2-5 スパゲッティ・アマトリチャーナ
「ぶっひゃっひゃ。弟子入りしたいだあ?」
名物のパンナコッタを仕込みながら、ルイージさんがゲラゲラ笑った。
「何言ってんだ、アカネ? 魔法も使えねえのにか?」
「魔法が使えなくても、料理はできますもん」
「バカ言うな。悪いこと言わねえからやめとけよ」
ルイージは悪い人ではないが、ものの言い方がストレートだ。アカネはふくれっ面をする。
しおらしい表情のおかげか、ジョルジョさんが割って入ってくれた。
「アカネ、レオから聞いたぞ。異世界転生者なんだって?」
「あ、はい、そうです」
ジョルジョさんの目が、きらりと光った。急に低い声で尋ねてくる。
「神の与えた試練は何だ? この世界に来た目的は?」
「え? イタリア料理を救うことです。……信じられないかもしれませんが」
「……なるほどな。面白いところを狙ってきた」
ジョルジョさんは笑うとき、白い髭をさする。まるで異世界転生を熟知してるみたいな口ぶり。
「どうも神ってのは、人類そのものというより、人間の文化が好きらしい。この世界にバイオリンをもたらしたのは転生者だと、そう伝えられてるぐらいでな」
「はあ……。それで、私はイタリア料理を救うんですか……それは随分、大きい夢ですね」
「まあな。だが、数十年前に来た転生者は、もっと可哀想だったぜ。火を制圧するために、科学者が転生してきたんだよ。魔法が使えないもんだから、一瞬で気を病んで、もとの世界に帰っちまった」
アカネはそれを聞いて苦笑した。転生前に、私もダヴィデに進言したな。試し済みだったか。
「えっ、何、何? イセカイテンセイ?」
ルイージが目を丸くする。彼は話についていけないらしい。
「お前は知らなくていい話だ。アカネはすごい奴なんだよ。それこそ、レオみたいな魔法騎士が警護をしないといけないのさ」
「あ、そう言えばレオさんも、『転生者は魔法騎士が守るものだ』って言ってました。私は転生者と認めてもらえませんでしたけど」
「っひゃー。つまり、アカネは魔法騎士より偉いのか? すげえな」
ルイージは肩をすくめて大騒ぎする。
イタリア人は身振り手振りが激しいというのは、どうやら本当らしい。レオはちょっとオーバーだけど。
*
「……さて。厨房に入るためのテストだ。準備はいいな」
トラットリア・ネッビアは、この日だけ昼の営業を早めに切り上げた。休みをもらったアカネは、市場を見て回って買い物をする。
「『一人だけで作った料理で、俺を唸らせろ』、それが条件だ。さあ、作ってみせろ」
おこづかいをレオにもらって、市場で材料を買ってくる。材料を仕入れるところからスタートなのだ。
買い物袋をルイージさんがのぞきこんで、アカネに口を出す。
「おんまえ、馬っ鹿だなー。マトリチャーナで行くのか?」
「はい。王道の料理で腕を認めてもらおうと思って」
缶から取り出したトマトをつぶしながら、アカネはそう言った。
アカネが選んだのは、スパゲッティ・アマトリチャーナ。ローマ方言ではアが消えて、マトリチャーナと呼ばれている。江戸っ子かよ。
トマトベースのシンプルなパスタだ。基本具材は、タマネギと肉のみ。
日本では、肉には厚切りベーコンを使うのが普通。だが、洋食屋ナリマツではアカネのこだわりで、本格的な塩漬け豚肉を使っていた。
(こう考えると、親子丼みたいなものだな。イタリア料理の基本中の基本。これが美味しければ、認めざるを得ないでしょう)
「レオ、魔法コンロを温めてくれる?」
「いいよ。頑張って!」
レオが言って、金色の杖を魔法コンロに当てた。中央の魔法石が青く光って、鍋が温まり始める。
この料理のポイントは、
「うん。グアンチャーレは、ちゃんとしたのを買っているじゃねえか。目利きができるのは良いことだぜ」
ジョルジョさんが呟いた。優しい人なのだが、料理になると怖い。
(平常心、平常心!)
そう心に念じながら、やっぱり少し緊張してしまう。
洋食屋ナリマツで提供してきたものを、できるだけそのまま……。
*
完成。試食会にて。
「うーん」
ジョルジョさんは悩ましい顔をしている。アカネは不安になって尋ねた。
「えっ、美味しくないですか? そんな……」
「いや、美味えよ。うちとは製法が違うが、バリエーションが多いソースだからな。味は及第点以上ではあるんだが」
「じゃあ、何が問題なんです?」
ジョルジョさんは気を遣って答えなかった。ルイージが横から口を挟む。
「おいおい、わかんねえのか? お前はテストの指示に従ってねえんだよ」
「テストの指示?」
「ジョルジョさんに、『一人で料理を作れ』って言っただろ?」
「はい。一人で作りましたけど」
「なーに言ってんだ。魔法石に加熱魔法をかけたの、レオじゃねえか」
「……えっ?」
アカネは混乱した。
(コンロを着火する人が違ったら、それは自分の作った料理ではない、ということ?)
ジョルジョさんがうなずいて、厳しい一言を投げかける。
「魔法調理で最も重要なポイントは、加熱魔法の加減だ。これじゃ、自分で作ったとは言えんな」
(なるほど……文明の差だ……)
アカネはがっくりと肩を落とす。
一理あった。加熱魔法も使えないし、ライターなしで火をつける方法も知らない。コンロなしで料理は無理ゲーだ。
「あちゃー。じゃあ、魔法を習得するまで、入門はおあずけかあ。魔法の杖を買いに行かないと!」
アカネが杖を振る真似をすると、レオが申し訳なさそうに情報を付け加える。
「うーん。魔法のない世界から来た転生者で、転生後に魔力を獲得した例って、今まで一度もないんじゃなかったっけ」
「え? ってことは、私は一生ジョルジョさんに認めてもらえないじゃん。あちゃー……」
そのとき、アカネは突然ひらめいた。
「あれ? ちょっと待ってください。『一人で作った料理』なら、料理の種類は何でもいい?」
「ああ、そうだ。肉でも魚でも、ドルチェでも」
「じゃあ、簡単な
「アンティパスト? ああ、問題ないが、難しいと思うぜ。もともと前菜ってのは、唸りながら食うもんじゃねえからよ」
「あっ。じゃあ、大丈夫! 再挑戦させてください!」
そう言うが早いか、アカネはもう一度、市場に駆けだしていく。
前菜をナメてもらっちゃ困る。和食の世界じゃ、お通しで店の格が決まったりもするのだ。ここはイタリアだが。
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