぶりに食べたよ」

 仕事から帰ってきたレオが、さっそくアカネの作ったトスカーナ風(トマト入り)カッチャトーラを食べ始める。売り切れそうだったから、レオのために少し取っておいて正解だった。

「常連のお客さんも誉めてくれたんだ。『トマト入りは口に合わなかったけど、これなら美味しい』って」

「全く同感だよ、びっくりだ! やっぱりアカネは、トマトソースにかけてはイタリアで一番……、ということは、世界一だね!」

 レオのパンがどんどん減っていく。彼の口はトマトソースまみれになっていた。


「レオ。私、わかってきたよ。私の『火炎光』を見る力って、トマト料理のレベルを上げるためだよね?」

「うーん。考えてみたんだけどさ」

 レオはグラスのワインを一気に飲み干すと、首をかしげた。

「それは違うと思うよ。転生者は、技術の伝道者だからね。トマト選びみたいな一代限りのテクニックじゃないはずだ」

 予想外の全否定。アカネはズッコケかける。

「ええ……。じゃあ何だって言うの? 『火炎光』色の食材……リンゴとかイチゴってこと?」

「いやいや。僕は料理人じゃないから知らないけど……『火炎光仮説』は、もともと料理と関係が深いはずなんだ」

「それは、どうして?」

「なんてったって、『火炎光仮説』は、パパが騎士団時代に提唱した仮説だからね」

 

「えっ? 騎士団時代のパパ?」

 アカネは驚いてしまう。初耳だ。

「ジョルジョさんって、元騎士団だったの? 火炎光を思いついたのもジョルジョさん?」

「そう。パパは騎士団で、火の研究をしてたんだ。今は引退しちゃったけどね」

 レオはワイングラスに目を落とした。深く触れてはいけないことなのだろうか。

 落胆した面持ちだ。アカネは慌てて話を逸らす。

「魔法騎士って、遊び歩いてるだけじゃないんだ。研究もしてるんだね」

「そうなのさ! 魔法騎士はローマの秩序を守ると同時に、普段は魔法学者として働くんだ。そうやってローマは進化しているんだよ」

 レオは一瞬だけ目を輝かせたが、ふと思い出したように、うなだれて自虐を始める。

「まあ……パパに言われた通り、僕は騎士団では信用されてなくて、仕事がもらえないからさ。毎日気ままに研究してるってわけ。どんどん頭でっかちになってるよ」


 悪いことを聞いちゃった。アカネは彼のグラスにワインを注いでやる。

「ねえ、ジョルジョさんが炎を研究したのって、料理に使いたかったから?」

「そうだろうね。パパは料理にしか興味がないから……」

 レオは言葉を止めて、目をぱちくりさせた。

「読めた。神のご意思が読めたぞ。きっとそうだ、乾杯の歌を歌おう! ブラヴォー!」

「えっ、何? ブラヴォーの前にちゃんと説明して」

「パパと一緒に『炎を使った料理』の研究をすればいいんだよ! 転生者としてのアカネの使命は、きっとそれだ!」


 *


 次の晩。

 アカネはジョルジョさんに提案を伝えた……のだが。

「ダメだ」

 ジョルジョさんは、アカネに目を合わせてもくれなかった。

「どうして? 『加熱魔法』では、オーブン焼きや煮込みしか作れない。火を使えば料理の幅は広がるはずです。ジョルジョさんも騎士団時代、それに気がついていたから……」

「嬢ちゃん。ダメなもんは、ダメだ。どうしてもってんなら、うちから独立して試すんだな」

「でもジョルジョさん、いつも『知恵と空想』って……」

「そうだな。俺たちローマ人の知恵は、『火は使わない』だ」

 取り付く島もない。

 アカネはしょぼんと肩を落とす。ジョルジョさんの語調が、いつもより厳しかった。アカネは店内の清掃に戻っていく。

 

「そりゃあお前、怒られるに決まってんだろ」

 雑巾がけをしながら、事の顛末を聞いたルイージさんが眉をひそめる。

「だって、炎に興味があるって聞いたから……」

「バカ。むしろ、興味があったからダメなんだよ。ジョルジョさんが宮廷をクビになった理由、知らねえのか?」

「えっ、レオには聞いてないですよ。『引退した』って言ってましたけど」

「そりゃ、『引退させられた』の間違いだよ。ジョルジョさんは宮廷に放火した疑いをかけられてるんだ」

「えっ? 放火?」

 アカネは顔が青くなる。

 赤色が見えない世界で、人が最も恐れるもの。

 火事だ。放火は死刑。


 ルイージさんは声をひそめる。

「そうだよ。しかも、それで先代ローマ公は亡くなったんだよ。証拠不十分で無罪にはなったけど、現騎士団長のロベルトには、今でも疑惑の目で見られてるってわけさ」

「なるほど……それで、あんなに炎を恐れてるんだ……」

「そりゃそうだ。このトラットリアで『ジョルジョさんが火の魔法を使った』なんてなったら、問答無用で火あぶりの刑だぞ」

 二人は噂話をしながら、こっそり厨房のほうを見やる。

 まかないを作ってくれているジョルジョさんの背中は、ローマ人にしては妙に寂しげだ。アカネはようやくその理由を知った。


 *


「ダメかあ……。じゃあパパは、炎の研究を、完全に捨てちゃったんだね」

「レオ、お前もアカネをそそのかしちゃダメだろうに。『死の霧』の魅惑に取りつかれた一族なんだな。おっかねえぜ」

 ルイージさんはレオをなじって、体をぶるぶる震わせる。

 これがこの世界の人の、炎に対する一般的な感覚だ。

 料理人として、やるせない。アカネは拳を握りしめる。

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